それでも今日を生きて行く ②
ハガキが届いて、すぐ電話をかけたんだっけ? その辺の記憶はあいまいで昭和は遠くなりにけりなどと誤魔化すが、ワナワナ緊張に震えながら電話したことは覚えている。
ジーコジーコジーコ。狭い6畳間のかたすみに背中を丸め、ダイヤルを廻す。父親名義で契約をした、薄汚れたような色合いの緑色の固定電話を使っていた。
「はい、湯川です」
大人な声の女性が出て、心臓がドキーンとする。湯川さん? いや、声が違う。「あの、湯川さんにハガキをもらった和田です」上ずって言うと、私の名前はすでに事務所内で会話されていたのだろう、相手は少し親しみのこもった声に変わって「ああ、はいはい。湯川に代わりますね」と、すぐに保留中の音楽に切り変わり、そして「はい、湯川です!初めまして!」とラジオで聞きなれた声がドーンと勢いよく出てきた。
ドッキーン。さっきの数十倍もドキドキわなわなして「あの、あの、あの、和田です。本当にありがとうございます。私、あの」などとハガキをもらった感謝やらいかに私が喜んでいるかを語り始めようとしたら、「あはは」とその人は少し笑って、「とにかく一回事務所に来てちょうだい。私がいるスケジュールを秘書のなっちゃんに聞いてね。じゃ、よろしく!」とだけ言うと、アッという間にまた保留音楽に戻ってしまった。
呆気にとられたまま約束を決め、電話を切ってから、(湯川さんはなんだか忙しそうな人だなぁ)と思った。それが私の彼女への第一印象だった。
そして約束の日、四谷にあったレンガ造りの事務所(兼自宅)に行くと、メガネをかけた小柄なオバさんが出てきた。その後、私が死ぬほどお世話になる、お手伝いの伊東ちゃんだった。その後ろから電話で話した秘書のなっちゃんが出てきて「今、湯川はまだ戻らないから、とりあえずこっちへ」と、奥の部屋に案内された。
その部屋の正面奥には大きな木製の机が入口を向いて置かれ、左側は全面ガラス窓、右側は一面本棚で、ギッシリ本や音楽雑誌が置いてあった。ここは湯川さんの仕事部屋なんだ……きょろきょろしていると、なっちゃんに「先生が戻ってくるまで時間あるから、これ、やってくれる?」と記事をファイリングするための台紙作りを頼まれた。
いきなり仕事するのか? 面接とかは? ギョッとしつつも手持無沙汰で緊張するばかり。「はい」と答えて大人しくやり始めた。
「和田さんは今、学校で何をやっているの?」
「英語の勉強をしてます」
「それはいいわね」
「いえ、でも、ぜんぜんしゃべれなくて」
もぞもぞ会話しながら台紙に穴を開け、シールで補強する。ガシャンガシャン、ペタペタ。単純作業を続けていると、車のブオオンブオンいう音がして、玄関の辺りがガシャガシャ騒がしい。
「あ、先生帰ってきた!」
なっちゃんが走って玄関に行く。私はどうしたらいいか分からず、とりあえず立ち上がって待った。
「こんにちは、和田さん。はじめまして」
長い髪に大きな色つきメガネをかけた、TVでしか見たことがなかった湯川さんがバーンと部屋に入って来て、奥の椅子に座った。のんびりした空気が一転、ピリピリするように感じる。いよいよ面接だ。
緊張しながら鞄から履歴書を出して見せようとすると、そんなことはお構いなしに「学校はどこなの? 何時頃終わるの? 学校が終わって週に2~3回来れるの?」と矢継ぎ早に聞くので、「週の半分ぐらいは午後早く終ってすぐ来れます」と答えると、「じゃ、来れる日に来てね」とだけ言い、「なっちゃん、和田さん、これから時々午後に来るから、仕事教えてあげてね」「はい、わかりました」「和田さんがお昼食べるときは伊東さんに事前に伝えてね」「わかりました」
私を飛び越え、必要連絡事項が交わされ、履歴書を手にほぼ何も言わないまま、私のバイト採用が決まった。仕方なしに「あの、私の履歴書」と湯川さんに机の端から渡すと、ニッコリして「ありがとう」と受け取り、中も開かないまま机の上のごちゃごちゃしたところに置かれ、彼女は既に届いた郵便物を読み始めていた。
こうして私は、週に数回、何の勉強をしていたのかも忘れた学校の教科書を持ったまま、そこに通い始めることになった。バイトの時給は? そのうちフルタイムになるのか? ここで何をするのか? 何も分からないまま「音楽業界ヤッホー!」と、うかうかバイトを始めてしまった20歳の私。
うかうかした私はもっとうかうかしたことに、「私は必ず音楽の物書きになるんだ」と思い込んでいた。思い込んで、そのための足掛かりができた、扉が開けた、ついに私の出番だと浮かれていた。
(前回、19歳って書いてたけど、すみません。年齢詐称でした。このとき私は20歳でした)
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