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「狂気」2023年9月21日

先週、絵を描くためにS30号のキャンバスを2枚購入。
約1週間、大学の近くにあるアトリエに放置して、今日持って帰ってきた。デカ重くて大変だった。高校生の頃はF30号のパネルをよく持って帰っていたが、Sは全然違う。

S30号キャンバス2枚

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制作について。

女の子の絵を描くと共に、サイトスペシフィックな作品にしたい。ただ、文脈をどのように結びつけるのかが難しい。

結びつける上でまず、私が描く女の子の絵は結局のところ何なのかについて考える必要がある。

《泥濘》2023 / F15号キャンバス、アクリルガッシュ

キャンバスにアクリル絵の具を使って描く。
アナログであることは絶対的なこだわり。ベタ塗りだが、その中で浮かび上がる絵の具の質感が好き、新作は絵の具の粘度が丁度良すぎて絵の具の質感が満足に現れなかった。また、色塗りの後に濃い色で縁取りを行う。こうすると絵が引き締まる感じがして良い。

この制作は昨年から始めた。
まさか女の子の絵を描くとは思わなかった、そもそも絵を描くのはやめようかなと思っていた。絵を描かなくなってからは垂木を使った立体作品や詩作などをしていたが、なんか違うなという感覚があった、長い迷走が続いていた感じ。

今思うと結局、絵のかな。幼少期から絵を描くのは本当に好きで、美術系の高校に入学した理由もイラストレーターになりたいからという理由だった。また、私が現代美術に興味を持った入り口は、カイカイキキの村上隆とMr. (ミスター)の絵画作品だ。

見返してみると、縁取りする感じとかは絶対にMr.の影響だ。
というか、入り口だったのにも関わらず何故今まで女の子の絵を描かなかったのだろうか。いや、描こうとした時期はあったけど、なんか嫌だなと思って諦めていた。当時はスタイリッシュなザ・現代美術的なかっこいい何かを作ろうと思っていた筈だ。ただ、自分にはそんなもの作れない!当時持っていたプライドのような何かがほとんど無い、現在のふわふわ浮かんでいるような私だからこそ、潜在的に本当にやりたいと思っていた女の子の絵を描くのかもしれない。

高校一年生の時に村上隆やMr.の作品を初めて見たときに感じたのは「狂気」だった。「検索してはいけない言葉」を検索して、画像や動画を見てしまった時のような感覚、その中でも特に「野崎コンビーフ」や「NNN臨時放送」を検索した時に近いかもしれない。

調べてみたところ「野崎コンビーフ」と検索した時に出てくる怖い絵を描いたのは梶谷令という作家だった、多摩美術大学出身らしい。現在も絵画制作を行っていて、主にアメリカで活動している。博士論文ではハイデッガーの『芸術作品の根源』を研究していた。

逸れてしまった。
こうして書いていると、私は作品が放つ「狂気」のオーラのような何かを作りたいのかもしれない。これまで描いてきた女の子の絵を見た時に感じた、なんとも言えない物足りなさはもしかしたら「狂気」なのかもしれない。

ただ、女の子の造形や色をぐちゃぐちゃにしたりしたいとは思えない、あくまでも普通に描いている感じでもその中に秘められている「狂気」のようなものを描きたい。もしかしたら、描くだけではなく、その作品を展示する場所によってその「狂気」は現れるのかもしれない。

調べていく中で『美少女の美術史』という資料を発見した。
軽く目を通してみたが、確かに昔から美人画、もっと古くは宗教画などでも、女性をモチーフにした作品は多いどころか、メジャー、なのか?思えばダヴィンチのモナリザも女性をモチーフにした作品だ。資料を参考にしてそのあたりも掘っていこうと考えている。

何と無く、私にとって私が描く女の子は「幽霊」だ。平面だが、実態としてあるようなオーラ、魔力のようなものを発している。その辺りはサイトスペシフィックな要素に含められたら良いかもしれない。

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また明日。

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