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出逢いは突然に……「紅魁」

私は昔から古いリンゴを追い求めている。昔と言っても私が中学卒業したあたりからなのでちょうど5年くらい前からかな?

古い品種と言えば、青森における明治の7代品種(国光、紅玉、祝、紅魁、紅絞、柳玉、倭錦)が真っ先に挙げられる。
これを栽培してるところを見つけるのは本当に苦労した。紅玉、祝はまだ容易に手に入るが、
国光は手に入れるのにそこそこ苦労した。しかし、かつて栽培量1位を誇った品種。よく探せばまだまだ作っているとこは沢山あった。

だが残りの紅魁、紅絞、柳玉、倭錦の4種は文献やネットを駆使して探せども、どうしても見つからなかった。
それもそのはず、どれも昭和初期には日持ちと食味の悪さから淘汰されてしまった。なおかつ戦争の影響で尚更木が減ってしまい、戦後は金になるデリシャス系などの品種に変わってしまった。それはもう見つからないはずであると諦めていた。

しかし、転機は去年に起こった。たまたまツイッターを見たら販売品に「スミスサイダー」の文字を見つけた

うぉぉぉお!これ柳玉やん!
めっちゃレアやん!
どこで作ってるん?!?!

私は即座に店のある池袋へと向かった。このままだと長くなってしまうので、その時のレポは下に貼っておく

私はそのリンゴを作ってそうな農家を勘ぐり、連絡してみた。結果はビンゴであった。直ぐに「今あるリンゴを全部下さい!」とメールを送った。その果樹園は岩手にあり、海外の品種や昔の品種を植えて栽培されているとこだった。下の画像がその時に送っていただいたものである。



送られてきたものを見た時には度肝を抜かれた。倭錦に翠玉、ワインサップ(初日の出)、芹川などあった。これを見た時には本当に泡を吹いて倒れそうになった。これは農研機構などで品種保存されてるのに過ぎない品種だったからだ。その時にはなかったが紅魁や紅絞もあって昔の品種はほぼ揃っていた。

その時は勿論、とても嬉しかった。でも同時にすごく寂しくなった。
というもの探していた品種が見つかって昔の品種を探す楽しみが無くなってしまったからである。
想像して見てほしい。より道をしながら、ぶらり途中下車の旅をしようとしていたのに間違えて目的地までの直通電車に乗ってしまった時の気分を。結果としては目的を果たしたが、その目的地にたどり着く過程をもうちょっと味わいたかったという複雑な気持ちになった。
でも、裏を返せば何年探しても見つからなかったのでゲームで詰んだ時にラスボスでもワンパン出来るような性能ぶっ壊れの救済アイテムのような存在であったのは確かだ。
こんな生意気な言い方をしているが、本当に古い品種を維持されているのことは素晴らしい事だ。なければ自分で栽培しようとしていたのでとてもありがたいというのが正直な感想である。ぜひ私も老後(半世紀後?)は古い品種を維持するために活動したい。

ちょうど去年は他にも「生娘」や「緋の衣」など樹齢100年を超える木から取れた品種を購入出来たので、これ以上の発見はないだろうからりんご探しは辞めにして隠居しようしていた。

時は変わって5日前。これは本当に偶然だった。岩手の農園から紅魁を買う前に、色々ネットで調べ物をしていた。たまたま見たブログで紅魁を収穫したとあった。具体的に場所は明記されてなかったけど、あらかた検討をつけて「ちょうど今ぐらいが収穫時期だし、新しいとこ開拓してみっかー」といつものように電話をかけた。電話に出たのは気前のいい年配の男性の方だった。


私が「紅魁ってあります?」と尋ねると「あー、ありますよ、ちょうど今日収穫しようとしていた所です、美味しいりんごではないですが……」と。それだけでもすごいのに続けて「140年の木がありますよ」と……
え、

えぇぇぇぇぇえ……!?!?!?
ホントですか!?!?

と思わず大きな声で聞き返してしまい、電話越しに若干引かれたのが分かった。
まさかそんな木が残っているとは思わなかった……日本にあるりんごの古木は全て把握しているつもりだった。どんな文献にも無い樹齢140年の木。すごくないわけがない。私の人生での大発見だったかもしれない。私にとってこれはコロンブスが新大陸発見した時やカーター氏がツタンカーメン墓を発見した時並にすごいことである。

すかさず今度はさり気なく控えめに「他にもなんか珍しい品種ありますかね……?」と聞いてみた。
すると「紅絞、赤龍、緋の衣、祝(17号)、紅玉、国光とかここら辺で出回った品種は全部ありますよ」と今まで探し回った品種が全部あった。これらは樹齢100年を超えている。赤龍なんて果実の写真すら見たことない。本当にここ以外にはない品種だ。

これを聞いた時、私は更に興奮して自分から出たドーパミンの海に危うく溺れかけた。りんごのノアの方舟がそんなとこにあるとは思いもしなかった。
しかも、私が1番探していたあの品種「原種デリシャス」も残っていたのである!
終わり無き旅を終えた気がした。私がまさに探し求めていたエデンであった。
ちょっと冷静になって「そちらにある品種、全部5キロ下さい」メールを送った。

それから2日後、早速第1便が届いた。
それがこの紅魁だ。



ここで軽く紅魁の来歴を紹介しようと思う。
紅魁は我が国にはアメリカから開拓使経由で1871年(明治4年)に導入された。この農園のものはこの当時に植えられたものと考えられる。
それからは1番最初に収穫できるリンゴとしてかなり植栽されたが、日持ちがしないのと、酸っぱいリンゴであるので昭和が近づくにつれ淘汰されてしまった。昭和10年代には既に過去の品種になっていたようである。戦後も祝の前に出回る品種としてごく僅かに栽培されたようだが、日持ちが悪いために産地の近くで消費され経済品種として作られる事は無くなった。


私が持ってる中でも、とても古い部類の種苗目録。新宿農事試験場「営業案内 秋季号」明治43年。話は脱線するがこの扉絵の錦絵が素晴らしい。これにも文化的な価値がありそうだ。

大正6年「安行植物月報」より。

さて果実を見てみよう。大きさはテニスボールほどととても小さい。品種の特性とは言えど色づきもさほど良くなく、ブルームもあり、言われなければ摘果されたリンゴだと思ってしまう。青森だとピンコと呼ばれるサイズ以下であろう。
形は同じ木から採れたにも関わらず扁平型や球形型のが混じってる。
重さも5キロの箱に入れて送ってもらったが、3.5キロにしかならなかったそうだ。とても軽いリンゴである。
下の写真を見ていただければ分かるが、皮が傷つきやすい。きっちり梱包していただいても、玉同士がぶつかってオサレや傷になってしまう。ここまで輸送に耐えない品種は初めてだ。
当時なら尚更であろう。
香りはとても良い。これもマイナーな品種になるが、旭に近い。部屋に置いておくと甘酸っぱいりんごの匂いが一面に広がる。
不思議なことに切ってみるとフジの甘い匂いに、微かにちょっと青臭い未熟な青いバナナの果肉のようなエステル臭?を感じた。香りはとても良いリンゴである。
果肉は早生リンゴらしい白色の果肉である。

早速食べてみる。想像していた通りのいかにも昭和なりんごの味って感じ。
果肉は粗くボソボソ、モサモサしてる。果汁がない訳でなく、噛むとボサボサと粉状になった果肉と共に酸っぱい果汁が広がる。昨日、届いて直ぐに食べた時にはそこまでボソボソしておらず、旭にに似たような食感であった。暑いとはいえ空調の効いた部屋に置いても1日でここまでボソボソになられたらお手上げだ。
味はかなり酸っぱい。グラニースミス以下、紅玉以上の酸味。酸味のせいで、甘みは感じにくい。微かに渋みも感じるが、これはそこまで気にならない。ただ、早もぎされた「祝」のような粉っぽさや青臭さはない。

正直、これは生食用としては美味しいと言えない。これはジャムにすれば美味しくいただけると思うが、そのままだと結構厳しいものがある。
加工用としても直ぐに煮崩れしてしまうので、パイなどタルトタタンのような焼き菓子には活用は難しいかも。海外だとシードルの材料としてもよく使われる品種だそう。果肉の形を活かして加工しないものには向いてるかもしれない。あと、体感だが変色はとても早い気がする。

私はジャムに加工してみた。


しかし、経験としては最高の品種であった。今後とも継続して購入したい品種だ。

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