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国光「盛者必衰のことわり」

国光(こっこう)という名前を50歳以上の方、りんご好き、もしくは青果市場関係者なら1度はこの名前を聞いたことがあるかもしれないが、見た事・食べた事がないという方が殆どだと思う。

戦後直後のりんごの木箱ラベル(当方所蔵品)

「国光」はフジの親であり、日本に初めてリンゴが導入された明治〜昭和40年後半までは1番栽培のあった品種なので、知名度は古い年代を中心にかなり認知されている。
昭和40年代初期まではリンゴと言えばほぼ国光か紅玉の時代が存在し、他にも品種は存在したが早くに出回る祝や旭などの補助品種、デリシャスやインドなどの高価な特殊品種が少し出回るだけでこの2大品種には及ぶものはなかった。しかし、その2大品種もあっという間に没落してしまう。盛者必衰の理である。

「ralls apples, painted by amanda almira newton,」
old fruit picture(Twitter @pomelogical)から引用

国光はアメリカのバージニア州原産でC.Ralls氏の農園で発見された親品種不明の偶発実生であり、1800年頃には知られていた。しかし、原産のアメリカでは1度も主要品種になることはなく、普及はしていなかった。アメリカのリンゴ農園の方に聞くと甘みと食感が良くないとのことで人気がないと答えがあった。花が咲くのが遅く、今年日本でも多くの被害を出した霜害にあいにくいことから「Never Fail」とも呼ばれているそう。日本で何故ここまで普及したのかは病害虫抵抗が強かったこと、収量が多かったこと、あとは国光に勝る晩成品種がなかったこともある。1番大きな理由は日持ちの良さにある。当時は2月以降だとミカンも無くなってしまい売るものがない中、国光は3月以降も流通したので大いに歓迎された。このおかげで国光は異郷の地でりんごの代名詞と言えるまで上り詰めた。

日本には1871年(明治4年)には開拓使がアメリカ経由で導入され、1879年(明治12年)に北海道でりんごが初結実した際の品種はこの国光と緋の衣とされる。明治20年になるとりんご栽培が白熱し、全国でリンゴが植栽された。明治26~27年に開かれたりんごの品評会ではかなり良い成績を収め2月、4月と収穫からある程度期間を経た品評会では紅玉、印度と並んで上位に並んでいた。このことから見てかなり貯蔵性が良いことが分かる。

明治45年「営業案内」錦華園株式会社より

明治30年代になると病害虫が激発し、日本全国でリンゴが壊滅的な被害を受け、大方の産地ではりんご栽培を辞めてしまったところも多いが、青森では新たに優良品種の植栽が行われた。この時に病害虫に比較的耐性のあった国光がかなり植栽された。国光は明治後期では主産地であった北海道や青森などではいずれも栽培品種の4割を占め、紅玉と合わせると8割弱となり2品種で日本のリンゴ市場を寡占し、この割合は戦後まで続いた。

昭和10年「原色果物図譜」誠文堂より

戦後、りんごの需要が高まり青森では1960年(昭和35年)になるとひとつの品種で全体の6割を占めるまでになっていた。しかし、オリンピックの開催された1964年(昭和39年)辺りから雲行きが怪しくなり、1968年のバナナの輸入自由化や戦後の果物需要から無闇に増殖した結果、価格が暴落し1968年にみかんの豊作と重なった際には紅玉や小玉の国光が山や川に捨てられた「山川市場」事件が発生し、農家が見切りをつけたのか他のリンゴが安い中でも高値をつけた「スターキング」や「ゴールデンデシリャス」、発表されてまもない「フジ」に急速に品種の切り替えが起こった。

上からゴールデンデシリャスとスターキング

とくに当時の「フジ」は着色系統が出る前なので見た目があまり良くなく、また果肉が硬い・やや粗いなど言われていたが、それでも食味・風味の良さや果汁の多さ、国光より日持ちすることから国光の更新品種として推奨され瞬く間に普及した。この際に国光だけではなく粗悪な品質のものが出回って評判を落としたデリシャス系、甘さしかない印度などかなりの品種を駆逐してしまった。

いまや海外や温室栽培されるまでのフジ

フジは貯蔵性、果汁の量、酸味、齧った直後の風味、果皮の模様を国光から受け継ぎ、デリシャスから濃厚な甘さ、深みのある癖のない風味、蜜入などを受け継いだ。果実の大きさ、肉質などは両品種の中間といったところであろうか?両者の欠点を補った特性は東アジアを中心に世界で1番栽培されるほどのものであり、リンゴ界隈のみならず20世紀に開発された世界の果物の品種では1番優れたものだと考える。

左上:デリシャス、右上:国光、下段:ふじ。果皮の模様はフジにそっくりである。

フジに限らず昭和30年代になると戦後の甘いものに飢えていた時代を経験したためか、現代に繋がる「酸味がなく甘みが強いもの」を求める風潮が形成されたのではないかと考える。その他にも千疋屋や高野、万惣などに代表される果物を高級品として扱い贈り物として扱う文化が戦前に形成されたのも大きい。戦前〜戦後の西洋の大国に負けじと優れたものを作ろうとする日本人の心意気は今より遥かに強く、それも当時の甘いものを求める要求に答えられたのかもしれない。

肝心の味はフジにしては酸味が強すぎるし、何か足りないような感じ。
今回の国光は11月7日に私が主催した「りんご100品種食べる会」のために血眼になって探してきたものであったが、1番美味しい国光であった。というのも国光は少し置いてからの方が風味が良くなると古くから言われており、私がいつも頼んでいた農園も収穫して時間がすこし経った12月の上旬に届くので、甘さを感じる風味は増えるも、やや水分が飛んでいたので果肉が柔らかくなっていた。私はなるべくパリッとするようなフレッシュな方が好きである。

私が主催したりんごの会。奥にある小さいのが国光

今回のは幾つか口を窄めるほどすっぱいハズレもあったが、少しすっぱいフジのような美味しいものもあり、それはフジとそれなりに似ていた。肉質はフジより少し粗く、食べた後にカスがやや残る。硬さはフジよりやや柔らかめだが、丸ごと食べるとパリッとしてる。味はフジの酸味を強くしたようなものを感じ、甘味はあるけどフジのように甘さを凄く感じるわけでは無い。果肉の風味は確かにフジに近いが、皮は少しスパイシーな風味。風味を例えるならあかねが1番近いかも。  
ただフジのように上品な風味ではないのは確かである。どちらかというと野性味があるとかワイルドな風味といった方がよいのだろうか?
フジは国光から雑味を取り除いたような味。

果形は扁平で、果肉はフジよりも白い。基本的に小さいものが多い

製菓用とて復活した紅玉のように酸味があるから加工用には良いと思うが、生で食べるなら如何せん子供のフジには劣ってしまう。これが急激に栽培が減少した原因であるのは間違いない。ただ他の海外品種と比べて抵抗感はない、これはフジを食べ慣れているからであろう。年配の方に食べてもらうと「懐かしい」「リンゴはこうでないと」「今のリンゴは甘すぎる」との感想を頂いた。昔のりんごに食べなれていると確かに物足りなくも感じるかもしれない。今でも作っている人はいるが、かなり少ない。リンゴ農家さんでも食べたことないという方もいらっしゃった。
最近はサンファーム様のおかげで入手も楽になったが、本当にそれより前は見つからなかった。多分、サンファームさんが東京に卸すまで東京で売っているところはなかったと思う。私は2~3つの農園から毎年購入しているが、私が生きてるうちは絶やさせないつもりでいる。

【参考文献】
吉田義雄「リンゴ品種大観」、⻑野県経済事業農業協同組合連合社、1986年 
浅見与七ほか「新撰 原色果物図説」養賢堂、1971年
津部欣也「もう一度食べたい」毎日新聞社、2011年
石井勇義「原色果物圖譜」誠文堂新光社、1935年



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