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肉体に振り回されている人との壁

男性と女性どっちが多いか。

電車で痴漢されたことはあるか。「やめてください」と言って蹴られたことはあるか。帰り道で付きまとわれたことはあるか。突然腕を掴まれてキスをされそうになったことがあるか。白昼堂々、にやにやした人に追いかけられたことはあるか。夜間寝ている時にベランダから窓を開けて覗かれたことはあるか。レストランのトイレに入っている時に覗かれたことはあるか。すれ違いざまに臀部や胸を触られたことはあるか。オートロックのマンションで、息の荒い人に後を付けられて、エレベーターに侵入されそうになったことはあるか。

痴漢や付きまといをする人達:対話の壁

私はいい大人で、田舎にいれば「〇〇ちゃん、いい年してまだ結婚していないの?可哀そうに、誰か紹介しようか?」と言われる。東京にいれば「いい年して」いるはずなのに、未だにこうした被害に頻繁にあう。

こういう時、他者の「女性としての私」への目線は、残酷だな、と思ってしまう。

私は結婚をしたいと思っていないし、こうした被害にあってもいいとも思わない。

男性のことを羨ましいと思ってしまう。

私くらいの年齢の独身男性が、どこに住もうか迷うだろうか。部屋を探すとき、家賃が安い、とか職場が近いとか、遊びに行く街が近いとか、条件は少なく選択肢も広いだろう。*1階の物件にも住めるだろう。

私は、オートロックや防犯カメラ、モニター付きインターフォンがあって、よじ登ってこれない4階以上の物件がマスト。地域の治安情報を検索して、「痴漢や不審者」の通報が多い地域は、好きな街であっても怖くて選べない。

「痴漢や不審者」が少なそう、小学校や幼稚園があって、ファミリー層が多そうと判断して選んだ地域でも、こうした被害にあう。

男性が、外に出かける時間を気にするだろうか。外に出る時に服装は露出の少ないものを着ようと考えることはあるだろうか。明るい時間で大丈夫だろうとノースリーブの洋服で出かけて、被害に会った時、もっとダボダボの服を着てくれば良かったと自分を責めることはあるだろうか。

勿論、男性全員が「そんなことない」というわけではないと思う。でも、比較的こういうことを気にせずに行動されていて、実害を感じる方は女性に比べて男性は少ないように思う。

魂を殺す人達:本当は気持ち良くないのでは

こうした行為を私に行った男性たちは、圧倒的に「対話」が出来ない、という傾向があった。

「やめてください」と言っても、「いいじゃん」と興奮してやめない人。通り過ぎざまに触りながら、当たり前のような顔や楽しそうな顔をしている人。

楽しそうな顔をしたり、興奮していても、怖い程にその顔は、単純で「思考」の様相がない。

情動に煽られている人たちは、足る(満ちる)ことを知らないのだな。と思う。

相手をモノ扱いして、簡単に手に入れようとする。

その時は力づくで成功するかもしれないけど、自分の心の在りかを自分で分かっていないから、自分の魂は自分の肉体を見つけられない。そして、彷徨うように、満たされない(魂に見つけてもらえない)肉体に煽られて、その人は、また同じことを繰り返す。

ちゃんと自分で、自分の心の在りかを探して、心と出会うこと。それをしたうえで、相手の心の在りかを探ること。自分の心の在りかと相手の心の在りかが、同じ目線で見えた時に、ちゃんと言語で自分の気持ちを伝えること。そして、お互いに言語で受け入れあうこと。

「相手」の気持ちが「自分と同じ目線」だ、という相手からの言語化を聞いた時に初めて、「自分」の心が、「自分」の身体の情熱を許してあげる。「それでいいんだよ」と、自分の心が自分の身体に言ってあげられる。それが本当の「相手と合意できる」、という意味。そして、それは「自分」と「相手」の心と身体が満たされる準備。

「自分」のこうした準備が出来ていない人は、一生、女性と(男性と)本当に気持ちの良い、肉体と心の「交わり」が出来ないのだと思う。相手をモノ扱いするより、ずっととっても気持ち良くて、満たされている、ということを知らないのだと思う。

相手の女性をモノのように、簡単に手に入れて、「気持ちいい」と思っても、それは相手を使っただけで、実は自慰行為と何ら変わりがないと思う。

そして、更に根が深いな、と思うのは、肉体に振り回されている状態を露出している人は、自分の魂を殺し続けるだけでなく、肉体と魂の交わりを保っている他者の魂を殺している、と思う点だ。

大抵のことは怖くない。

でも、肉体に振り回されて、魂と対話をしない、物理的に私より腕力の強い男性が暴走している時は、本当に怖い。

こういう人達と、どうやって対話ができるのだろう。共生ができるのだろう。と考えてしまう。

少なくとも今の日本やアメリカの事例を見ると、性犯罪の再犯率は非常に高いし、中には(衣食住が担保された)刑務所に入るために、こうした犯罪を繰り返している人も多いという。

親子関係の再現として:他者との親密な交わり

フロイトは親子関係が、成長した後の性的思考・態度に影響する、と考えた。幼い頃の親子関係を、大人になった自分の性的な関係に投影していると。

こうした男性の中には、親子関係を育む中で母親と、本当の対話が出来なかった人もいるのかもしれない。もしくは、男性は、女性と比べて前頭葉の成長が遅いという科学的な検証もあるが、前頭葉が未発達なまま、「相手だったらどう思うだろう」と考える練習がないまま、大人になってしまったのかもしれない。

いずれにしても、「ただ触っただけじゃん」と思う人もいると思うが、こうしたことをされた女性や若い女の子は、本当にトラウマだと思う。

何故なら、フロイト的に言うと、こうしたことをされた女性たちにとっても、無意識のうちに、性的な交わりは、他者と再現する、「親子関係」の投影であることには変わりはない。即ちそれは、心を許した「親密な人」とだけしたい「心地の良い」行為であるはずだからだ。

それにも関わらず、「強引に」、望まないのに、触られた、という体験に、「親子関係」を無意識に引用して、「(男性に=無意識に親に)大切にされなかった自分」を「無価値」と思い、大きなショックを受けてしまうのだと思う。

100対0で、こういうことをする男性の方々が悪いことは明らかだが、精神的に、辛く、全くそう思えない(自分は無価値だ、自分が悪いと責める)のはこのためだと思う。*少なくとも私は振り返って分析してみると、そうだった。

私は痴漢被害に多数合っているが、性的暴行には合ったことがない。ただ、こうした事件も決して少なくはなく、被害に合われた方は、私が全く想像できない程の辛さを体験されているのかもしれない。

本当になくなってほしい、と心から願っている。

ルーティーンのように犯罪を裁くだけの司法一本ではなく、少子高齢化で人口を増やす前に、どうしてこういう男性が一定数いて、痴漢や付き纏いなどの嫌がらせがなくならないのか、社会病理学的な分析も必要な気がする。

*なお、この記事は「女性」である私が体験したことをベースに記載している。従って、どうしても被害を「私に」もたらした「男性」が、ここで言う「分析」の対象になってしまう。ただ、「男性」が「女性」や「男性」から痴漢に合う、という被害も記事で読んだことがあり、表面化しずらいという話も聞いたことがある。こうした観点も含めて、色々情報を精査していきたい。

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