3年前、集英社に応募し落選
3年前、集英社に応募し落選した小説です。その中で描いていたのは、今都議選で石丸伸二さんが力説している内容と同じでした。教育がどれだけ社会に影響を与えるか、その重要性を強く感じていました。教育の価値について描来ました。
最終話 七色の虹が
世界は、日本は、世間は、大小路秀興を探し求めていた。この絶好調な経済を更に勢いづかせるために、何をどうしたらいいのか、その方向性に行き詰まっていたからである。
夢は叶えるためにある。
見るためにあるのではない。その夢とは、名誉と地位と権力を手に入れ、誰にも真似のできない最高の贅沢をすることだった。そんな儚い夢を追い求めていたことに気づかせてくれたのが、道の駅でのたくさんの出会いである。
「鳩子、どこに行った。一体何をしている。残してやらないぞ。ソフトクリームが溶けだしているじゃないか……」
道の駅のベンチに座り、そんなことをつぶやきながら秀興はソフトクリームを食べている。そのときだった。一人の記者風の男が近づいてきた。
「大小路秀興さんではないですか?」
「いえ、人違いでしょう。私は松任谷です」
その瞬間だった。「探し求めていたあの世界を震わせた大小路秀興がここにいる……」
その男が大きな声で叫んだ。あっという間に人だかりとなり、道の駅は騒然となった。野次馬が押し寄せてきた。ものすごい数の携帯カメラである。その写真が、動画が、SNSでライブ配信された。ほんの数分で、日本全国、日本の裏側、アメリカをはじめ全世界に特ダネとして流れた。
そのニュースが流れた途端、株価はみるみると跳ね上がっていった。総理官邸にも激震が走った。日本銀行総裁主催の会食会は乾杯音頭を目前にして中止となった。
一番驚いたのが、アメリカ大統領フォードソンである。フォードソンは、混迷している世界をどのように舵をとっていったらいいのか、アメリカ国内をどの方向に向かわせればいいのか、自信を失っていた。大統領選も迫っている。支持率は大きくダウンしている。そのためにもなんとかしなければ、と焦っていた。その対策案を秀興に指導を求めたかったのである。
「秀興と会いたい。頼むから。俺とお前の仲だろ……」
フォードソン大統領は伊倍総理大臣へダイレクトラインの電話で懇願していた。
「大小路秀興。道の駅でソフトクリーム!」この動画が何度も何度も各局のニュースで流れている。
世間は秀興に恥じていた。それはいままで数え切れないほどの恩恵を受けたのにもかかわらず、たった一度の失敗を取り上げて、大騒ぎし袋叩きしたのだからである。あの功績があったからこそ、今の好景気がある事に気づき、秀興に嫉妬していたこの社会機構を恥じた。己の小さは器で秀興を見ようとしたことに恥じたのである。
秀興は未来を考えていた。未来を見据えている。そのために今何をしなければならないか、を考え行動していた。
100年先、200年先の未来、その未来とは、未来を担う子どもたちである。これが全てである。ここからはじまるのである。そのための教育というのが「健康で、相手を思う優しさを、常識豊かに、いっぱい人と触れ合って、お父さんお母さんに感謝を持って、親孝行のできるような、本をたくさん読んで、良識豊かになって」これこそが原点ではないか、これをなくして学問だけが先行してはならないと……。
大小路秀興の騒ぎはひとまず収まった。秀興は、伊倍総理大臣の顔を立てフォードソンとの電話会談を引き受けた。日本側から参加したのが、伊倍と通訳の鳩子。アメリカ側で参加したのはフォードソンと通訳。秀興を入れて五名である。
「秀興さん、忙しいところこんな機会を設けていただいて感謝しています。今日はよろしくお願いいたします」
フォードソンが開口一番挨拶をした。
「すみませんが、この会談は六時までとさせていただきます。七時をすぎると、私は夕飯を一人で食べることになるのです。これは松任谷家の決まり事なのです。イメージしてください。私が寂しくひとりでハヤシライスを食べているところを……」
秀興がそう返事をした。
「秀興、わかりました。家族のルールは大切ですから……」
フォードソン大統領が恐縮しながら返事をした。
「ありがとうございます。了解していただいて感謝です。ところで、フォードソン大統領、あなたは、なんのために大統領になったのですか……」
「国民の繁栄と幸せのためです。そのためには経済を発展させなければなりません。経済発展こそが私の使命だと……」
「ではなんのために、国民の繁栄と幸せと経済の発展が必要なのですか」
フォードソンは無言である。なんと返事をしたらよいのかわからない。批判することは得意でも理路整然とした具体論への対応は苦手だった。
「私は思います。あなたには『なんのために』の具体論がかけているのです。それをアメリカ国民は感じているのではないでしょうか。もうひとつお訊ききまします。フォードソン大統領が考えているアメリカ合衆国の生命線とはなんですか」
「……」
首を横に振ったり縦に振ったりしているだけで、無言は続いている。
「フォードソン大統領、愛を基調として、平和・文化・教育をめざしてきた国、戦争と平和・差別と平等・貧困・豊かさ、そして人間主義を大切にして人間を差別することなく基本的人権を守って来た国、それがアメリカ合衆国だと思います」
鳩子の通訳には優しさがあって、思いやりが溢れていて、聞き手を安堵させてくれていた。
「フォードソン大統領、私は思います。傲慢からは何も生まれないと……。異なった文化を、異なった価値観を、それを融合して受け入れてきた。だからアメリカ合衆国は、強く逞しくどんな困難にも立ち向かっていけたのではないでしょうか。スポーツの世界も、映画の世界も、音楽の世界も、シリコンバレーでも、経済の面でも……。そこには口先だけでない愛と行動がありました。だから英雄がたくさん生まれてきたのだと感じています」
「そうですね。私もそう思います」
伊倍もそう言って、うなずいている。
「今でも世界中の人はアメリカに憧れを抱き、夢を求めています。アメリカンドリーム、それがアメリカの生命線、私はそう思います」
フォードソンは何かを掴み取ったようである。何かを感じたようである。今まで下を向き秀興とは視線を合わせなかったが、顔を上げ正目を向いている。
「フォードソン大統領、私から提案があります。一つは大統領選に出馬しないことです。次の候補者を全面的に支援する方法です。そうすれば、その後のあなたは安泰でしょう。会社もプライベートも……。もう一つは、出馬して荒海に立ち向かうことです。勝利を目指し徹底的に戦うことです。ただ落選したら厳しい現実が待っているでしょう。今までの反動がありますから。いずれにしても、どれを選ぶのかはフォードソン大統領、それはあなたです。フォードソン大統領がアメリカ合衆国を良くしたいとの気持ちで頑張っていることはよくわかっています。トップは孤独だということも……」
電話会談は、その後二十分間続いた。秀興は、フォードソンから相談を受けたことには抽象論ではなく、自分の体験から得た具体論で答えた。
フォードソンは何かを決意したようである。迷いを吹き払えたようなスッキリとした顔になっていた。
「松任谷秀興さん、私もそばでお伺いして感動しています。そのとおりだと感じています。本当にありがとうございました」
「伊倍総理、私利私欲からは何も生まれません。私はそれを感じています。それを教えてくれたのが、庶民のみなさんです。国民のみなさんでした。今度は伊倍総理に御伺いたします」
「はい、何でしょうか」
「いまやらなくてはならないのは何でしょうか」
「フォードソン大統領と同じです。経済と無駄な支出を減らすことです」
「支出を減らしながら経済発展させる方法、それがあるとしたら実行しますか」
「もちろんです。即決です」
「そうですか。では即、実行しましょう」
「それはなんですか」
「簡単です。未来を作る子どもたちへの投資です」
「投資?」
「そうです。投資です」
秀興は厳しい眼差しで話をした。子供たちに教育という種をまけば、将来、犯罪とか、大麻とか、殺人とか、社会を脅かすことが減る。その代わり、スポーツで、文化で、研究で、医療で、コンピューターで、技術で、経済学で、ありとあらゆる分野で日本に貢献する。いや世界に貢献する。それに取り組むべきであると力説した。
伊倍は無言で大きくうなずいている。気がつかないでいたことに気づかせてくれた秀興に、心から感謝の頭を垂れていた。
秀興はもう行動に出ていた。スピードなのである。そのための資金を得ようと、テレビ出演、ラジオ出演、英栄社の大手出版社から「道の駅の片隅で」を出版。秀興と鳩子の体験小説はベストセラーとなっている。そればかりではない以前、鳩子にプレゼントした50億とも60億とも騒がれていた新宿川の由緒ある平屋の家を「秀ちゃんと夢を共有したいから、子供未来育成会設立の一部にして」と言ってきた。
優秀な人材というものは、優秀な、尊敬するマネージャーを求めている。全世界から大小路秀興を求めて集ってきた。
年収何億ドルの者、ITで世界を一世風靡した者、声アンド声というSNSで世界を一世風靡した者、つぶやきませんかのSNSで世界を一世風靡した者、シリコンバレーの夢多き若者。ありとあらゆる分野からである。
「ところで伊倍総理にお願いがあります」
「何でも言ってください。私にできることは何でもします」
「そうですか、それではお願いします。私は松任谷秀興を大切にしていきたいのです。仕事の顔は、大小路秀興です。ですから公の場所では大小路秀興と呼んでいただけるとありがたいです」
「わかりました」
「ありがとうございます」
もうすぐ七時になるからと、秀興は席を立った。そのうしろを通訳の鳩子がついていった。
伊倍が鳩子を呼び止めた。
「鳩子さん、素晴らしい通訳でした。やっぱりハーバード大学出身は違います。私は感動しました。単なる通訳ではなく、相手に感動を与える通訳でした。どうかお願いします。日本のために、世界のために、総理大臣専属の通訳を引き受けていただけないでしょうか。総理官邸にお力をお貸しください」
「お誘いありがとうございます。わたしを必要な時はいつでも言ってください。でも専属にはなれません。わたしは秀興の専属しかなりたくないのです」
と言って、総理官邸からのオファーを丁寧に断った。
鳩子の経歴には驚きました。ハーバード大学で博士号を取得、卒業後はイップル社で開発部門のマネジャー、ユイクロソフトではマーケット部門のマネジャー、そしてアミゾンでは流通事業部事業部長、アメリカトップクラス企業を渡り歩いていました。でも頑張りすぎたのです。過労で緊急入院、そして日本に帰国。
鳩子はベッドの上で考えたそうです。普通の会社で、普通に働き女性として普通に生きていければと……。そんな時、叔母からの見合い話に興味を持って、打算的な結婚、そして失敗です。
私は仕事で失敗しました。鳩子は結婚で失敗しました。失敗した二人が手を取り合って、今ではこんなに幸せな人生を送っています。
これは失敗のおかげです。失敗したことによって、生き方を改めることができたのです。結果的に成功へと繋がったのです。
私も鳩子も一度や二度、いや何度失敗をしても、くじけるべきではないと実感しています。もちろん、同じ失敗を繰り返さないために、原因を追究しやり方を改善しようとする姿勢は大切です。いまの私達の人生は「失敗は成功のもと」です。
ちなみにですが、ハーバード大学(Harvard University)は、アイビー・リーグのひとつで、イギリス植民地時代の1636年に設置されたアメリカ最古の大学で、アメリカ合衆国のマサチューセッツ州ボストン近郊のケンブリッジに位置している総合私立大学です。
秀興が鳩子の履歴、それを知ったのはごく最近のことだった。こんな凄い人材がそばにいるとは、なんと幸運の持ち主なのだろう。羨ましい限りである。
秀興は、物欲・金欲には興味がなくなっていた。二人の住まいは鳩子と一緒に暮らした築二十年、木造二階建ての六畳と四畳半の二間のアパートに戻ってきている。
食事も最高級の和牛ではない。朝食は納豆とたくあん、時々生たまごである。別に無理をして、売名行為でやっているのではない。それが好きなのである。
車はいらない。電車に乗るから。でも温泉だけは好きなので、月二回は行っている。近所の健康ランドに……。
そんなケチくさいことして、善人ぶって何になる。腹のたしにもならないのに……。
人生は一度だけじゃないか、贅沢三昧の好き放題の人生がどれほど楽しいのか、と資産何千億の金持ちが上から目線で秀興に言っている。
人生は一度だけ、贅沢三昧の好き放題の人生。それには賛同している。ただ秀興の「贅沢三昧の好き放題の人生」の捉え方が変わっている。違っていた。
親に捨てられ親をなくし助けを求めたくても求められない、そんな子供たちが全世界に数え切れないほどいる。そんな子どもたちが人間らしく生きて、未来に羽ばたいていけるための環境づくりが、秀興と鳩子の「贅沢三昧の好き放題の人生」なのである。その資金投入は資産何千億の金持ちが上から目線で言っている金額ではない。スケールが違うのである。その何倍、いや何十倍である。
そんな秀興がぼやく。
「深すぎてわからないことが多すぎて、小さなこの私の力でどこまで変えられるかと弱気になったりするときもあります。いやそうではない私が変える。いや変えられる。変えてやるのだとの決意に変わったりもします。決意が揺らぐたび後押しをしてくれるのが最愛の妻、鳩子です」
「秀ちゃん、負けないでね。応援しているから。正しいことをやっているのだから、必ず結果は出るから」と……。
動けば動くほど感じています。幸せを論ずるのは難しいと……。
目指す幸せ像、それをそれぞれの人がそれぞれに持っています。不幸になりたいと思っている人はいませんが、その幸せ像を決めるのはその人なのです。私がやっていることは、そのきっかけづくり、背中を押してやること、それだけなのです。
春が来た。雲の切れ目から赤い陽がもれて、西に見える川面に反射していた。東側の公園はシダレ桜、ソメイヨシノ桜が満開に咲いてピンク一色となっている。職場の仲間、町内会、子供会、学生達が集まって、公園は楽しいひとときの社交場となっていた。
秀興は不思議な感覚に襲われていた。いつか夢に出てきた公園と同じなのである。見覚えがある。初めて来たとは思えなかった。今日はこの公園で、ある一人の男と待ち合わせをしている。
「あの人かしら……」
鳩子はそう言いながら、ソメイヨシノ桜の下の白いベンチに近づいていった。そのうしろに秀興はついていった。
なんと声をかけようかと、メイヨシノ桜を背景に秀興と鳩子は男の前で棒立ちとなっている。そんな二人の姿、素敵である。素敵なツーショットだ。絵葉書の一枚になってもおかしくない。
二人の姿に気づいたようで、秀興を見上げながら男は言った。
「秀興さんですか……」
「はい……」
「似ています。目元がそっくりです。当たり前ですね、親子ですから……」
そう言って、その男は立ち上がり秀興に握手を求めてきた。秀興もその勢いにつられて手を出し握手をした。温かい手だった。優しさを感じるぬくもりが伝わってきた。
「秀興さんのお母さん、あの高台で待っています。ご案内いたします」
息をハウハウいいながら高台を十分くらい歩いた。眼下に、優しくも温かいピンクで埋めつくされている桜の木が公園いっぱいに広がっていた。
「ここです。ここに眠っています。いつも秀興さんの話ばかりをしていました」
「そうでしたか……」
「お母さんは喜んでいました。『秀興があんなに立派になって』と……」
「そんなことないです」
「勘違いしないでくださいね。世界を一世風靡した時の秀興さんのときは嘆いていました。あんな育て方をした私の責任だと……。それがすべてを失ったときです。『秀興もこれで人の痛みがわかる人間になってくれる。そこから本当の幸せをつかむことができる……』そう言って喜んでいました」
「喜んだ。私が失敗したときにですか……」
「はい、そうです」
「失敗を喜ぶとはひどい母親ですね」
「相手の痛みを我が痛みと感じてほしかったのだと思います」
「我が痛みと感じる……。深いですね」
「お母さんは最高の人生を送ったと思います」
「どうしてですか、あなたと一緒の人生を送れたからですか」
「それもあります。それは当然です。私は彼女を愛していましたし、彼女も私を愛していましたから……」
てれ笑いもせず真顔でそう答えた。そして話し続けた。
「彼女は言っていました。『死に直接向かえない人生は、心の底から生きるという歓喜にも向かえない。だって、生と死は表裏一体なんですから。わたしはいつ死んでもいい、早めに死んでもいい、どんな死にかたをしても悔いはないの……』私はその言葉に、共感と感動を覚えました。そんなすばらしい女性とめぐり逢えたその自分自身の福運にも感謝しました」
男の言葉に耳を傾けていると、優しい風と一緒に桜の花びらたちが秀興の頬に触れって行った。
「彼女が目を閉じる直前に言ったのです。『秀興が鳩に乗って公園に来たのよ。わたしは秀興と会っている。最期の最期に……』そう言って笑みを浮かべて、霊山へと旅立っていきました」
母が何を伝えたかったのか、秀興は分かったようなそんな気持ちになっていた。
「そうなんだ。生きるとは死を歓喜として捉えられるかどうかなんだ。でなければいつも死を恐怖と捉えながら生きていかなければならない。死にたくないと怯えてた人生をおくらなければならない。怯えない人生をおくるには、それは人に貢献するという心なのだろう……」
秀興はお墓の前で母とそんな対話をしていた。鳩子がそっと背中を擦った。
「秀ちゃん、すばらしいお母さんね。お会いできなくても手に取るように伝わっているわ。わたしにも……」
七色の虹が桜満開の公園を包み込むように、大空いっぱいに広がっていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?