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割と気楽記事。

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文章を書いていて、書きたい文章の深さにムラがあるので分類分け。明るいかはあれだけど、暗くはならない。より深いのは別マガジン。
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#書くこと

分類するということ

分類すること。 あるべきものをあるべき場所に置くこと。要は整理整頓。 そういうことだけで、物事は大きく変わったり 付加価値がついたりする。そう思う。 わかりやすいところだと、ビーチコーミング。 砂の中に埋もれたガラス片を集めれば、それを使ってアート作品ができたりする。 流木を集めれば、アクアリウムが趣味の人に売れたりする。 砂つぶだって種類ごとに集めたら、地質を示す標本が出来上がる。 誰かが集めて。 集まったところに、集まったものに、 人々は集まってくる。 集まった

言葉を出した後のから寒さ

伝えるために発露した言葉が、キャッチされなかった時の ぽっかりとした気分は本当になんとも言えないものがある。 から寒さと、後から猛烈に背中から迫ってくるような恥ずかしさと。 自惚れた自分への罰を与えたいような気持ち。布団に入って、ひとまず顔を覆って電気を消した部屋に沈んで溶けてしまいたいようなもの。 けれど、大人になったから同時に知っている。 言葉はそのまま受け止めてもらえるものでも、そうない。 * 言葉には伝えたい・共感して欲しいの他に、ただ身の内から出したい。

無・休職中にnote始めた人、割といる気がする

noteを見ていて、フリーを機に、休職を機に、退職をしてという文を見ることが少なからずある。かくゆう私もそうだ。無職。 人は言えない書きたい気持ちが溜まって仕事を辞めるのか。 仕事をしていないと書きたくなるのか。 ただまあ物理的に時間の余裕がある時に書くことに向き合う時間を取れたらいいよね、なんて理由で使い始める。 人は暇だと思い出を振り返りたくなる、なんて言葉もある。 私がやっていることもそうだ。人生の振り返り。 正直書くということに時間を使う、不毛さも考える。 そも

SNSをどの私で書くか、職業人として書くか(+医療のシステムデザインもっとよくなれ)

SNSとリアル社会を合致して、このネット上で文章を書ける人たち。 多分リア充と言っていい人たち。その人たちが羨ましい。 そういう人はネットで本音を言っても、もしくは書き始めるという行為の前に誰かを傷つけない生き方が出来て来た人ということ。もしくは傷つかない何かを持っている人。 そういう人に見えるのだ。 表舞台を歩いていけるというのは、それだけで幸せだ。 私は、少し書いた親の宗教の話、この果ノ子という名前で書くかわからない諸々のリアルの難しいことがある。 だから、どこかで

いつだってここから始めるしかない

どんな時も、深くため息をついた後はこう思っている。 ”いつだってここから始めるしかない” そのフレーズが浮かぶ。 昨晩もソファでため息が出た後にそう思っている自分に気づき、ふと文章にして見ている。それは本当に事実で、もはや早々にそう思って動き出すしかない。覆水盆に返らずだ。 けど、その飼いならされた、もはや条件反射のような思考に身体がついていかない時がある。わりと今がそうだ。絶不調。 自己コントロールしようとする私の中で、泣いてヤダヤダと手足をばたつかせてたい自分がい

オススメって苦手、否定すると目の色が変わる人がいるから。

ネット上はオススメやノウハウで溢れている。noteにもたくさんのおすすめが溢れている。正直に言う。私はそれらが苦手である。苦手だなぁと思いながらnoteを使っているものだから、きっと損をしている。 しかし苦手なものは苦手だ。 知っているノウハウを、あなたにも知ってほしい。その感覚は私にもある。  これだけは知っておきたい〇〇!  私が勧める〇〇のノウハウ。 なんと言うか、その善意さや、まっすぐさが苦手である。キラキラと疑いのない感じが。文章のテンションでそっと身を引いてし