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店長のいない店

「名札がローマ字だと、名前がわかりにくいんだよねえ」

レジで会計をすませたおじいさんが、残念そうにしみじみと口にした。店員の安全を守るためにも、むしろそれが狙いなのだが、このおじいさんにとっては「店員の名前を呼ぶのは友好のしるし」の気持ちがハッピーセットのようになっているに違いない。

私が、今の職場に勤めてから何年経ったか定かではない。以前こそ、「あら、書店ができたの?」「はい、○年前にできたんですよ」といったやり取りを客としていたのだが、最近ではそれもなくなり、自分が何年、今の場所に立っているのかわからなくなってしまった。

私が子供の頃にはあった百貨店の、最上階に勤め先の書店はある。正確にはフランチャイズのため「書籍売り場」なのだが、「書店ができて良かった」と言われるたびに、「百貨店の店員が勤めているんですよ」とも言えず、私のように書店経験者もいるためお茶を濁している。

今でこそ、「(仮)」がつく店長のポジションの人間がいるが、かつては「店長のいない店」だった。「そんなことがあるのか?」と思われるのも無理はないが、実際にそうだったのだ。

私がいる職場は、とあるチェーン店のフランチャイズの書店だ。そして私は、以前はそのチェーン店に勤めていた。都内でも屈指の広さを誇るその店舗はテナントとの契約の関係で閉店となり、その関連企業を流れ流れて、最終的には別会社の百貨店が営む今の書店へと入社してきた。

オープンの日にはそのチェーン店の関係者と出版社が招かれたのだが、そこにかつて関連企業を流れ流れていた頃に同じ職場であった、そのチェーン店の社長の息子がいたことには一人嫌な汗をかいた。

開店して二日目の正直な感想は、「大丈夫か、この店」だった。あまりにも、来客が少ないのだ。書店には、もっとこう、人が大量に押し寄せるものではないのか。かつて、大型店にいた私には信じがたい光景だった。

あと何がすごいかというと、私ともう一人のスタッフ以外、全員が未経験者なのだ。正確に言うと、「百貨店の店員」が売り場を異動してきただけなので、書店に関する知識がまるでない。オープン前に検品やら棚入れの手伝いをしていたときには、「本を投げる」強者までいて顔が青ざめた。

当時の店長は男性で、別のフランチャイズの店舗で経験を積んではいたものの、基本的には百貨店の従業員である。こうして、「店長の経験はあるが百貨店の従業員」の店長と、「オープンの際に入社してきた二人の経験者を除いて全員未経験者」の恐ろしい店がスタートした。

もともとその百貨店は「店員が少ない」とはうっすら知ってはいたものの、実際に入社してみたら客足も驚くほどの少なさだった。高齢の客が多く、聞かれるのはほぼNHKのテキストか実用書、もしくは時代小説である。「どんな店か」と聞かれたら、「伊坂幸太郎の新作の発売日に一冊も売れず、聞かれるのは佐伯泰英」というありさまである。

それでも、「本のそばにいたい」「近隣にある店で働ける」ということで、幸いにも文庫や文芸書の担当になった私は、新書も含めてワンオペであることやスタッフの少なさにはもろもろ目をつぶり、どうにかこうにかやってきた。他にも、目をつぶることは山ほどあった。

そんなある日、「店長が辞める」ことを耳にした。寝耳に水である。いつから、考えていたのだ。いや、それは個人の人生の選択だからまだいい。問題なのは、代わりの人材は来ないということだ。

「なら、どうするのか」とざわついたのだが、あろうことかまだ二十代半ばの契約社員の女性スタッフが正社員登用の試験を受け、「店長(仮)」になるという。それまでは、「店長のいない店」となる。あまりに、むちゃくちゃな話だ。

だが、「無理を通せば道理が引っ込む」とやらで、その「(仮)」の店長を据えてのリスタートとなった。それがもう、数年前の話だ。

そんな急ごしらえの書店であっても、正確には書店ではなく「書籍売り場」なのだとしても、毎月テレビ雑誌や時代小説を購入するお年寄りにとっては「書店ができて良かった」と言われる場所であり、学校帰りによる高校生にとっては参考書や新刊コミックを求める書店であり、お母さんに手を引かれニコニコ笑う小さなあの子にとっては「本屋さん」なのだ。

書店の閉店は続く。私が過去に勤めたことのある店は、すでに3店舗ほど閉店している状況だ。書店に未来はあるのか、本はこの先、どうなっていくのか。だが今はこうして「本を求める」人がいて、レジで「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と繰り返す毎日だ。

突貫工事のその先で、今日も私はレジに立っている。

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