2020/12/21~2020/12/27

12/21
今日も昨日のM-1でのマヂカルラブリーのネタを観てしまった。やっぱり何度観ても面白い。そして何度観てもあれは"漫才"だ。疑う余地なんてこれっぽっちもない。準決勝の時と比べて終盤村上のツッコミをマイルドにしていたのも、お茶の間に向けたM-1決勝という場に見事にマッチしていて、最後まで一切ネタに妥協しない素晴らしさが垣間見えている。いやー、本当にマヂカルラブリーが優勝してくれて良かったな。マヂカルラブリーのお陰で多分明日も気分はいい気がする。
M-1のマヂカルラブリーを何度か観返した後は、月曜日のお決まりとなった「魔進戦隊キラメイジャー」を観た。フリースタイルラップバトルで敵と戦うという回で、「フリースタイルダンジョン」や「ヒプノシスマイク」を彷彿させる素晴らしい回だった。全員の決め台詞シーンでは、興奮しすぎて思わず立ち上がってしまった。キラメイブルーがヘタレと言われているのも最高だった。もうキラメイジャー熱が高まりすぎて、YouTubeで公開されているヒーローショーを観てしまった。もうカッコいいという感情以外沸かなくなってしまった。今のヒーローショーってこんなにアクロバティックなんですね。キラメイブルーが邪面師を切りに行くところはカッコよすぎてちょっと鳥肌が立ちました。


ヒーローショーのフェイズはもうクリアしてしまったので、次の段階はもういよいよキラメイダンスを覚えるくらいしか残っていなさそうだ。




12/22
数えてみたら、プリキュアがあと5話しか残っていない。予告を見た感じだと、今年はプリキュアメンバーがサンタになるクリスマス回が無いみたいだ。この感じだともしかしたら正月回も無いのだろうか。敵はまだ全員残っているし、ラスボスは姿すら見せてない。あと5話で本当に終われるんだろうか。最高のプリキュアだっただけに、ラストで崩れてほしくはない。心配だ。
今日は「作:斉藤倫、画:くりはらたかし / クリスマスがちかづくと」を読んだ。去年のクリスマスが終わった頃に買って、今年のクリスマス目前に読もうと1年ずっと温めていた。1年間も温めてしまったけれど、温めた期待を裏切らない素晴らしい作品だった。1P目からの斉藤倫さんが書く文章の美しいし、2P目からのくりはらたかしさんが描く絵のキャッチーだし。もう最高!最高!最高!って感じです。それにしても斉藤倫さんの作品は絶対に好きになってしまうな。もうすぐそこまで来ているクリスマスに向けてこの物語のことを想像できるなんて。これはもうクリスマスプレゼントみたいなものだ。


12/23
Netflixの「地球外生物の世界」を観終えた。根拠のある設定と適度に気持ち悪いCGで良かった。地球の外に目を向けることで、地球に目を向けることにしっかり繋がっている点も良い構成だと思わずにはいられなかった。高度な知的生命体にスポットを当てた"テラ"回を観て、"あ、宇宙にメッセージ送信してるのね"と「三体」の影響でちょっとビビってしまったりもしてしまった。ただ、メッセージを送った先は4光年先ではなく数万光年先だと言っていたので少し安心した。「三体」が面白すぎるせいで、いよいよ実生活にも影響が出てきてしまってる。
M-1が終わった後からマヂカルラブリーのネタは漫才か漫才じゃないかみたいな話をよく見かけるけれど、誰が何と言おうとあれは漫才だ。村上のツッコミが漫才であることを物語っているし、あれを漫才以外の形では出来ないと思う。というわけで、今日もマヂカルラブリーのネタを観た。何度観ても面白いし最高だ。これで明日も元気に生きられる。そして早く中央線に乗りたい。


12/24
サンタが町に溢れている。サンタはそれぞれ客寄せをしたり、ピザを配達したりしている。配達員のサンタは自転車に乗っていて、歪なはずなのにその光景をまるで蝉が鳴いているくらいの感覚で見逃している。去年のクリスマスは何をしていたかな、とふと思い日記を見返す。去年の自分は自分にプレゼントをあげて、テレビ千鳥のアホ飯を作って楽しんでいた。今年は何を自分にプレゼントしようかと考えながら家に帰ると、結構前に注文していた「春日語カレンダー」が届いていた。去年に比べてプレゼントがショボいけれど、嬉しいものは嬉しい。自分へのプレゼントは来年も覚えていたら毎年恒例にしてあげよう。

今日は近江瞬さんの「飛び散れ、水たち」を読み終わった。まるで人の人生を綴ったような、自分にとってとても新しい歌集だった。青春の瑞々しくて無邪気な雰囲気から始まった短歌は、ページをめくる毎に無邪気さが失われ、やるせない現実へと変わっていった。前半がとても輝いていたからこそ、後半の現実という大きな溝の象徴として3.11が描かれるのは本当に苦しさを感じた。忘れていくものを忘れないために。忘れないものを忘れたと実感するために。ささやかな日記のように、この歌集はこの先も無限に続いていくんだと思う。近江さんの歌集はこれからも読みたいと思った。最後にこの歌集で気に入った歌を挙げておこうと思います。

僕たちは世界を盗み合うように互いの眼鏡をかけて笑った

「ねえ、虹だ」くらいに鮮明なことにしか僕らは指をさせないでいる

夜に誘い浸み広がりし雨の中、雨の音だけ覚えてなくて

本棚に寄り添うように隣り合う物語のはじまりとおわりが

タイムカプセルに手紙を入れながら早く忘れることを願った

赤信号が埋めてくれてる僕たちの合わない歩幅が生んだ遠さを

ここからが二丁目ねって県境をまたぐくらいのよろこび方で

今という狭間に揺れる水面のひかりに隠れている暗がりは

気に入っている歌を挙げたら、前半の歌ばかりになってしまった。結局僕は苦しさに目を向けるが苦手なんだな。


12/25
仕事が終わってから、映画を観るために日比谷に行った。映画のチケットを買った後、30分くらい時間があったので夕御飯を食べようと思い海鮮丼のお店に入った。少し高い海鮮丼をまるで当たり前かのような雰囲気で注文し、優雅に待つ。最初こそ優雅に待てたけど、お店が混んでいたからか20分くらい出てこなくて焦り始める。残り10分で上映が始まってしまう、と思い別の意味でソワソワしながら少し高い海鮮丼を待つ。ようやく届いた海鮮丼はとても美味しそうだったけど、見た目を楽しむこともなく食べなくてはならなかった。急いで食べたせいで、少し高い海鮮丼を全然楽しむことができなかった。本当に時間があるとき以外は少し高い海鮮丼を食べてはいけないという学びを得てしまった。

海鮮丼を急いで食べた後は、「燃ゆる女の肖像」を観た。結局予告の終盤ギリギリに間に合ったおかげで、本編は全て観ることができた。映画はエンドロールが流れ始めてから10秒くらい現実への戻り方が分からなくなるような凄い映画だった。そんなに強く自分を持っているわけではないけれど、久し振りに自分というものが土台から揺らいでしまうような作品だった。でも、僕にはその感情を、感覚を、言葉にできるだけの経験が、感性が、知識が何も無い。何も持ち合わせていない。それがこんなにも悔しくて、恥ずかしくて、だけど何故か嬉しい。今は言語化することができないこの映画を、いつか言語化できるといいな。


12/26
朝出掛ける時、妹に"パーマかけてる?"と聞かれた。ただの寝癖がパーマのようになっていたみたいで、妹曰くゆるふわ感が出ていたそうだ。美容院で髪を切るようにしてから1年、始めて髪型のちゃんとした変化を言われた。嬉しい気持ちを抱えたまま出掛けようとしたら、"後ろはちゃんと寝癖だ"と言われた。妹曰く、後ろの方にくっきりと寝癖の一本線が入っていたようだ。後ろの寝癖なんてどうやって気づけばいいんだ。これは来年の課題だな。
今日は今年最後のボードゲーム会で「グルームヘイヴン」を遊んだ。前回失敗した"ウーズなる社"を最初からクリアすることができて勢いが良かったけれど、いつの間にか"魔神公"と戦えなくなってしまっていてちょっとショックだった。敵も強くなってきているからか、純粋に戦闘ダメージで倒すことがかなり大変になってきている。今のパーティーは相手を一瞬で溶かすスキルを豊富に持っているからいいけれど、引退してこのスキルが無くなったら一体どうやって敵を殲滅していけばいいんだろう。因みに今のパーティーは回復兼バフ役がいないので、毒に対しての耐性が本当に無い。結局戦う敵は皆毒を付与してくるので、そこに対してどうアプローチしていくかを次回詰めていこう思う。でも次回やったら自分のキャラクターが引退してしまいそうなので、また戦術が変わってしまうな。そして相変わらずネタバレをせずに書くのは難しすぎる。




12/27
久し振りの夜通しグルームヘイヴンはやはりとても疲れた。どんどん夜通し遊ぶのが辛い体になってきている。帰りの電車で落ちそうになるのを必死で堪えつつ、昼ご飯を食べに「ナンディニ」まで行った。相変わらず意味が分からないくらい美味しすぎる。相変わらずほとんどの料理の名前が分からないけれど、全部が全部美味しい。かろうじて名前が分かるビリヤニも、この店の味を知ってしまったら他のお店でのハードルが上がってしまうくらい美味しい。近い内にまた絶対行く。

 今日の「オードリのANN」は、いつも通りだったけど2人のフリートークがベスト級で本当に良かった。若林がした昼合コンの話しは、ただの景色にもなりかねないものを観察して、それによる心の動きだけを丁寧に話したMr.Childrenのinnocent worldみたいなフリートークだった。春日のフリートークは子の注射を撮影しながら泣くという人間味がありすぎるもので、血の通う人間の温度しか感じなくて凄く良かった。
家に帰って1度泥のように眠った後、夜に起きて劇団ノーミーツの第3回長編公演「それでも笑えれば」を観劇した。コロナ禍が始まったときに蔓延していた先の見えない不安とその中で見出す希望を「門外不出モラトリアム」で描き、配信演劇という自身が作ったフォーマットを拡張した「むこうのくに」を経て上演された今作。コロナと生活が過去・現在・未来の全てにおいて適応されるようになった今を、しっかり描いた作品になっていた。だからこそ、(ネタバレ厳禁と言われた)エンドロール後のラストシーンは今までの劇団ノーミーツ作品の中で1番強いシーンになっていた。本編の内容と絡めるための漫才のネタがまるで面白くないことだけを脇に除ければ、凄く面白い演劇だった。劇伴でodolの「夜を抜ければ」が使われていたのも良かった。この曲の最初から鳴っている"ツ、ツ、ツー"の音が、気味が悪いほど一定なのにとても優しくて凄く好きだ。
全く関係の無い話になるけれど、意識せず使っていた"泥のように眠る"が何故"泥"なのか気になったので調べてみた。どうやらこの場合の泥は中国の「異物志」という本で出てくる想像上の生物"泥(でい)"のようで、英語でいうところの"Mud"ではないことが分かった。因みに、その「異物志」に"泥"は

南海有蟲、無骨、名曰泥、在水則活、失水則酔、如一堆泥(南海に虫がいて、骨がなく、名を「泥」という。水の中で生き、水がなくなれば酔い、一山の泥のようである)

と記されているらしい。この感じだと"泥酔"もこの生き物くさいな、と思って調べてみたらそうだった。想像上の"泥(でい)"という生物にとても興味が湧いてきた。虫と記述されているのに、今僕は骨の無いウーパールーパーみたいな姿を想像してしまっています。泥のようになったウーパールーパーなんて絶対に可愛いですよね。





「12/21」
負けないでキラキラめいてあなたにもミラクルクルル間違いないよ

「12/22」
もしかして今年はサンタ不在なの? プリキュアだって忙しいのよ

「12/23」
風に吹く落ちる枯れ葉は意思を持つまるで雀だ「カサ」と鳴いてる

「12/24」
最近じゃ交通法に触れるからトナカイさんはお役御免だ

12月24日に自転車でピザを配達しているサンタ

「12/25」
「僕」という土台を揺らす作品に出会えたならばそれは幸福

「12/26」
ゆるふわのパーマじゃないよ寝癖だよ後ろに行けば見える赤道

「12/27」
ビックバン起こり宇宙が始まって最初の音は5時のアラーム

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