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鮮魚街道七里半[ニ巡目]#1


 -利根川から江戸川まで-
 江戸時代から明治初期、銚子で水揚げされた魚をなるべく早く江戸まで運ぶため、利根川と江戸川を陸路で繋いだ鮮魚街道(なまみち)をめぐる旅の二巡目。
 二〇二一年 千葉県我孫子市布佐

 二〇二一年二月七日(日)十二時。

 再びこの地を訪れた。

 我孫子市にある布佐駅である。初めて鮮魚街道を歩いた時に撮り残した感があるので、もう一度鮮魚街道を始めから歩いてみようと思う。
 前回は九月だったのでまだ灼熱の布佐だった。今回は二月の晴天なので非常に歩きやすい。どうせスナップ撮影で歩くなら、真夏よりは真冬がいい。昔、アートスクール時代、我孫子に住んでいた同級生の宮沢君を我孫子の田舎者だと散々たら馬鹿にしたが、まさかこの歳になって何度も通うとは思わなかった。大人になってから来て見ると凄くいい街である。訂正してお詫びしたい。

 今回は前回の撮影行の反省点を踏まえ、撮りきれなかった部分を補填する目的もある。つらっと書き記すとこんな感じだ。

・布佐駅周辺のさらなる探索
・街道周辺とその脇道の丁寧な撮影
・白井エリアでの明らかな手抜きの反省
・機材エラーがあった五香の仕切り直し
・ゴール地点の曖昧さを解消
・街道民との運命的な出会い♡

 東口から降りる。とりあえず駅前をぐるりと一周してみた。とくに何もなかったが“田舎の駅前感”は堪能したので、利根川の鮮魚街道スタート地点に向かって歩いた。

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 真夏と違う種類の寂しさが街全体を覆う。コロナ禍の所為か通りは誰も歩いていない。利根川の土手に上がるとおじいちゃんランナーがぽつんと走っていた。いや、歩いていた。
 川の向こうは茨城県だが、橋が近くにないので渡ってみるのは諦めた。前回来た時はすぐに鮮魚街道歩きをスタートしたが、今回は少し土手沿いを川上に向かって歩いてみた。
 土手は高台なのでここから鮮魚街道が松戸に向かってまっすぐ伸びているのが見える。この景色もこれで二度目だが今回も「やるぞー!」って気分になる。まぁ、どうせ白井市でそのヤル気元気いわきは打ち砕かれるのだが…。

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 川面にはバス釣りのボートがいる。私の歩くペースとほぼ同じスピードなので、フィッシュオンの瞬間を見届けようと思ったが、まるでヒットしなかった。「そっちじゃなくてもっと杭ぎわにキャスティングしろよ」などと想いながら歩く。
 土手沿いには焦げた煎餅のような色をした古い家屋が土手の高い位置から角度を変えて見えるぐらいで、とくに面白そうなものは見当たらなかった。土手を下る獣道を降りて下道を歩いくことにした。土手の側道はアウトバーンかよってぐらいの猛スピードで車が走っていた。

 鮮魚街道に戻る途中でボーリング場跡地と思われるレトロな外観のナリタヤ食彩館というスーパーがある。
 無駄に広い駐車場を横切ると車に乗った親子が田舎のおばあちゃんと別れるシーンと出くわす。おばあちゃんの家の近所は駐車スペースが無く、娘と孫はここに車を停めておばあちゃんと再会したのだろう。こんなコロナ禍にスーパーの駐車場で祖母と孫の切ない別れ。祖母はいつまでも手を振っているが、母親が車を運転し出すと娘は速攻でスマホをいじっていた。

 もう一度鮮魚街道に戻り、駅まで歩いた。水路に蓋をしただけの誰の土地でも無い長い長いドブ板道に、さもこの街の主のような顔をした猫たちがたむろしていた。
 布佐駅の南口から駅に戻ったが、ダイヤを見ると次の電車があまりにも来ないのでもう一度南口に出て、私のわくわくスーパー布佐店を電車の到着時間ギリギリまで冷やかした。

 JR常磐線で柏駅で乗り換えるのを忘れてうっかり松戸駅まで来てしまったので、松戸の珈琲屋に入り今日の記憶をまとめた。

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