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健やかであればいいという、責任の所在のなさ

クーラーをつけた部屋で。
苦しくて、苦々しい感情を書きつつ。
ひと段落して、夕方夕ご飯の準備をしていると。


ただただ、
母の優しい部分とか
母が作ってくれるご飯とか
気弱な笑顔とかが、じわじわと思い出されて。

玉ネギの物理攻撃もあって、かなしくなる。


なんで私は母を喜ばせてあげられる存在になれなかったのか

今もこれからも酷いことしている。
そういう気分になる。

いっそ、記憶がなくなれば!

好きな部分、あたたかい部分
かなしそうな顔、そういうの。
私は、サクサクと前に進めるのかなと思う。

でも作るのは、無性に飲みたくなった、
季節に合わないコーンスープ。

お母さんのレシピ。


仕事と母の集まりで、一緒に食べることが少なかった夕飯。
中学生の一番料理に興味を持った頃は、
押し付けられるように立たなきゃいけないキッチンが嫌いだった。

母でもないのに、部屋から出てこない兄にご飯できたよと知らせ、
妻でもないのに、父が帰ってきたら味噌汁を温めるのがいやで。

教えてもらえなかった、もらいたくもなかった当時を
残念に思う。


なんつーか。

どうにもこうにも、ままならない部分。




しかし、
いろいろ思うけど、
母は私に何も望んでいないんだよね。

健やかで幸せであればいいという、無償の愛を子に持っているだけで、特に望んでいない。

「なんで私は母を喜ばせてあげられる存在になれなかったのか」って思うけど
喜びを能動的に掴み取ろうとする気合みたいのが
うちの両親には少なかった。

私の今のこの精神の問題点って
その能動的に望まれなかったこと、な気がする。

良い子でいたくて褒められたくて、
望まれるようないい子でいようとした。

他者に迷惑はかけないはおそわった気がする。
ただそれ以外何も言われないから、自分で考えていた。
こうしたら喜ぶんじゃないかって。

でも、そうだったことってそんなにない。

母は子供が健やかで悪いことをしない良い子であれ、と望んでいた気がする。

物心ついた時には、母は兄を選ぶ。
私は父方に置いていかれるようなイメージがあった。

私は母が好きだけど、母と兄の間の結束の方が強くて不安だった。
母に好かれたくて、
自分で考えた母の望みも、結局自立心でこれは違うと自分からやめて、母の期待に沿えなかったことに傷ついた。
母とその周りの大人が望む子供像を裏切った。

けれど、大人になってそれすらも別に母からはそこまで望まれていなかったとしる。


この数年間ずっと、
私が母にできることが何一つ浮かばないのだけど。
(望まれているのは健やかで健康にあれ。という無性さだけだ。)

私にできる残されたことは、
そういう幻想を守ってあげることだけだと、思う。


ほんとうにできることとしたら

この私の中の悲しさを断ち切って、

生き残った娘として
遠い土地から、月一ぐらいで
私の楽しい日々を、当たり障りなく、タブーにも触れず、
季節の彩りとともに手紙を送るぐらいだろう。

あなたの娘は元気だよ、と。
夢を見せてあげる。

遠くで頑張っている娘から手紙が来たの、と
母が周りの人と談笑できるように。


そこに現実のわたしはいらないのだ。


あー。

悲しみをなかったことにはできない。
試行錯誤したけど、これはきっと乗り越えることもできない。

だから、代筆屋でも、頼もうか。
ありかもしれない。

私には、嘯く力が足りないし、
向き合えば、苦しくなってしまうから
手紙は誰かに任せてしまおう。

別の土地に引っ越したことにして
全然違う土地で暮らそうか。

そろそろ、子供ぶって傷つくのも
真正直さだけが正義みたいのも終わりにしていこう。
真正直であれない弱さを悲しむのもおしまいにして。

ちゃんと大人になったのだから
能動的な加害者になるのだ。



果の子

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