どら焼きを食べて泣いた話

私を可愛がってくれている大学の教授がいる。
もう50そこそこで、白髪と黒髪の混ざった髪型、優しい目元の皺が特徴的な、社会学専門の教授だ。
私は教授の研究室に何度か招いてもらい、色んな話をした。
つい先日も、夏休み中だが研究室を訪ねた。
いつもより口数が少ない私を気にしているのかしていないのか色んなことを止めどなく喋ってくれた。
ヤンキーの兄がいること、阪神淡路大震災のあの日のこと、甘いものが好きなこと、他にもたくさん。

彼はその中で、福知山線脱線事故の話をした。
もうずいぶん前の話だが、何度もテレビでとりあげられているし、その日になるとニュースでも報道されるのでよく知っている。
奇しくも彼が当時毎日出勤に使っていたのがその福知山線であった。
事故があったあのダイヤの線に、彼は毎週乗っていたそうだ。改札の位置の関係で乗っていたのは先頭車両。
しかしその日たまたま、早めに出勤して朝に打ち合わせをすることになっていたのだそう。
だから彼は事故のあった電車の数本前の電車に乗って出勤した。
何も知らないまま打ち合わせを終えて、研究室に戻ると大量の不在着信と職場へのFAX、留守番電話が入っていた。
「一体何事だろう?」
ただごとではないだろうと思い、テレビをつけると速報で脱線事故のニュース。
しかもそれは、今日自分が乗っていたかもしれない電車であった。
いつも自分が乗っていた先頭車両が、跡形もなく大破している映像が流れていた。
不在着信や留守番電話は当時交際していた彼女(今の奥さん)で、ニュースを見て心配してかけてきてくれたものだった。
なぜ携帯を携帯しないのかと怒られたそうだが、そこが抜けているのが彼らしいところである。

こんなことをいってはなんだが、私は死にたい。
教授にそういうかどうか迷って、ずっと言わないでいた。
けれど、そのとき初めて希死念慮が消えないことを話の端でサラッと言った。
希死念慮があるというだけで、実際にそれを行動に移したことはないが、それがもし移されていたのなら、私は命を落としていた。
教授もまた、命を落としていたかもしれない。
私たちは、たまたま生きているのだ。

生きるというのは、有り難いことなのだ。
私の友達がそういっていた。有るのが難しいのだと。
毎日難しいことをやってのけている私たちはそれだけで褒められないものだろうか。

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