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ななえさんへ

交換日記を再開しようと声をかけてくれて、「しよう!」と返事をしたその日にななえさんは日記を書いた、
このスピード感こそが「義務感に追われて生活をする気になった」ということの現れなのかな、と思った。
私も元々活発な人間じゃないから、今の生活は、今までの生活がただ続いてる感じがある。
日常を曖昧に受け入れてる人ほど、今の状況が身体的な「生きてる」実感をぎゅっと押し付けられる感じというか、急に自分自身が存在してる輪郭を理解させられるような気がする。その突然やってきた身体性に戸惑いながらも、手触りのある生活をすることは自分の外側として正しい実感がして腑に落ちるというか、落ち着くのかもしれない。私自身は今の生活をそう振り返ってる。私は3日前から写真日記をつけ始めた。


何で今までやってなかったんだろうというくらい、自分自身に対してかなり腑に落ちてる。何なんだろうなー。

腑に落ちるといえば、マスク二枚届いたら国に返送するって友達が言ってて、「あ、それだ」と腑に落ちたよ。

2020年の日記文学は100年後くらいにめっちゃ流行るし重宝されるはずだと思うくらい、今、みんな何かに追われるように毎日を記録してるはず。
きっと今、みんな自分の内側と外側の間を揺れ動いてる。外側多めだった人は今の生活で急にありありと見えてきた内側に戸惑うし、私たちみたいに逆も然り。
でも、こういう記録に対して自分がどういう感情で感じてるのかわかんない。面白がっているのか、怖いと思っているのか、まぁそうだよねって思ってるのか…。
それこそずっと戸惑ってる。

今日は私は大きな買い物を代引きで受け取るよ。
今の時期にする覚悟なんて先が見え無さすぎてただの空振りな自己暗示だなーと思いながらも、覚悟をもって買い物した。

ななえさんは今日や明日は何するの?

新藤早代

毎日セブンイレブンの金の食パンが食べれる生活がしたいよ!