ライターとしての捨てる勇気。その続き。
前回、私は捨てるのがへただ、というライターとしての気づきを書きました。
でね、それをツイッターにあげようと思ったのだけど躊躇しました。
というのもnoteを書く前にこんな呟きをしてたから。
結局、私が note に書いたことって、140字でまとめられてるじゃん!
同じつぶやきを2度するようなものだな、と思ってシェア投稿をやめたのです。
ならば、前回のnoteにどんな内容を盛り込めばよかったのだろう? 捨てまくった思考を拾い集めて、まとめようと思います。
捨てるのが下手だ、詰め込みすぎ! という結論に至ったのは、ゼミ仲間の原稿を読んだからでした。
課題はワークショップを体験して、それをレポート記事にするというもの。いわゆるイベントレポートと呼ばれるものです。
自分が書いたものを読んでみたら、ずいぶんあっさりしてるなあと思いました。でも、イベントレポートってこんなもんだよね〜、と提出したんです。
そもそも、私が今回ライターゼミを受講しようと思ったのは、自分の感性や感覚で原稿を書く楽しさに気づいたからでした。それまでは、雑誌でメイクのハウツーを説明したり、商品紹介の原稿を書くことがほとんどでした。そこには、私はいない。メイクさんのハウツーを代弁しているだけで、私の色は出ません。書くことで新しい自分を知ることができた。その体験がたまらなく面白かったのです。
もっと自分の感性で、書きたい。コラムや署名原稿書きたい! そのために書くこととちゃんと向き合ってみよう、と思ったわけです。で、ライターゼミを受講しました。
逆の視点から見れば、メイクのハウツー原稿は面白くないと思っていた。だって私の感性や感情が乗らないから。イベントレポートも同様。あくまでも黒子でイタコ。誰かの代弁者にはなっても、原稿から私は見えてこない、と……。
この考えが、ゼミ仲間のレポート記事を読んで覆されました。同じ体験をしたはずなのに、とっても面白い! 読んでて発見や気づきがあるし、心がざわめきました。書き手の強い主張は入っていないのに!
書くことは頭のなかの開示。
そう考えてみれば、「私が」なんて主張せずとも、その人らしさはにじみ出るもの。
書くことを、私、すごく舐めてた。めちゃくちゃ恥ずかしいし、猛省しました。
どんな原稿でも、色の濃淡はあれど、私らしさは出せるんですよね。
そのために私が意識すべきは、捨てる勇気を持つこと。
次に、何を残すか決めること。
そして残したものにフォーカスする。
で、最後に、わかりにくい部分は、潔くぽいっと捨てる!
こんな感じで書いていってみよう。
そんな気づきを得た1日でした。
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