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鮮魚街道七里半#7

 -利根川から江戸川まで-
 江戸時代から明治初期、銚子で水揚げされた魚をなるべく早く江戸まで運ぶため、利根川と江戸川を陸路で繋いだ鮮魚街道(なまみち)をめぐる旅。
二〇二〇年 千葉県松戸市五香-松戸市八柱

 二〇二〇年十一月八日(日)。
 今日は母親のデイサービスがお休みなので昼食を食べさせ、夕飯用に助六寿司をテーブルに置き、家を出た。これで私は夜まで外出できる。母親は腹が減ったら夕食を食べ、薬を飲んで寝るはずである。  
 注意事項を細かく紙に書いて、ペタペタと貼ってある。ポットには「お味噌汁用のお湯」とマジックで書いた。食器の横には「食器は片さない」。薬の横には「薬の包装紙は捨てない」。ここまで書いても、台所の流しに食器を流しに置いて水に浸けたりする。そして、すてーんと転倒するのだ。
 まぁ、いい。とにかくやるべきことはやっておいた。夜には帰ってくる。きっと生きているだろう。後ろ髪を引かれながらもカメラを抱えて最寄りの駅に向かう。
 駅前の駐車場を横切る時に遊んでいる子供に笑われた。理由は分かっている。私の被っている帽子のことであろう。とんでもなくデカいのだ。子供はオナラを臭いと笑うし、帽子をデカいと笑う。そういう生き物なのだ。

 新京成線に乗り、五香駅に着いた。この五香駅には土地勘がある。毎年正月に御年賀の品として、ピーナッツサブレを買うのだが、そのお店がここ五香駅にある。つまり一年に一回は五香駅に降りているのだ。
 さらにはMaaa!さんというカッコいい弾き語りアーティストのライブを観にリンネというライブハウスにまで行っている。あの夜は良かった。そうして方向感覚に対して絶大なる自信を持って五香駅の松戸側の出口に降りた。

 逆側だった。

 もう一度階段を上がり、駅に戻ってやり直した。自分の方向音痴には、父ちゃん情けなくて涙でてくらぁである。

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 駅のロータリーを抜けて、ひっそりとした路地に入る。駅前の開発に失敗して、手付かずの土地を無理矢理駐車場にした下手なテトリスのような隙間だらけのエリアが広がる。そこを抜けたら古い模型屋があった。この模型屋は覚えている。三〇年以上前にここを通った記憶がある。店構えはその頃と少しも変わっていないはずだ。
 ショーウィンドウに飾られた大きなラジコンを横目にさらに歩き進めると、道幅、うねり感、寂れ具合、これぞ裏街道と呼ぶにふさわしい趣きの鮮魚街道(なまみち)が伸びる。
 向こうから一眼レフを首から下げて地図を見ながら歩いてくる男性がいた。印西ではフジフイルムのコンパクトカメラを携えた紳士と挨拶したので、今回もヤエーあるかなと思ったが何もなくすれ違った。不思議なもんで、彼がぶら下げていた撫で肩の最新型一眼レフを見た時から、なんとなく挨拶が無い予感はしていた。もちろんこちらは1センチほどペコリと頭を下げている。
 県道二八一号線の1本裏を平行に進む。子和清水という養老伝説のある交差点から、街道はここから交通量の多い県道二八一号線に合流する。
 ガソリンスタンドから懐かしい族車に乗ったあんちゃんが出てきた。臆することなく写真に収めた。二八一号線上に鮮魚街道の標記があるのだが、それと平行する裏道を見つけた。布佐から鮮魚街道を歩いている自分の感覚を信じて、そっちを歩くことにした。

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 緩やかな谷地を下って上る長い長い一本道で、ありんこのように小さくなった人たちが遠く遠くで道を渡っている。下りは古い民家、上りは新興住宅地というはっきりと別れた地域。
 少し陽が傾いてきているなか、余力を残して八柱駅に着いた。いつもライブハウスでの箱入り前に時間調整で使う駅ビル内の喫茶店ベローチェに入り、珈琲をしばいた。
 一人珈琲を啜りながら、今日の撮影行のメモを整理していると、真隣りにじいさんがBOAばりにタイトなケツをねじ込んできた。コロナ禍により三密が叫ばれる昨今、内心ムッとした。他に空いてる席ならいくらでもある。そんな私の怒りをよそに夢中で読書をしているじいさんの本は大川隆法著だった。おそらく彼の定位置の席がここなのだろう。

 次はいよいよここ八柱からゴールの松戸まで行く。稔台を過ぎると途中に駅がないので、そこからは一気に松戸まで行かなくてはならない。
無事にこの旅を終えることが出来るのだろうか。

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