【社会的処方例からの気づき】病棟で行う禁煙指導が柔軟になる可能性
こんにちは。東京のとある病棟でパート看護師をしているはなといいます。
今日は、入院患者さんに実際に行った「禁煙指導」の場面と社会的処方例を比べ、禁煙指導の概念が広がることに気づいたことを書きます。
一方通行の禁煙指導
禁煙の重要性を説明
細菌感染によるCOPD憎悪で入院された患者さん。下町のおばちゃん風のガハハハッと笑う方で、毎日30本のたばこを吸うヘビースモーカーでした。
当然のごとく、医療者の私たちは、禁煙について話をするのです。
下町のおばちゃん風のガハハハッと笑う患者さんを受け持った看護師は、禁煙する必要性、禁煙しない怖さ、などを話し、看護記録に「禁煙指導を行った」と書きます。
医師は、ガハハハッと笑う患者さんのもとを訪れ、検査や病状の説明をしたり身体所見の観察をするときに、「禁煙しなきゃだめだよ」と話します。
下町のおばちゃん風のガハハハッと笑う患者さんは、「もうタバコはこりごり。こんなつらい思いするなんて。もうやめるわ!ガハハハッ」と答えます。
禁煙は本人次第
病状が改善し、家族を含めた退院指導を行ったとき、家族に「禁煙のサポートをお願いします」と伝えると、「もちろんです!次吸ったら死ぬよって言います!」と答えました。
しかし、そんな家族みんなの衣服からは、たばこのにおいがプンプンするので、家族全員が愛煙家な様子でした。
そのため、きっと下町のおばちゃん風のガハハハッと笑う患者さんは、退院したらまたタバコを吸うんじゃないかなぁ、と看護師同士で話をしていました。
病棟ではやることをはやった。
大切な禁煙指導はやった。
あと、禁煙をするのは下町のおばちゃん風のガハハハッと笑う患者さん次第。
社会的処方の禁煙は肯定がベースにある
喫煙を通して健康を考えるきっかけづくり
社会的処方例として紹介されていた活動は3つあります。
愛煙家で集まりお茶とたばこをたしなみながら自由に語り合う会。
愛煙家で登山を楽しみ、頂上で一服する会。
タバコがテーマの座談会。
いずれも、禁煙を積極的に促さない、喫煙者を排除しない、喫煙を肯定する場でした。
喫煙家同士で、タバコを吸い始めたきっかけ、タバコを吸うことへの思い、タバコを吸うことによる周囲への気遣い、どのように迫害されているか、などを語りあう時間。
人を動かすもの
社会的処方の例として出てきた喫煙家のAさんは、禁煙は無関心だったが喫煙を肯定する会には参加できました。
その結果、喫煙を通して健康を考えるきっかけとなり、禁煙をすることができたのです。
私の周囲で禁煙に成功した例は、「妊娠」です。
タバコを吸うことで、おなかに授かった大切な赤ちゃんに害を及ぼしてしまう。
そんな思いは、すぐさま禁煙行動へつながりました。
心配している気持ち
大事にしたい気持ち
心配してくれている人がいる
誰のために吸い
誰のためにタバコをやめるのか
このような気持ちに気づいてもらことが、禁煙には重要なことである、と社会的処方には書かれています。
矢印の方向の違い
病棟で行った禁煙指導の矢印
最初に書いた、私の職場で実際に行っていた禁煙指導は、医療者から患者へ向かった矢印。
喫煙は悪である。だからやめましょう。
社会的処方の禁煙を促す活動の矢印
社会的処方例として挙げられた活動は、いずれも、喫煙者同士の矢印がごちゃまぜに向いている。
病棟では「喫煙者」というレッテルを貼られた存在であっても、社会的処方例では、誰かの禁煙を促すことができる存在にもなりうるのです。
今後の病棟看護で活かすこと
最初に書いた、下町のおばちゃん風のガハハハッと笑う患者さんのことを振り返ると・・・
家族みんなが愛煙家である様子。
そんな家庭環境では、きっと禁煙はムリ。
そう決めつけた私でした。
しかし、社会的処方を読み、実際の社会的処方例を知ると、柔軟な視点が持てることに気づきました。
喫煙が原因の病気が感染を機に悪化して入院した。
そんな事実は、愛煙家の家族たちにとって「気づき」になるかもしれない、という希望。
退院指導時に、「家族みんなでタバコについてどう思っているか話し合ってみてはいかがでしょうか」という声かけができるかもしれない。
時間が許せば、退院指導時に、愛煙家の家族とともに、タバコについての思いを語る時間を作ってみたらどうだろうか。
このように、「愛煙家の家族だから禁煙はムリだな。」という、突き放した考え方を、柔軟な視点に置き換えられるようになるのです。
社会的処方は、「地域の人間関係の希薄化・孤立化」を、地域とのつながりで治そう、という試みです。
その考え方は、こうして病棟看護でも役に立つのでは、と感じました。
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