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8月31日

 昔から(正確には学生業に就いてから)8月31日が苦手だった。
何故か?
夏休みの課題が仕上がってないから。

 「優等生ガリ勉タイプ」な外見印象をぶっちぎって私は本当に怠惰な性格だ。
 勉強(学習)の打ち込む基準は「興味を持てるか」が最前列である。
表面の手触りの感触だけで物事の取捨選択を決断してきた。
少し、待って取り組むと素晴らしい新世界の幕が開く可能性があるのに、その「少し待つ、我慢する」の部分で最も退屈(苦痛)な時間をやり抜くことができないのだ。

 その「退屈な時間」こそが物事を熟成に導き自分を深めてくれる時間であるのに。
そのくせ、妙に舌のまわる生意気な子供だったから表面上は「それらしい正論」を絶妙タイミングで語るものだから、目ん玉の曇っている大人は「良い子」だと思うのある。

そんな生き方を三十余年送ってきた。
そろそろ「優等生」を卒業してみようじゃないか。
もしかすると、今よりももっと風当たりの強い位置に立つかもしれない。
横目線を光らせ同調するすることで調和と平穏を保ってきた。
でもね、それだけでは限界なんだよね。
人間としての深みの厚みも育たない。
ただの薄っぺら人間なのだ。

そろそろ「優等生」を卒業してみようじゃないか。
わたしは私ともう少し向き合いたい。

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