ブックオフは世相を斬らない

『ブックオフ大学ぶらぶら学部』を読み終わった。ブックオフに対する愛や憎悪はないけどただならぬ感情がわーっと詰まっていてめちゃくちゃ楽しかった。すごくいい文章があったので引用する。

「お金さえ潤沢にあれば、こんなにブックオフにはまらなかったかもしれない、と思う。人生が順風満帆に進んでいれば、こんなにも本にCDに心を預けることはなかったかもしれない。でも、人生はうまくいかなかったし、たいてい喜びよりも悩みのほうが多かったから、ブックオフに通った」(『ブックオフ大学ぶらぶら学部』p168)

人間は充足していたら本なんて読まない。人生に満ち足りているときは、空想の世界に入り込む必要なんてないし、誰かの箴言に心を動かされることもない。人生はひとつの島宇宙で完結される。しかし、そうはならない。わたしたちはつまずき、拘泥し、もつれ合う。だから本が必要だし、それを売る場所には特別な感情を抱く。お金がないから新書の店はいけない、古書店も価値がわかっていて、居心地が悪い。そんなときブックオフにわたしたちは心の拠り所を求める。

わたしにもブックオフの思い出がある。大学を卒業してなんとなく日々を過ごして、うつうつとしていたある日、わたしは本だけは好きで、日夜名古屋の本屋をめぐっていた。そんななかお気に入りのお店を見つけた。ビブリオマニアという古本屋さんで、アンダーグラウンドな、サブカルに寄った本をセレクトしている本屋だ。のちにこのビブリオマニアには足しげく通うことになる。わたしはそこで田中ロミオの『田中ロミオの世相を斬らない』という本を探していて、その上巻がビブリオマニアに置いてあったのだ。それはもうとっくに絶版になっている本だ。まさか置いてあるなんて思わなかった。上巻だけとはいえプレミア価格になっているなか、良心的な値段で売っていてわたしはためらいつつも買った。そのあと店主ちゃん(ビブリオマニアの店主はこう呼ばれている)と話して仲良くなったりするのだが、とりあえずそこで買い物は終わった。その後もネットなどを見つつ下巻がないなあ、ネットは高いな……などと思って、そのうち『田中ロミオの世相を斬らない』のことは忘れて、また澱んだ日々を送ることになった。好転することのない気分で抑うつ的な感情は毎日をむしばんでいた。意味もなく泣いたり怒ったりしていた。ある日、いつもの巡回と称した近所のブックオフめぐりをわたしはしていた。なにか文芸の本を探していたと思う。安部公房の本だったと思う。何度もめぐったことのあるブックオフの店内で、わたしはふとライトノベルの棚を覗いてみることにした。昔読んだことある顔なじみのライトノベルや、全然知らない新参のものもあるなか、ふとある名前に吸い寄せられた。田中ロミオ。その名前はふだんは『灼熱の小早川さん』とか『人類は衰退しました』とかの下に書いてある名前だ。しかし……この本は……『田中ロミオの世相を斬らない』となっている。え、うそ!? しかもBOXセットだ。800円となっている。その本は何事もなかったかのように、ライトノベルの棚に座りがよく収まっている。わたしはおそるおそる辺りを見渡した。ブックオフの店員が棚をいつも通りに整理しているだけだ。わたしはそっとBOXセットを手に取った。なにか悪いことをしている気持ちで、それを大事に抱え会計を済ました。ブックオフの青いビニール袋に包まれたそれは私の宝物になった。ただそれだけの話だ。しかし、それだけの話をこれだけ覚えているってことは、きっとこの「事件」はわたしのなかで大切なことになっているんだと思う。

もうこんな出会い方は今のブックオフではできないかもしれない。それはブックオフが変わったからというよりはわたしのほうが変わったからかもしれない。でも、あの看板を見るたびに、あの日のわたしの鬱屈した気持ちを吹き飛ばしてくれたようなそんな出会いがあるのではないかと思い、今でもブックオフには通っている。

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