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「ヘテロトピア」2023年9月23日

最近は節約の為に自炊している。
昨夜は衝動で大雨の中スーパーへ買い物に行き、ずぶ濡れのまま帰ってきて着替えもせずにカレーを作った(何故?)。
基本まずい飯しか作れないが、カレーは大成功だった。豚バラのブロックを一口大に切って正解、めちゃ美味い。ただ、量が多すぎてここ2~3日はカレー生活になってしまう……

豚肉と茄子、ほうれん草のカレー

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数年前の六本木アートナイトに出展されていた《マクドナルドラジオ大学》で存在を知った高山明と、彼の主催する『Port B』という劇団の活動を密かに追っている。

コロナ禍以降、その活動をあまり見られなかったが、現在森美術館で開催されている展覧会の最後にPort Bの活動がアーカイヴ展示されていた。
そこには《東京ヘテロトピア》という作品が展示されていた。スマホアプリ形式で結構前の作品だが、この展示を機にダウンロードしてみた。

あまりよく調べられていないが「ヘテロトピア」はフーコーが提唱した「ユートピア」の対象を為す概念であり、日本語に訳すと「他なる場所」になる。

ユートピアは「理想郷」と呼ばれている通り、想像により造られた存在しない場所である。対してヘテロトピアは存在する場所でありながらも、現実を忘れさせられる場所だ。フーコーは例として全寮制学校や軍校、ハネムーン(なんで?)、精神病院や監獄など、ある種の小さな社会で閉じられた場所を挙げている。

スマホアプリ形式の作品、《東京ヘテロトピア》では、このようなフーコーの概念を取り上げ、東京の中にある「アジア」としてのテロトピア、礼拝場や国際的な学校の跡地をマップにスポットし、タップすることでその場所の説明を読むことが出来る。

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現代のヘテロトピアとしては他にも、学校や遊園地などが挙げられるとあるWebサイトには書かれていたが、ある一定の基準を設けないと、全部がヘテロトピアになってしまうのでは?と思った。興味深い概念なので、今後もリサーチを行なっていきたいと考えている。

このような概念を取り上げたように、卒業制作ではそんな「場所」も主要なテーマに含めることが出来ればいいなと考えている。
私が「場所」に興味を持つ理由は、現実世界のどんな場所にも必ず歴史的な層、レイヤーが存在するからだ。以前ある一つの公園についてリサーチした時も、その場所が村から基地へ、居住区から公園へと、それこそヘテロトピアのようなものの変遷があったからだ。

身近な例だと、以前カフェだった場所が現在ではコワーキングスペースになっている。場所に新たな秩序が生まれることで、それ以前の秩序があった場所は物理的に消滅する。しかし、たまに完全に消滅せずにその跡が残ることがある。私はそんな跡に興味を持っている。

感覚でいれば、幽霊のような。私が書く詩に頻繁に亡霊や幽霊が出てくる理由はそんなところからだ。

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現在考えているのは、そんな私の思う「場所」そして「跡」に、いかにして昨日取り上げた女の子のキャラクターが描かれている絵画を結びつけるのか。

現在は漠然と、私の描いた絵画を都市空間に置く、という作品を制作したいと考えている。絵画が都市空間に置かれることで何が生まれるのか。その絵画は急に現れるものであり、先の歴史的な層、レイヤー云々には結びつかない。描く絵画に先の要素を結びつければ良いのだろうか、それとも偽史として新たな物語を作るべきなのか。

やってみたいのはどちらかと言えば後者だ。ただ、それは単なる偽史では無く、私の絵画と結びつくようなものにしたい。それは個人的なものなのか、
社会的なものなのか、そのあたりを考える必要がある。それを考えながら絵画制作も行わなければならない。めんどくせ〜〜〜〜〜。

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そんな感じで、なかなか思考が発展しないのはやる気がないからである。
また明日。


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