オサムシって知ってる?
高校2年生の夏、私は初めて北海道一人旅をしました。
ユースホステルに泊まったので、バイクで各地を巡っている大学生にたくさん会いました。ソーラン祭りにユースに宿泊していたみんなで仮装して参加したり、岬巡りや朝早く起きて馬の放牧を見に行くなどのユース主催のツアーに参加したり、ミーティングと呼ばれる夕食後の集会で大声で歌ったり踊ったり、高校という狭い世界の中で生きづらさを感じていた私は、別世界を楽しみ、夢のように楽しい時間を過ごしました。
高校2年の冬にもまた、一人で北海道に行きました。今度はユース民宿と呼ばれるところも宿泊先に加えました。一人で旅をしている社会人の人がほとんどでしたが、そこで知り合い、仲良くなって、近く廃線になってしまうという電車に乗りに行ったり、おいしいと聞いたラーメン屋に行ったり、初詣に行ったり、日本一寒いと言われる町のお祭りで道産子レースを見たりと、自分より年上の人と話をする機会をたくさん得て、それぞれがそれぞれに楽しんでいる姿を見て、本当に救われた気持ちがしたのでした。
自転車で北海道を周っていた同じ年の男の子に青函連絡船で出会い、
感化され、大学1年の夏には私も自転車で北海道を旅しました。
約2か月の間に受けた人々の親切や励ましは素晴らしい思い出で、
海沿いの横風にも、峠の長い長い上り坂にも負けずに走り切ったこと、台風の時にもテントを縛り付けて乗り切った達成感は、私の大きな自信につながりました。
だから息子たちにも是非自転車旅を!っと思っていたのですが、長男が高校3年生の終わりからコロナ騒動が始まって、旅をするどころの話ではなくなってしまいました。高校の卒業式も大学の入学式もなくなりました。初めての経験で大学側もなかなか対応ができなかったのでしょう、オンライン授業もほぼないまま、1年間は家にただただ引きこもっていたと思います。私はそれが本当に残念で、コロナ騒ぎが始まって2年目の夏、子ども達を車で北海道に連れて行くことにしました。当時はまだ自粛ムードが強かったけれど、自家用車からなるべく出ないように回ってキャンプをするのであれば、「ナシよりのアリ」っという雰囲気だったかなと思います。
稚内のキャンプ場で、「オサムシって知ってる?」と声をかけてきた60代後半~70代くらいの男性に会いました。男の子なら虫が好きだろうと話しかけてくれたのでしょう。我々はオサムシという虫を知らなかったので、導かれるままその人のワゴンについていきました。後ろのドアを開けると、強い薬品のにおいがツーンとしました。「ほら、これが**で採ったやつ。そしてこっちが**で採ったやつ。北海道の宝石って呼ばれている虫なんだ」そう言って几帳面に処理されて綿の上に並べられた虫の数々を見せてくれました。
「北海道の宝石」と呼ばれるだけあって、どれもとても美しい色をしています。「手塚治虫っているでしょ?彼もこの虫に取りつかれてペンネームを『治虫(おさむ)』にしたんだよ」そういいながら、次々に車の奥に丁寧にしまわれたコレクションを見せてくれました。よく見ると、色だけでなく、羽に入った筋の模様が少しづつ違います。「この虫は羽があるように見えるけど飛べないの。だから例えば洪水が起きたとする。そうするとこの虫は水に流されて別の土地に行くわけ。点線模様のオサムシと、実線模様のオサムシが混ざって一点鎖線や二点鎖線の模様のオサムシが生まれるの。このオサムシはどうしてこうなったのかな、ああ、あの年にはあの辺で洪水があったからだな、とか、調べて分かった時が面白いのよ!」と少年のように目を輝かせて語るのでした。「好きなことがあったら、とことんやりなさい」オサムシを北海道の各地で捕まえながら旅をするその人は、そんなことを息子たちに言ってくれるのでした。
色々な人に会って話をする機会を持つことは、本当に大切なことだと思います。若い頃は特に、自分の周りの世界がすべてだと思い込んで、なんとなく世間が分かったような気になって、ワクワクする気持ちがなくなりがちかと思います。実際は、自分とは違う生活をしている人がたくさんいて、いろんな考えがあって、人生は自分で選んで楽しんでいくものなのだと、身をもって体験してもらいたいと思っています。旅は、とくに一人旅ではそういうチャンスが得やすいので、子ども達にはなるべく旅に行くことを勧めています。
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