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それでも今日を生きて行く

 気がつけば、ずっとバイトする人生である。高校1年生。バイトが許される年齢になって最初にやったのは夏休みのお弁当屋さん。大きな仕出し弁当屋で家からも遠くバスを乗り継ぐ。3回も行かないままに辞めた。それからラーメン屋、蛍光灯工場、和食屋皿洗い、パン屋と渡り歩き、最終的にファミレスの厨房に収まり、高校時代は卒業までほぼ毎日ぐらいバイトしていた。週末はバイトバイトバイト。夜も学校が終わればバイトバイトバイト。バイトしないで勉強していればよかったのに、お小遣いが欲しかった。映画を見たり、レコードを買ったり、東京にコンサートを見に行ったり、外国の雑誌を買ったり。ひたすら好きな物を手に入れたくて、勉強よりバイトが大事だった。

 そんな生き様がDNAに深く切り込まれて影響しちゃったんだろうか、大人になってもバイトをする羽目になった。20歳でろくに通いもしなかった専門学校の英語科だか秘書科だか、もう何を勉強してたんだっけ?さえ覚えていない学科を卒業する間近、大して何も考えないままに受けた就職試験、ホテルや出版社やレコード会社も当たり前だが全て落ちてしまい、途方に暮れた。途方に暮れたまま、高校時代には毎週欠かさず聞いて、毎週しつこくハガキを書いていたラジオ番組「全米トップ40」に久々に手紙を書いた。その折、何の気なしに文末に「就職試験に全部落ちちゃいました」と一言、付け加えた。

 そうしたら、それを出したことさえ忘れていたある日のお昼前、ブオオオオンと郵便屋さんのバイクの音がして、6畳一間の陽の当たらないおんぼろ貸家(大家さんの家に無理やり扉付けて部屋にしたようなアパートの一階)のポストにぽとんと手紙が落ちる音がした。当時色々な人と手紙のやり取りをしていて、手紙を書いたりもらったりすることだけが私の楽しみだった。

 木の軽い扉を開けて、すぐ横に着いてるポストを開けると一枚のハガキ。達筆の見慣れない字。ピンク色の♥や♪が印刷された派手なハガキで、そこに「はじめまして、湯川れい子です。もう就職は決めちゃいましたか? うちでお手伝いしてくれている女性が今度辞めることになって、アシスタントを探しています。よかったらうちでバイトしませんか? 一度電話をください」とあった。

 会ったことも話したこともない人だった。えっ?と思って、、、あっ、ちなみに今の私なら「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ?」と思うのだが、当時まだ19歳の私はですね、「えっ?」と思うぐらいでした。まだ感情を巧く表現できない、というか自意識過剰でヒネクレこじらせすぎていて、「えっ?」で自分に蓋をしていたと思う。

 しかしとにかく、渡りに船。棚から牡丹餅。その一週間前に、乃木坂の今はもうなくなってしまった「シェ・ピエール」というオトナなフレンチ・レストランのバイトをわずか一週間でクビになったところだった。万事休す、がけっぷち、土俵際、私の人生は19歳にして早くも危機的状況だったところに、憧れ続けた音楽業界のド真ん中にいる人から、バイトしないか?と手紙が着た。私の人生にいきなり太陽の光がバアアアアアアアアアアアアアアアアアアと射し込んだ。

 私のバイト人生が本格的に始まった。




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