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4月そこそこの天気の日曜日の朝に感じた事

 100点の快晴でなくともそこそこの天気が好きだ。
傘が要らなければ合格。
4月そこそこの天気の日曜日の朝に感じた事。

 去年のこの時期は人生初の「緊急事態宣言」のもとにあった。
不要不急の外出、交流について『国』から自粛が『依頼(お願い)』された。
世界中を無尽蔵に飛び回るアクティブな性格ではないし、人との交流は最小サイズだから「ナントカ宣言」でも大した変化がなかった。
有難いことに仕事にもあぶれず健康を維持している。

去年の4月に感じた気持ちが改めて心に浮かんできたから書き留めておこうと思う。

『兄がいてよかったな』
「純粋ではっきりとした」唯一無二の存在としてわたしのこころに兄がいる。
年齢を重ねるとその場で解決できない課題がそこそこ発生する。
10代、20代にもそれなりに悩みや課題を抱えていたけれども、今と比較しても短期間にそれは解決、消滅して通常生活のレーンを障害物なく再び走るのだ。
40代がチラチラと視界に入ってくるとその場で即決ができない課題が現れるようになった。

生きる事が中盤に差し掛かり、体力勝負を卒業して走るフォームを見直す時期の今、「純粋にはっきりとした」事を断言するならば『兄がいつまでも好きだ』だけだ。
ただの一度も疑ったことがない。

「面倒で目の離せない妹」のわたしに打算ではない純粋の愛情だけで寄り添ってくれる。
年月の経過は人との関係も変えていく訳だが兄を疑ったことはない。
ただの一度も。

年子でお互いの存在を認識した記憶がない。
「いつの間にか」ではなく「いつも隣に居たし、居るのだ」。
ふたりでいる時わたしのこころはこどもに還る。
悩みも痛みも寒さも知らず、ただ「純粋に生きる」だけのこころが還ってくる。

この一年間自分のこころに突き詰めて問いかけた。
わたし一人の充足では本当の幸福が成立しなくなった。
たくさんの財産も食べきれない食事もおおきな車も要らない。
『兄が安全で健康である』
誰かを純粋に想える心に感謝している。

4月そこそこの天気の日曜日の朝に感じた事。

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