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鮮魚街道七里半#4


-利根川から江戸川まで-
江戸時代から明治初期、銚子で水揚げされた魚をなるべく早く江戸まで運ぶため、利根川と江戸川を陸路で繋いだ鮮魚街道(なまみち)をめぐる旅。
2020年 千葉県印西市浦部-鎌ヶ谷市下総航空基地

 2020年9月19日(土)
 北総線千葉ニュータウン中央駅に降りた。

 午前11時をちょっと過ぎた辺り。気温は異常に高いが、天気はあまり良くない。陽は射しているが、どんよりとした黒い雲が奥で燻っている。
 今日は過酷な道(ロード)が待っている。前回は、なんとかこの駅までたどり着いたが、今回は交通アクセスが悪いので、そうはいかないだろう。バスのダイヤも調べに調べたものの、土曜日だと休日運転扱いなので運行本数が激減する。もしくは通学用のコミュニティバスだったりするのでそもそも運行していない。そこで出た結論は…

 歩けるところまで歩いて、
 帰りはタクシー。

 だった。

 千葉ニュータウン中央駅前を歩いていると、バスロータリーに人が並んでいる。え?なんで。いきなりラッキー!バスが運行している。これから到着するであろう、この想定外のバスに乗っていいのか、悪いのか。私がバスストップに書いてある停車場を調べている間にちっこいコミュニティバスが到着してしまった。客は無表情にぞろぞろと乗り込む。どこに行くかは未確認だが、不思議と客層に年寄りはいなかった。この客達が全てバスの中に吸い込まれたら、バスは発車してしまうだろう。過酷な道程を考えると、時間を短縮し、体力も温存できるチャンスをここで見逃す手はない。私は後先考えずに、えい、ままよ。と停車場を調べるのを諦め、バスに飛び乗った。ちなみに千葉ニュータウン中央駅から鮮魚街道(なまみち)までは北西方向に20分ほど歩く距離。バスは駅から北口と南口をぐるっと大きく循環しているので、近づくか、はたまた逆サイドに行くかは、らんま1/2の確率だ。バスに乗り込むや否や電光石火のスピードで電光掲示板の地名を見て、持ってきた地図に当てはめて行こうとするが、さすがに地元民が足代わりに使うコミュニティバスなので停車場名には具体的な地名の表記がない。さらに電光掲示板は文字数の制限があるので停車場名も端折っている。

 「北口中央」

 という雑な名前の次の

 「郵便局前」

 という停車場で、ふと嫌な予感がしたので、停まりますのボタンを人生で初めて押した。変な所で人生初を消費してしまった。駅からすぐなので「こんな近場で降りるなら歩けよ」という冷たい視線を浴びながら、私一人自動ドアからベイブレードのように弾き出された。

 降りてすぐにグーグルマップで現在地を調べると、やっぱり鮮魚街道とは逆サイにいた。わざわざ北口から、線路をくぐっての南口サイドである。仕方なしにここから鮮魚街道まで歩くことにした。大事なことなので2回言うが、鮮魚街道は千葉ニュータウン中央駅を中心にして北西にある。今、南西にいるので、真っ直ぐに北上すれば自然と鮮魚街道にぶち当たるはずである。まぁ、距離的には駅から歩くのとそれほど変わらないかなぁ。なんて自分を慰めながら、写真も撮らずひたすらになんの変哲もないニュータウンを歩く。

 一本道だったので割とすんなり行けた。

 街道に出る直前のドラッグストアで冷凍カルピスを1本と汗拭き用のタオルを3本買った。タオルは1本だけしか必要ないのだが3本セット売りだった。ガンプラに付いてくるホワイトベース状態である。ジジイの寝間着のような青色の格子柄がプリントされた、普段なら絶対に買わないようなタオルである。それを冷凍カルピスが溶けないように丁寧に巻いて、カメラやレンズが濡れないようにビニール袋に入れて、さらに口を結んだ。
 荷物を減らしたいのに地味に増えている。カバンはすでにカメラ本体を収納できないほどパンパンだ。
 鮮魚街道を歩くと、すぐに印西市から白井市に入る。ここからは非常に危険な道路(デンジャロード)だった。交通量が多い割に道幅が狭く歩道がない。そして両脇は雑木林。雑木林といっても不法投棄の山である。コンビニ袋からマットレス、はたまた洗濯機、夜露に濡れるエロ本に至るまで、様々なモノが投棄されていた。さらに厄介なのは、雑木林と道路の境界が曖昧なところである。はっきりと境界があるところは大きな水たまりだったりする。その脇をダンプカーが、ぶしゅーとか言いながら、凄いスピードですれ違うのだ。

 わたしゃ生きた心地がしませんよ。

 殺風景な工場がいくつか現れてくる。ナンバーのない自動車がクレーンに吊るされ、エンジンやらなにやら内臓をえぐり取られている。東南アジアなのか、南米なのか、はたまた中東なのか。浅黒い異国の男たちが解体作業をしていた。もちろんカメラを向けるとヤバそうな空気。そんな自動車解体工場がいくつもあった。

 その次は白井工業団地である。道路は整備されて、比較的大きめの工場が軒を連ねる。土曜日なので、全ての工場は門扉を固く閉ざし、閑散としている。歩きやすくはなったが、くそ面白くもない。
 突然パラパラと雨が降ってきた。私は卑屈な男なので、Leicaが雨に濡れるのが嫌なのだ。なのでLeica M9を鞄にしまい、代わりにSonyのRX-100を取り出した。前回、M9が電池切れで予備電池も忘れてしまい、撮影出来なかった反省も含めて持ってきたサブ機である。初期設定でカメラのスイッチを入れると画角は35mm、絞り値はF8に固定して起動する。これだとツァイスのレンズでテッサーからゾナーに変わっただけということになる。ならんか。
 そもそも暑いから、強まってきた雨もそんなに苦にならなかった。土曜日の工業団地に雨宿りするような場所はない。しばらくして雨は止み、またカメラをM9に持ち替えた。この白井工業団地ゾーンも長かった。
 喉が渇いたが、ドラッグストアで買った冷凍カルピスは1mmも解凍されていなかった。

 強烈に厳しく退屈な道が延々と続いた。

 もう二度と来ない!そう思ったが、しばらくして、次回からはこの区間だけ自転車で来ようと考えを改めた。結構な数の梨園の前も通ったが、今年は長雨で不作らしく、ほとんどの店先に「売り切れ」とダンボールにマジックで書いてあった。

 レインボーバスのバス停から若いカップルが降りてきた。そもそもバスが通ることすら珍しいが、カップルが来るようなアミューズメント施設は無い。あの大慶園は遥か彼方である。撮影しているフリをして、カップルの会話を盗み聴きしていたのだが、どうやら彼がバスを乗り間違えたらしく彼女はカンカンである。せっかく白いワンピースなんか着ちゃってヒール履いてオシャレしても、この地獄のような田舎道ではただ歩き辛くて悪目立ちするだけである。カップルは時刻表を見て白目を剥き、私とは逆方向にプンスカプンスカと歩いていった。

 国道16号線が見えてきた。ここで一つ楽しみにしているミッションがある。国道16号線沿いにある家系ラーメン「寺田家」に行くことだ。昔は結構な頻度で食べに来ていたのだが、最近は全然来れていなかった。昨今では家系ラーメンが巷に溢れ、選択肢が増えたからだろう。たしか、ここの「青ネギラーメン」は美味かったはずだ。ルート上、目の前を横切るのに寄らない手はない。(本当は50mほどコースを逸れる)。14時、ガラガラと引き戸を開けて店内に入った。昼どきを完全に過ぎても、客はまあまあ入っている。食券を買い、お冷を自分で注いで、濃厚豚骨わがままボディの店員に席を案内される。
 味の好みを聞かれたので「全部普通で」と答えた。基本的に家系ラーメンは、自分の好みに味を調節出来る。

 麺 硬め-普通-柔らかめ

 脂 多め-普通-少なめ

 味 濃いめ-普通-薄め

 と、こんな感じだ。

 私は久しぶりの来店なので初心に帰り全部普通の味にした。それにしてもやっと座れた。昼から歩き通しで、さすがに足がじんじんする。10年前と変わっていない店内を見回してマスクを外す。すると黒いTシャツを着た濃厚豚骨わがままボディな店員さんが速攻でかけ寄ってきて、ラーメンを提供するまでマスクをしていて欲しいという。そういうことなら全然OKだ。客と従業員の健康に配慮していてくれているので、悪い気はしない。私はマスクを付け直し、ひたすらにラーメンを待った。

着丼!

 ここで獣神サンダーライガー山田ばりに堂々とマスクを外す。懐かしや。私が求めていたのは、青ネギが丼を覆う、このビジュアルである。さっそくネギもろとも麺をむんずと掴み、ずるずるとすする。美味い!これこれ、この味。少し豚骨がマイルド&クリーミーになった気もするが、これは私が年老いたせいだろうそうだろうそうしよう。青ネギを一つ残らず掬っていたら、スープまで見事に完食してしまった。まだ若干足は痛むが、人気ラーメン屋なので早々に店を出た。

 このわずか10分程度のラーメン休憩が、実は結構大切だったと後から気がつく。店を出て、国道16号線から鮮魚街道に戻り、10分ほど歩くとなにやら下腹部がズドーンと痛くなってきた。すっかり忘れていたが、毎回ここのラーメンを食すと破壊的な「お通じ」が来るのだ。ピンクの小粒2万t以上の効果だ。何気なくコンビニを探す。この「何気なく」が重要で、慌ててトイレを探しているのを腹痛様に悟られないようにしている。だが、目視できる近くにコンビニは無い。目に付いたのは「V-Zone」というパチンコ屋だけ。V-ZoneのVがヴィチグソにすら見えてくる。パチンコ屋という最悪の危機回避と寺田家に戻るという恥ずかしい選択肢を想像して、腹痛様のお怒りをなんとかやり過ごした。

 国道16号線という関東有数の産業道路を一本逸れるだけで、鮮魚街道は車の喧騒から、静けさを取り戻す。フォトジェニックなものは何もないが、町全体の空気感は心地よい。一旦、谷間を経ての登り坂の途中に金毘羅宮と常夜灯があった。現存する数少ない鮮魚街道の名残りである。ちょうど中間地点だったらしく、ここで駄足人夫たちは休憩をとり、魚に井戸の水をかけて、再び出発したそうな。そんな解説パネルを読んで、ふむふむ言っているのは私だけである。その証拠にパネルは朽ちてひび割れ、文字を読むのも精一杯なのだ。
 常夜灯の写真は一応押さえたが、恐らくnoteでしか発表しないだろう。今回こういった鮮魚街道のなごりのある史跡や石碑、パネルの類いはなるべく写真として発表しないようにしている。資料的な要素を一切取り込まず、現在の鮮魚街道とその周辺の街並みや人々の暮らしがテーマだからである。史跡散策なら私がやらなくても、他にいくらでも詳しいサイトや資料がある。

 寂れた雰囲気のいい坂道を登るとすぐに自衛隊の航空基地が見えてきた。そのフェンス沿いにしばらく歩くと、古びた屋根付きのバス停があった。鎌ヶ谷線と書いてある。寺田家で休んだので頑張れたが、もう足は限界まで来ていた。バスの時刻表を見ると10分後に来るらしいので、ベンチに座ってバスを待つことにした。時間潰しに司馬遼太郎の「街道をゆく」を読んでたら、あっという間にバスが来た。航空基地前のバス停で待つ私を通り行く人が見たら屈強なソルジャーに見えただろう。

 貸切状態のバスに乗り込み、東武アーバンパークラインの高柳駅に着いた。そこから新鎌ヶ谷駅まで電車で移動して、乗り換えついでにVIE DE FRANCEというパン屋兼喫茶店に入る。東武系の駅によくくっ付いてるチェーン店だ。アクリル板に遮られ、隣りの女性とソーシャルディスタンスを保ちながら珈琲をすすった。

 恐らくこの街道一番の難所を越えたであろう充実感と疲労感。いつまでも足がじんじんと鳴っていた。

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