あなたは誰ですか?

先日の、一般女性写真展にて。
主催者の方にお会いしたときに、こんなことを言われた。

「どんな方なのかなって思ってました。Facebookで見てもほとんど投稿されていなかったから、分からなくって。」

直接の面識こそなかったものの、写真展までに何度か、主催者の方には応援メッセージを送っていた。
つらつらと、それなりの長さのものを何回か。
それを覚えていてくださった。嬉しかった。

一方で、 お前誰だよ? 状態になっていたことに、気づく。
このままお会いしなければ、よう分からない追っかけみたいになっていたかもしれない。

今の私をことばにするなら、
・3歳と0歳男児の母
・細々とオンラインで仕事している、主婦
・グラヴィスという新しい身体との向き合い方をかじっている

こんな感じだろうか。

ずっと、何者かになりたくて、
がんばっては「なんかちがう」を繰り返してきた私は
最近、何者にもならなくてよくない?という、透明な気持ちに至っていた。
人から憧れられたり、評価されたり、賞賛されたりすることに、ついに興味がなくなってしまった。
その心地よさを感じていた。

必要なことは目の前に現れる。
目の前に来た波に乗れば良い。
そんな日々を、楽しむくらいの境地には至っている。

ただ、冒頭の言葉には、ドキッとした。
主催者のフォトグラファーさんは、まっすぐな眼差しで、ちょっと不思議そうに私を見ながら、こう言った。
タジタジだった。うっ…と思う自分がいた。誤魔化せない眼差しだった。
その人の未来を映し出すフォトグラファーさんは、こんな眼差しで人を見るのか。

わたしの持ってる性質、メッセージから出てくる雰囲気、イメージしている世界の大きさ、そして現状。
多分、ズレがあるんだろうなと思う。
ずーっとズレている、自覚はある。

持ってるエネルギーを何かに振り向けたい。
でもどう活かしたらいいのか。
困っている。うん、困っている。

いや、やれることはある。
こうやって書くことだ。
自分の感じていることを、とにかく書くこと。

そして、ずっと真正面から向き合いきれてなかった、でも強烈に惹かれて続けている、新しい自己聴整法グラヴィスのこと。
なんで惹かれるのか?
でもなんで踏み切れないのか?

そのほかよもやま、私の感じていること。
書いてみないと分からない。
書いてみたら、何か浮き彫りになるのかもしれない。

自分を文章で表現するとき、ずっと、完成系の、キレイな形で出したいと思ってきた。
でも、そんなことしてはいられない。
子どもとの日々は、思考は途切れがちで、完成形を出そうとしたらゆうに数年は経ちそうだし
そもそも1人の人間に、完成系も何もない、よね。

書くことで、脱皮するんだ。