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自分にとって作曲とは何か?

札幌での自粛生活も3ヶ月を越えました。元々リモートワークに慣れているつもりでしたがさすがに曜日感覚が麻痺したまま戻らなそうな気配...。さていきなり話が逸れましたが、今回のテーマは「自分にとって作曲とは何か」です。一見壮大なタイトルですが、むしろ私自身が以前から抱く小さな拘りでしかなかったりします。

そもそも私は音楽に関しては完全に独学です。しかも15歳から唐突に始めたので所謂「素養」がありません。とにかくなぜか楽典とアコギとシンセサイザーを買い、唐突にそして猛烈に音楽に没入していきます。音響技術(PA)に関しては入り口では父から多少の基礎は学びその後札幌の音響系の専学には行ったものの、作曲に関しては自ら学ぶしかなくそのまま20歳からキャリアをスタートさせました。そのせいなのかどうか毎回新しいお仕事に向き合う時には、タイトルにもなっている「自分にとって作曲とは何か」という根源的なところまで立ち戻ってしまいます。「いやいやいや、今ここでそんなに悩む所じゃないし」と自分にも言い聞かせてみるものの、確かに毎回そこまで思い詰める。これはもはや心の癖なのかもしれません。

そもそも作曲は誰にでも平等にある原始的な創作行為のひとつであって、何年間修行が必要だとか国家資格が必要だとかそういった縛りのない、自由に表現が出来る世界。しかしその昔札幌で自分も演奏者として出演する舞台のプログラムに寄稿した際に、「自分にとって作曲とは表現よりももっと切実な何か」だと書いたことがあります。どうも自由だとは思っていても内心では何か引っ掛かるものがあり、今思い返してもその頃(20代前半)はかなりまだ漠然としながら自分自身や音楽と向き合っていたわけです。それがやがて2002年にドイツに渡り、2004年に東京に移住したあたり(30代前半)からクライアントワークに向き合うようになって以来、それまでとは違う世界や価値観が見えてくるようになりました。ここで私が言う「クライアントワーク」とは主に映像のための音楽や、建築空間の中で設置する音というのが大半を占めています。ですから主軸はあくまで映像や展示空間であり音楽そのものではありません。しかしながらこの主軸の変化が自分にとっては非常に重要でした。特に展示空間などの音については一番最後に加えられる要素のひとつであり、香りや照明などと同じように一歩間違えれば空間そのものを台無しにします。この自分を主張出来ない、かつ極めて短時間で答えを出さなくてはいけない特殊な現場環境が私の性に合ったのだと思います。

話は前後してしまいますが、私の中で作曲とは単に音符を書くとかメロディーを考えるという事ではなく、やはりシンセサイザーと直結していまして、高校当時、学祭の演劇や催しためのオリジナルの音楽や効果音を一手に引き受けて制作していたように、もはや音楽も効果音も同じ音響現象のひとつ、という意識がすでにありました。なので打ち込みしながらミックスのことも考えつつ、それがどういったシチュエーションや環境下で鳴らされるものなのかも加味して、かつ照明や演出の人と多面的に作り上げていく。プロになる前にこういった経験が出来たことは本当に幸運な事だったと思います。しかしながらプロになってもどこか釈然としない状況が続くのは、きっと自分の才能不足以外にもきっと他にも何かある、と思っていました。

そういった経緯の中ひとつの転機となったのが、2007年に21_21 DESIGN SIGHTで開催された「THIS PLAY!」という展覧会です。そこで私はヤマハさんと協働して会場全体の音を設計する事となりました。展示はいくつかのエリアに分かれていて、当初はそれぞれのエリアに別の音を付けて欲しいという依頼内容でした。私はすでに作り込んだ音を会場に持ち込み作業を進めたものの、全く場に合わない。バランスを変えようが音響機器で何かをしても全く効果なし。これは根本的な問題でもう0からその場で作り変えるしかない。しかし開場まで時間がなく、今この一晩で完成させなくてはいけない。そこで会場で実際に音を出しながら捻り出した答えは、いくつかの高さのピアノの単音をそれぞれのエリアでランダムに再生するという方法でした。それぞれの音は響き方を微妙に変え立体的にかつその場で生成されているかのように音を組み立てました。そうして完成した音の空間は私も含めその場で準備をされていたデザイナーやスタッフのみなさんが深く納得するものでした。

そこで得たものは、たったひとつの音でも作曲になり得る可能性があるという事でした。

今思えば、ある意味私はとにかく何かを音で埋めようとしていたのかもしれません。もしくは音がないことへの不安や恐怖と言ってもいいかもしれません。そういった意識をとにかく変えること。音のカタチを極限まで削ぎ落とすこと。このような考えに至るきっかけになったのが先の展覧会でした。その後私は企業のTVコマーシャルのサウンドロゴや携帯電話の操作音など所謂「音楽」ではない表現にも関わることになるのですが、あそこで得た経験が私の気持ちを随分と楽にしてくれました(幾度となく作り直しを命じられますが)。

おそらく大切なのは「自分にとって作曲とは何か」という事を常に考え続けるということ。悩むということは決して後ろ向きな事ではなく、むしろ前向きな事と捉える事なんだと思います。やがてはたったひとつの音に行き着くまで感覚を磨いていく。そんな理想をゴールイメージのひとつとして今後も学び模索し続けたいと思います。


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