見出し画像

noteと、個人的にめくれたカード

実は今回の書き始め、おとといあった近所の火災(上の写真は翌日の様子)から起こった、交通上の混雑に遭って感じた緊張の話から、コロナの話に移って「緊張と不安」のことを書き出したら随分長くなりそうだと途中で思ってやめて、いきなり「つまり私は地球上の子供達が心配なんだ」という所に落ちました。

そういうわけで、前の方は消して、ここから書くことに。

もともと心配が多い私です。心配してもキリがなくて不毛だとわかっていながら、どうしてよいやらわかりませんでした。心配をしていることがいいとか悪いとかではないのですが、ただ長〜いこと手に持っているのに疲れて、いい加減下ろしたかった。

緊張と不安がコロナのせいかと言えば、そうではない。もともと私が抱えて生きていたことです。そんな「緊張と不安の霧」が、世界中の子供達にもかかっているような気になって、漠然と心配して、胸が詰まるような感じがしていました。それが今年のスピード感を受けて、心配を高めたのでしょう。

この特異な圧力のかかった子供時代を過ごしている彼ら、新学期から始まる学校ではこうしようと思い描いていたことが全て予想していないことになってしまっている彼ら。地球上の全ての彼ら。

って書いてました。

ふと、先日、映画監督の小林でびさんがnoteで、ルパン三世やジェームスボンドの演技が時代の変化と共に変わっていると書かれていたのを読んで、この年を区切りに次のヒーロー像はどんなんだろうと、興味が湧いたことを思い出しました。

そしたら、「ああ、この子供達の中から新しいヒーロー像が発生するんだ、としたら、」そう思ったら、まるでカードがめくれたみたいに、「彼ら」がこの上なく頼もしい存在に思えてきました。

同時に人類全体が頼もしい存在に思えてきました。これは同時に地球ごと頼もしく思える。心配で血行不良だった上半身が軽くなるなあ。

そう言えば、人は弱いものだという感覚が、ずっとあったんです。めくれる時は、こんなにもハラっとめくれるとは。

noteでいろんな方の記事を読んで、noteに思いついたことを書いているうちに、長い間泣きながら持っていた手荷物を一つ、下ろせることを知ったという、お話でした。読んでくれて、ありがとうございます。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?