物語論のはじまり

南海トラフの注意報が発表された後、神奈川で地震が起きた。そして、首相会見が迅速に行われたのは周知の通りだ。

この際、SNSで一部のユーザーから人工地震説が流布された。

『なぜ首相は既にスーツを着ていたのか!なぜ政府はこれほどすぐ原稿を用意できたのか、それは政府は今回の地震を事前に知っていたからだろう』
『人工地震兵器(HAARP)を使用したんだ!』

Xのいいねやリツイート数を見るとこれらの陰謀説がある程度のボリュームでシェアされているのが観測できる。

歴史的に戦争や災害などが発生し、社会不安が高まるとこのような言説は必ず現れる。そして現代ではSNSが陰謀説に傾倒しやすい世界中の各個人を繋げ、ある程度の規模の陰謀支持層を顕在化させる。

民主主義国家は民意を汲み上げ、それが政治的な意思決定となる。上記のようなジャンクな陰謀説でさえそれを支持する層の規模が大きくなれば、国家の意思決定に反映されてしまう。あるいは民主的な政治決定プロセスを阻害する。民主主義国家の脆弱性はここにある。

これらは数えられないほど多くの指摘があり、繰り返し批判をされてきた。

でも昔も今も変わらず同じようなことが繰り返して続けるのはなぜなのか?なぜ我々は過去の教訓から学ぶことがなぜできないのか?

様々な疑問が思い浮かぶが、まずこのような問いから始めよう。

“なぜヒトはいくらでも反証可能なジャンクな物語を信じてしまうのだろう?”

・なぜ?について誰が答えてくれるっけ?

まずこの疑問に答えてくれるのは、私たちの認知の領域に関する学問だろう。

バイアスという言葉が人口に膾炙して久しい。
この語の本来の意味は”偏り”である。バイアスはヒトの認知システムの持つバグだと言われたりもする。分かりやすい例として、”生存者バイアス”がある。

ある方法により生き残った個体が”こうしたから僕は助かったんだ”、と語る。同じ方法で生き残った他の個体も同じ事を語る。すると、あたかもその方法が生存に最適なものだと思える。

しかし、実際には同じ手法を選択していたとしても、失敗した個体は語り得ないので考慮されない。生き残った個体は自分の選択が最適だと思い、失敗例を考慮しない。

この事例は、我々が主観という極めて限定的な中でしか物事を認知していないことを教えてくれる。私たちがしばしば間違った選択をしてしまうのは、このような認知システムによるものだ。

・進化生物学が教えてくれる”なぜ”

進化生物学はバイアスを認知的バグとして捉えるのではなく、私たちの認知システムの特徴だという視点を与えてくれる。先の問いを進化生物学をベースに換言してみよう。

“なぜ自然選択は、我々の認知システムを脆弱なままにしたのか?”

ここで簡単に”進化”とは何かについて説明をしたい。

・進化はどのようなものなのか

基本的に進化は二つの原理を動力としている。

”生き残れるか”と”子孫を残せるか”である。

キリンの首は何故長くなったのか。資源が少ない環境下、首が長いと高い木になっている果実を食べることができ生存上優位だ。ゆえに子供を多く残すことができ、親の形質はある程度子供に引き継がれるので、そのような形質を持つ個体が種の中で支配的になった結果として、キリンは首が長くなったのだ。適者生存と呼ばれるものだ。

しかし、勘違いしてはいけないのが進化は意図的なものではないということである。子孫を残すということは、自身のコピーを作ることだ。そして重要な点が、その際に必ず変異を伴う。それにより様々な特徴を持つ個体が生まれる。様々な環境下において、最も適した特徴を持つ個体が生存し、繁殖をすることによりその形質が広く共有されていく。

変異により必然的に生まれる多様性があることにより、環境が激変した際にも対応できる個体が存在する可能性を高めるのである。進化とは未来の環境に対して盲目である。その盲目さは多様性によって担保される。

・至近要因と究極要因

最後に至近要因と究極要因についての説明をし、本題に戻ろうと思う。

私たちがなぜ間違った選択をしてしまうのか。それはこのような脳の認知システムがあるからだという、私たちの心理的構造の説明が至近要因である。

ではなぜそのような認知システムが進化の過程で形作られたのか、どのような環境に適応したのかという説明が究極要因である。

・まとめ⭐︎すっごい古い心とすっごい新しい環境⭐︎

私たちの生きてる世界はとんでもなく複雑である。

iPhoneでこの記事を書いているが、僕は当然iPhoneを作れない。それぞれの部品がどこで作られどこから来るのかもよく分かっていない。というか、この世界がどうなっているのか、さっぱり分からない。

そもそも、ヒトは現代のように複雑な世界を認知できるシステムを持ってないのだ。遺伝レベルではっきり分かっているのは、私たちの脳は20万年前からほとんど変わっていない、つまり100人程度のグループで狩猟採取をしていた時代の認知システムのままだ。進化は気が遠くなるような時間を必要とする。

この記事の本題は“なぜヒトはいくらでも反証可能なジャンクな物語を信じてしまうのだろう?”であった。

この問いを至近要因から説明をし、かつ“なぜ自然選択は、我々の認知システムを脆弱なままにしたのか?”という究極要因についても考察していきたい。

これが僕の”物語論”の出発である。



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