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私がBE:FIRSTの沼に落ちるまでの幼稚園生からの道のり。

こんにちは!HATCHINです。
今回は、私の推しであるBE:FIRSTにハマるまでの過程を書こうとおもいます。今振り返ってみれば、当時の音楽カルチャーや流行と少しズレたような雰囲気に感化されたのかもしれません。
とても深い内容になると思うので、ぜひ読んでいってください。



1.幼稚園生から沼は始まっていた。

時代は遡り、2015年。その時私は家族で仲良く湘南に住み、幼稚園の友達と毎日楽しく過ごしていた。
当時から私は運動と音楽、ダンスが大好きで音が聞こえたらそれに合わせて踊っていた。そこから私は「ダンスを習いたい!」と親に訴えて来たけれど、活発すぎてよく怪我をしている私にダンスをやらせるのは危険と判断したらしく、何度訴えてもOKはもらえなかった。

ただ、近所のショッピングモールから歩いてすぐの所に1つ、ダンススクール(スタジオHとします)があることを知ったのです。何度もダンススクールの前に行き、そこから漏れてくる音楽で踊る。そんなことをよくやっていた。(今考えれば不審者でしかない)

前置きが長くなったけれど、その後親にパソコンを借りて手伝ってもらいながらスタジオHを調べていたら、世界大会優勝しているチームだと知った。これには親も驚き、世界大会で優勝したときの動画を見ることにした。
当時の幼稚園生だった私からしても、圧巻。


目をキラキラさせてみていて、その動画を見て一言目に私がいった言葉が
『この人かっこいい!!!!!!』
このチームではなく、この人。
時々センターにやってくるその人は、キレキレでカッコよく、1番に「誰よりもダンスと音楽が楽しくてしょうがない!」という気持ちがダンスや表情から現れていた。腕をカクカクするのかっこいい!と大騒ぎしてたらしい。(1年後、それがTAT DANCEということを知る)
私はどうしてもそれが誰なのか知りたくて、親を中心に調べることにした。しかし、ひとりひとりの名前は出ておらず、見つけるのにとても苦戦した。結局、Youtubeのコメント欄に出てくる名前らしきものを調べて、顔の画像が「例の人」と合うか調べることになった。時間はかかったけど。そしてある日、やっとその本人を発見。彼の名前は
『SOUCHIN』
当時のアルファベットも怪しかった私は親に読み方を教えてもらい、「そーちん!!そーちん!!」と毎日のように叫んでは楽しそうに踊っていたらしい。とりあえずすごく嬉しかったのを覚えています。


2.小学生のオタク!?

幼稚園を無事卒園した私は、ここで驚くことをきいた。
「引っ越す」
親の仕事場の転勤で東京に引っ越すことに決定。
私は、空気もきれいで景色も良くてリラックスできて海もあるこの素晴らしい土地『湘南』から離れたくなかった。もっと言うと、憧れのダンサーSOUCHINとも物理的に離れたくなかった。
当時私は泣いて嫌がったそうですがもう決まったことなので、東京に引っ越した。さようなら、私の湘南生活。

東京に引っ越してからすぐ小学校に入学。
友達もたくさんできて充実した日を送っていたけれど、学年でも珍しいダンスオタクとしてちょっとだけ驚かれた。
小学校中学年。親のスマホを借りてはSOUCHINのTikTokやインスタを見て、「やっぱりSOUCHINは神奈川に今でもいるんだなぁ、帰りたいなぁ」
とよく思いながらも、1年に1回更新される世界大会の動画に彼がいるか探したりして、彼のダンスに日々元気をもらって生活していた。

3.え!?この人ってもしかして…

小学校をダンス動画を見まくって過ごし、学校のテストも80点以上はキープして勉強も頑張っていた時。
2021年4月。
毎朝見ていたスッキリでオーディション番組が始まりまった。
暇つぶし程度に親と一緒に見ていたら
『え!?!?!?!?!?』
東京の1次審査で最初に写った顔に見覚えがあった。いや、見覚えしかない。
急いでお母さんを呼び、一緒に見ていたらやはりダンスが飛び抜けて上手かった。当時からSOUCHINの踊り方やクセをだいたい把握していたこともあり、ダンスを見てすぐに分かった。
「お母さん!!!これ絶対SOUCHINだよ!!」
そのまま見ていたら、いつも私が見ていた世界大会で優勝しているチームに所属していたこともテレビで取り上げられており、確信に変わった。
そこで、今までSOUCHINとしか呼んで来なかった彼の本名を知る。
「島雄壮大」
絶対にこの人をデビューまで応援するという強い意思のもと、THE FIRSTを見続け、無事デビューが確定したときはテレビの前で大泣きした。


3.BE:FIRSTの誕生とBESTY生活の始まり

BE:FIRSTというグループ名を掲げて、デビュー当初から「世界」を目指しているのがとても印象的だった。例えば旧ジャニーズのグループだったり、その他の日本のグループでデビューすぐから世界という大きい目標を掲げているグループはあまり見なかったのでちょっとなれない感じだった。
でも、実際に世界一を複数回経験している元ダンサーSOUCHINが所属しているグループだから、本当に世界に連れて行ってくれるかもという期待とともに本格的にBE:FIRSTのファン(BESTY)となった。
中学に入学し最初は勉強に集中しなさい!と親になんの許可ももらえず生活していたが、英語の定期テストで学年1位をとった時からちょっとづつ規制を緩めてくれた。

4.人生初ライブを捧げる

規制を緩めてもらってから、自分でCDを買うことにした。
タイミングが遅くて3rd Singleからだったけど、3rdがちょうど夏のリリースで、海を彷彿とさせるような曲だったので満足!
その後たくさんの歌番組など、どんなメディア出演も追いかけ、4th Singleも購入。

3rd Single。後列右から2番目が元ダンサーで私の推し
4th Single。真ん中あたりにいる金髪が私の推し

このとき、アリーナツアーが決定したため親にお願いして4th Singleについていたシリアルコードで初日の公演に申し込み。その後一般応募で親との2人分も追加で応募した。
この頃にはもうお母さんもBESTYになっていた(私が沼に引きずり込んだ)ため、いろいろな規制もゆるくなってきていた。
そして、シリアルコードで1人分が当選!私の人生初のライブはBE:FIRSTに捧げることが確定した。

人生初ライブがまさかの1人参戦になって心配なことも多かったけれど、会場まではお母さんがついてきてくれたし、会場入ってからはアドレナリンとかがあったのか全然不安なことがなくて全力で楽しめた!
「BE:FIRSTって本当にいるんだ」って思った!w


5.人生初ファンクラブを捧げる

11月1日に代々木第一体育館で人生初ライブを見て大感動したとともにそーちんのダンスを(席は遠くても)生で体感してダンスへの情熱も増えた。
そしてなによりBE:FIRSTへの愛が増えた。
親にいっぱいお願いして、会費を自分のおこづかいから出すことを条件にファンクラブへの入会を許可してもらった。
↓ファンクラブのことについてはこちらをご覧ください!

結果から言うと、金額の割にメリットが多くて大満足!
ただ、ファンクラブの機能でライブに行った記録がつけれる機能があったんだけど私のファンクラブ入会日が11月3日だったので代々木のライブの記録がつけられなくてちょっと悲しかった😓


6.「世界への通過点」東京ドーム公演

私が代々木のライブに行った次の日。デビュー2周年記念のYoutube Liveで東京ドーム・京セラドーム公演が発表された。
2024年3月2日と3日に開催された東京ドームでのライブ。ちょうどMainstreamがいろいろな賞を受賞してより人気が出てきていたので当たるか心配だったけれどファンクラブ先行で申し込んでS席に親と2人で当選。
貴重な節目になるライブをこの目で見ることができて本当に嬉しかった。

↑当日のレポはこちらからご覧ください↑

2021年1月27日のワンマンツアーの最後のMCでSOTAは「僕たちBE:FIRSTは、近い将来、近い未来にドームでのライブができるアーティストになります。もっと言えば、2024年のうちには皆さんにその景色を見せます。もっと険しい道、高い壁、7人で乗り越えていくのでぜひついてきてください。」とBESTYに誓った。

そして2024年3月3日の東京ドーム公演の最後のMCでSOTAは「ドーム公演は『ゴール』ではなく『通過点』です。僕たちは世界に向けて進んでいくので、ぜひついてきてください。」とBESTYに誓った。

この2つのMCは一生心に残るだろう。

この言葉からもBE:FIRST発足直後に掲げた世界へ行くための強い意思が伝わってきて、最高のライブだった。


7.BE:FIRSTと私のこれから

きっとこれからBE:FIRSTはもっと人気を集め、記録を塗り替えて着実に世界へ進んでいくだろう。それを私は1人のファンとして・SOTAにおいてはオーディション前からの大ファンとして、できることはやっていくし、必ず見届ける。
愛してるぜBE:FIRST!


お読みいただきありがとうございました。
では、またお会いしましょう♪


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