修行のたまもの

「それはちょっとしたコツがある」友久くんは言う。「君も行ってみて分かったと思うけどミシュランで星のついてるような店は難しい。基本的に静かで、客も料理に集中しがちだ。店の隅々まで意識がいきわたってることも多い。そういう店に私たちの居場所はない」
 最後のバッターがセカンドゴロに倒れ、スコアボードにまた0がついた。球場が落胆のどよめきに満ち、応援団の鳴り物が高らかに響く。隣の老人がその隣のスーツ姿の若い男の二人組の方を見ながら何かをつぶやいているが、まるで相手にされていない。
「一番簡単なのは学生の飲み会。でもそこそこのものを求めるなら小金をもってそうなおばはんのランチ。それも三人組のおばはんがいい。たいていもう一つ席が空いてるからね。盛り上がってるところに、トイレから戻ってきたような体で笑いながら座ってしまえば大丈夫。居酒屋とかで三人組のおっさんがくだまいてるのはやめたほうがいい。たいてい暗いから。まあ今度暇があったら実際にやり方を見せてあげるよ」
 私は頷いた。暇はいくらでもある。
「いやそりゃ違う、絶対違うよ」
 隣の老人がその隣の若い男の二人組を見てつぶやいた。若い男の二人組はさっきからビールの売り子と愉快そうに話している。売り子が去ろうとすると、老人も呼び止めてビールを頼んだ。しかし売り子はまたすぐに別の客に呼ばれた。老人は紙コップを一口だけ含み、残りをそろそろと足元の側溝に捨てた。足元にはゆうに十以上の紙コップが積みあがっている。 
「年をとってもこうはなりたくないもんだね」と友久くんは言った。「さむい・さみしい・さもしいの三重苦だ」
 そう言われて気付いたが、既に夏は終わっていた。外野席は風がしきりに吹くので、私も寒いと言えば寒い。友久君も私もこの試合に興味がなかったから、もう帰ってもよかった、というのはお互い三回ぐらいから考えていただろう。正直このぐらいの距離にいるとお互いが考えていることはだいたいわかってしまう。しかし何となくきっかけがなかった。気づけば七回表も終わり、ベンチ前でチアリーダーのダンスが始まっていた。
「何年か前、百人くらいであそこに混じって踊ったことがある」友久くんはチアリーダーたちのいる方を指さして言った。
「楽しそうだ」と私は言ったが、そんなもの楽しいはずがない。そもそも私は踊りが踊れないのだ。
 つば九郎もチアリーダーたちの後ろで踊り始めたので、
「つばめはもう南に渡る時期だろう」と冷やかすように言うと、
「つば九郎は進化の最先端にいるから渡らなくてもいいんだって」と友久くんは真面目に答えた。
 私は先月公園のあずまやのベンチで仰向けに見た、空の巣を思い出していた。
(あの巣は、まち美化推進室によってもう撤去されてしまったのだろうか? )
しかし友久くんは私の感傷をよそに、
「ベンチに入ったり、空いてる方のバッターボックスに立ったこともある」とまた話を戻してしまった。「高津のシンカーも佐々木のフォークも間近で見た。伊藤のスライダーはすごいよ。右打席に立ってるとボールがまっすぐこっちに向かってくるんだ。それで身をのけぞらすとボールは真ん中に構えられたミットにおさまってる」
「誰が一番速く感じた?」
「体感だとマサかな」
「へえ」
「意外だろう。僕だってまさかと思ったけど、でもほんとにそうなんだから仕方がない」
「なるほど」と言ったが、私はマサが誰だか知らなかった。「友久くんけっこう遊んでたんだね」
「昔はね。悪いこともけっこうしたし」友久くんは珍しく子どもらしい口ぶりで言い、気が付いてばつが悪くなったのだろう、「いつまでこっちにいるつもり?」と話を変えた。
 私の代わりに何かがひらめいたような音がして、見上げるとグラウンドの上空に白球が光を発しながら宙吊りにされている。
(大きなフライだ)
 と思っていると白球はこちらにぐんぐんと近づきながら加速し、私はわあ、と声を出してのけぞったが、友久くんは微動だにしなかった。
 白球は座席に跳ね返り、ふりそそぐ照明と歓声にまぎれ、もうゆくえはわからない。友久くんを見ると眉間のあたりを貫かれたらしい、顔の真ん中に出来たくぼみにめりこむように目や鼻が集まっている。
「……なきゃ」と友久くんは奥まった口からくぐもった声を出した。
 訊き返すと、
「……からもう行かなきゃ」
とまたくぐもった声で言った。それで私たちは席を立った。
 ちょうど球場から出たとき、背後で何かがはじける軽い音がした。振り返ると花火が始まっている。応援歌がさっき球場の中にいたときよりもクリアに聞こえる。私はふとさっき白球が近づいてくるにつれ、置き去りにされるのか、その実質が感じられなくなっていったのを思い出した。ああいうことはあんがいありふれているのかもしれない。足を止めて花火を見上げている私の脇を、あるいは中を人々がすり抜けていく。自分の中を通過されると、こそばゆいような気がして、未だに慣れないのだが、友久くんの手前、私は仁王立ちで花火を見つめた。さっきの醜態を挽回しようとしていたのかもしれない。花火が終わると再び振り返ったが、もう友久くんの姿はなかった。ただ雑踏だけが夜に続いていた。

      〇

 私が死んだのはまだ先月のことにすぎない。
日曜の朝五時まだあたりが薄暗い中、いつものように家を出てランニングをしていると、春日池公園の雑木林に差し掛かったところで、急に胸に刺すような痛みが走った。私は池に突き出た東屋のベンチに倒れこむようにして仰向けになった。
胸の奥に細い穴があいたようなきりきりとした痛みがあり、ふと屋根に空の鳥の巣があるのが気になった。
(あれはつばめの巣だろうか)
 私は幼い頃友人の家に遊びに行った際、部屋の蛍光灯の近くにつばめが巣をつくっていたのを思い出した。
(あのつばめの巣は結局どうなったんだっけ?)
 胸の痛みはますます強くなる。空気の冷たさに鼻の奥が陰気にうずいた。
(痛みは走るのに、俺はもう走っていない)
 私はそのくだらなさに余裕と慰謝を見出そうとしたが、意識は痛みが空けた細い穴にみるみる吸い込まれていった。

 目が覚めるとあたりは既に明るくなっていた。向かいのベンチのハンチングをかぶった老人の男がパンくずをまいている。集まった大量の鳩たちは頭を上下に振りながらついばんでいる。東屋の四本の白い柱には四本とも「糞を撒き散らすので、ハトに餌をやらないでください まち美化推進室」と張り紙がしてある。
 私がからだを起こすと鳩たちはいっせいに飛び立った。地面には鳩たちの羽と、パンくずが散らばり、白い糞も無数にこびりついている。老人は一度手を止めて私を見たが、またすぐに恍惚とした顔つきでパンくずを撒き始めた。私は立ち上がった。胸の痛みはもうなかった。
 家に帰ると一一時過ぎで、寝室を覗くとやはり妻は眠っていた。カーテンは閉まっていて、部屋の中はまだ薄暗い。
「帰ったよ」
と言っても反応はない。ただゆっくりと胸を上下させ、静かな寝息を立てている。伏せられた睫毛は微かに震えているようにも見える。私は無性に妻のからだに触れたくなった。今日こそ彼女も自分を受け入れてくれそうな気がしたのだ。私と妻の間の没交渉は当時すでに五年以上に及んでいた。
 はやる気持ちを抑え、私はシャワーを浴びた。シャンプーもボディソープも使わず湯で汗を洗い流してしまうと風呂場を出て、からだを拭いた。ところがドライヤーを片手に鏡を見ると、どこにも自分が映っていない。ただ赤いドライヤーだけが宙に浮いている。
 驚いた拍子に私はドライヤーを落としてしまった。慌てて拾おうとすると、うまく掴めない。遠近感覚がおかしくなったのかと思ったが、ちがう。私の手がドライヤーをすり抜けているのだ。私はもう一度鏡を見た。そこにはやはり何も映っていない。
(ああ、俺は死んだのだな)
とようやく私は会得することができた。心の中で何度かそう呟いてみると、やけにしっくりときて、ますます得心した。
 私はドライヤーのスイッチを切ろうとしたが、やはり手はすり抜けてしまう。何度試しても、結果は同じことだった。横たわったドライヤーの口からはあてどなく風が吹き出している。このままでは妻が起き出して、発見してしまう。そうなれば妻は決して私を許さない。つけっぱなし・あけっぱなし・出しっぱなし等、後処理を怠ることは彼女の最も憎むことの一つだ。
「あなたはこの家の住人としての責任を果たしていない」
 いつのことだったか、妻は開いたままのトイレの蓋を指さして私にそう言った。返すべきことばもなかった。私はただぱっかりと無邪気に開いたままのトイレの真っ白な蓋を、恨めし気に見つめることしかできなかった。
 ふいに指先に確かな感触があって、もうドライヤーの風は止まっている。私は喜びを抑え、コンセントにも手を伸ばした。けれども指先はまたむなしくコードをすりぬける。何度やっても同じことだった。
 よく考えれば、妙だった。帰って来たとき私はドアを開けたし、シャワーも浴びたし、ドライヤーだってスイッチを入れるところまではできたのだ。それがどうして今はできないのか? 死んだことにはっきりと気付いてしまったからだろうか? それならばどうしてさっきはスイッチを切ることができたのか? 強い思いがあったからだろうか? もう妻に怒られたくない、という。
 私はいくつかの疑問や仮説を弄んでから、玩具に飽きた幼児のようにそれらを放り出した。物事を突き詰めて考えるのは私の得意とするところではなかった。
 私はもう一度寝室を訪れた。ドアは開けなかったが、すりぬけた。妻はまだ眠っていた。いろいろな場所を触ろうとしたが、すりぬけてしまう。強く念じてみても、うまくいかない。オナニーしよう、と私は思った。しかしいくらペニスを弄っても興が乗らない。さっきのようにうまいタイミングで精子だけが実体化でき、妻の中に射精出来たらどうなるだろう?妻は死者の子どもを孕むのだろうか? 私がそんなことを考えたのは、そんなことを考えれば、あんがい興奮するかもしれないと思ったからである。しかし発想がやや抽象にすぎたのだろう、ペニスはむしろ萎えてしまった。私はしばらくベッドの傍に佇んだ。
 さっきは気づかなかったが、カーテンの隙間から差し込んだ光がベッドの上を走り、奥の箪笥を駆け上がっている。箪笥の上に置かれた青の唐草模様の大皿は光が走っている部分だけ青が浮かび上がっているが、近くで見るとだいぶ埃が溜まっている。
 この大皿は新婚の時に、旅行先の蚤の市で買ったものである。その鮮やかな青さに妻が一目ぼれしたのだ。売り子の男によれば、それはペルシアの星空の青さなのだという。大きすぎて使い道がないだろうと私は言ったが、妻は使い道なんてものは後でわかってくるものだと反論し、結局は彼女の言い分が通った。
 妻はたぶん雑誌か何かで見たのだろう、この大皿にいくつも檸檬を載せインテリアにした。何となくこそばゆい気もしたが、大皿の青と檸檬の黄はどちらも鮮やかでよく合っていた。家に招いたイラストレーターの友人がいいアイデアだと褒めてくれたのに気を良くして、妻はそれからも季節ごとにいろいろなフルーツをその大皿に載せた。しかしあるときからぱたりとやめてしまい、この埃はそれ以来の堆積である。光に浮かび上がった鈍い青は本来のペルシアの星空の青さには程遠い。
 妻が起き出した来たのは結局午後四時過ぎだった。私はかなり腹を立てていた。長い時間待っていたからではない。それまで私はリビングの赤い革張りのソファーに腰掛け、ただぼんやりと過ごしていたのだが、死んでみると、何を急ぐでもないので、時間が経つのがずいぶん早く感じられた。私は単に妻のだらしのなさに腹を立てていたのである。無論休日は好きなだけ眠りたいという彼女の気持ちはわかる。だからといって午後四時過ぎに起き出すのはあまりに時間の経済を軽視している。せめて昼過ぎに起きればもう少し有意義な休日を過ごすことができたのに。これでは休日に眠るために平日働いているようなものではないか——私にだって彼女に言いたいことはあるのだ。
「何か趣味でも見つけたら」
 いつも休日を惰眠に費消する妻を見かね、そんなことを言ったこともある。まだそんなことを言えた時期のことだ。
「趣味ってわざわざ探すものなのかしら」
と言った妻は、ジムに通い始めた。フィットネスにはすぐ飽きて、水泳やヨガ教室を体験だけして、次に始めた社交ダンスはしかし意外にもそれなりに続いた。休日のリビングにクラシック音楽が響き、妻がどたどたとぎこちないステップを踏み鳴らし、私のワイシャツを相手取って乱暴に袖を上下させ、発作を起こしたようにからだを反らしてはターンを繰り返した。『美しく青きドナウ』や『ラプソディ・イン・ブルー』、『ジムノペティ』、『エリーゼのために』……どんな曲でも妻の踊りにはある種の一貫性があった。単に頑なで、一本調子だったと言ってもいい。その踊りは確かに修行の険しさを帯びていた。
「あなたも踊ってみる? 」
と一度だけ訊かれたことがある。しかし私は今まで踊りを踊ったこともなく、踊れるわけがなかった。私は断った。
「見てるだけで楽しいから」
嘘ではなかった。妻の踊りのしかつめらしい筋の通しかたには、確かにひとのほのかに明るくさせるような健やかなものがあった。私は妻のダンスが好きだった。しかし妻は一年もしないうちにやめてしまった。どうしてなのかと訊いても、
「何だか飽きちゃったの」と答えるだけだった。そうしてまた深々と眠るようになった。
 妻は私の苛立ちをよそに、テレビをつけ、寝間着姿で顔も洗わないまま、夕方のワイドショーに見入った。一五分ほどしてコマーシャルになると、妻は洗面台に移った。そうしてドライヤーのコードが繋ぎっぱなしにしてあるのを見て、大きなため息を吐いた。背後の私に聞かせているようなこれ見よがしなため息だった。
 妻はドライヤーを片付けると、無造作に服を脱ぎ、叩きつけるように洗濯機に放り込み始めたので、私はリビングに戻り再びソファーに腰掛けた。妻が風呂から出て、髪にタオルを巻いたままリビングに戻ってきたのは午後六時前だった。妻はソファーの真ん中に勢いよく腰掛けたので、自然私は端に追いやられた。
 妻は私が家に帰ってきていないことに、気づいている風でもあったし、気づいていない風でもあった。
 私は何度か隣でテレビを見ている彼女に、
「おうい」
と声をかけたり、視界を遮るように正面に立ったり、ことさらに鼻息を立ててシャンプーの香りを嗅いだりしたが、すぐにむなしくなってやめた。結局妻は九時過ぎまでテレビを見てからようやく夕食の準備を始めた。

 その日彼女が私に電話したのは夕食前の二回と、就寝前の一回である。メッセージはテレビを見ている際に一回と、やはり就寝前に一回送っているから合計で五度連絡を取ったことになる。日曜日に丸一日姿を見せず、家にも帰ってこない夫に対して、五回という数字は多いのか少ないのかはわからない。メッセージを送ったり、架電する際の彼女を表情からはあまり多くのものは読み取れなかった。焦燥に駆られた人が努めて自らを落ち着かせているようにも見えたし、単にある種の事務手続きを無感動にこなしているようにも見えた。共通の友人や、私の親族、それから警察などには一度も連絡はしなかった。あんがいそういうものかもしれない。
 妻が私の死を知ったのは翌日の昼すぎだった。私の職場から妻の職場に電話が掛かってきたのだ。
 その日の早朝、私の職場の同僚が、身元不明のランナーが日曜の早朝に春日池公園の東屋で倒れそのまま亡くなったというニュースを見た。同僚は私の習慣を知っていたので、まさかと思っていたが、職場に出てみると私は無断欠勤である。上司にニュースのことを伝えると、一〇時まで待ってみることになった。無論私は現れない。上司は私の妻の職場に架電した。妻に私の安否を訊くと案の定前日の早朝から私は不在にしているという。上司は妻にそのニュースのことを伝えた。それで妻は警察署に赴き、ようやく私の死を知った。
 ——というのはすべて後から知ったことである。私自身はその日、妻が出て行った後も家の中でただぼんやりとしていた。妻の会社についていくことも考えたが、さすがに気が引けた。職場での妻の様子を見るのはなんだかこわい気がした。
すると昼前に妻が家に戻ってきて、あわただしく喪服をクローゼットの奥から引っ張り出してきた。それで私は妻が私の死を知ったことを知った。

 そこから先の妻の段取りの良さは見事だった。秋口とはいえ、まだ昼間などは二五度を超える日が続いていて、既に私は死から一日以上が経過していたので、葬儀はできるだけ急がねばならなかった。妻は関係者に手際よく電話をかけ、メールを送り、同時並行で葬儀社との打ち合わせも進めていった。彼女は相手や場面に応じ様々の声色や、文体や、表情を用い、そのどれ一つとして的外れなものがない。こんな機会でなければ使わない種々の言い回しもさっと口にすることができたし、それが浮ついたものにならなかった。私はただ彼女の後ろをついていけばよかった。
 喪服姿の妻は美しかった。普段より首筋がすっと伸び、呼吸は深く、肌も艶めいて見えた。幾人かの若い男は彼女を盗み見ていた。その男たちの中には、付き合ったばかりの頃に写真を見せたときは明らかに微妙な反応をしていた面食いの友人もいて、私は自分でもあさましいと思いつつも誇らしい気持ちがした。
 私は棺に入った私も見た。棺の中の私は無論目を瞑っていて、化粧も施されている。わりあい綺麗な死に顔をしているが、香料の中に、妙に甘ったるいような、それでいてイカを焼いたようなあとをひくにおいがして、これが他人ならすぐに顔を反らしただろうが、何しろ自分のにおいである。何度も鼻を近づけては嗅いでしまう。爪の間の肉が乾燥で割れて化膿すると、つい爪の間を嗅いでしまう癖が私にはあって、妻には、
「犬みたいだからやめな」と言われ、
「くうーん」と鳴きまねをすると、
「ほんとにやめてほしい」と言われたので、私は以後その鳴きまねを封印していた。
 そのうち花入れが始まって、私は棺を離れた。まっしろな菊の花に少しずつ私が埋もれていく様を見つめていると、我が事ながらずいぶん感傷的な気分になる。もう少しで泣けそうだというところで、初老の女の激しい嗚咽が響き始めたので私の涙は引っ込んだ。腹が立って女の正面に回り込んでみると、母である。その繊細に震える肩を隣に立った父がさすっている。私は申し訳ない気持ちになった。と同時に空想が飛躍して、もし自分と妻の間に子どもがいて、今ほど冷え切った関係ではなくて、その子どもがやはり死んでしまった場合、こんな風に二人して悲しめた未来もあったのだろうかと思って、そちらの空想の方で胸がいっぱいになった。
 関係が冷え切ったのに、これといった原因があるわけではなかった。少なくとも私には思い浮かばなかった。私は結婚前も、結婚後も派手に遊んだりするタイプではなかった。「遊ぶのに向いてないんだよ」と酔いの募った席で、上司に何となく侮った言い方をされたこともあるが、実際そうだと思ったし、それでいいじゃないかとも思って腹も立たなかった。遊びをしないことで歓心を買えるわけではないし、かえって少し遊んだ方がという言い分にも確かに一分の理があることぐらいはわかっている。私は真面目に働いて、金遣いも荒くなかったし、しちめんどくさい節税対策や資産運用もやっていたし、家事だって折半し、定期的にどちらかの負担が大きくなっていないか点検したし、記念日等はまめに祝って、プレゼントもその都度真剣に考えていたし、ひょっとして応じてくれないのは腹が出てきたせいではないかと思って一念発起でジョギングを始めて腹を引っ込め、その後もその体型も維持していたし、そうして何より日々の生活できちんと相手を尊敬し、気遣って、しかし気遣っていることをこれみよがしに押し出したり、隠したりもしなかったし、そうすることを課題と捉えたり、課題と捉えていると捉えられたりすることは努めて避けていたし、けれどもあんがいそんなところが相手を少しずつ窮屈にしていったのかもしれない。息苦しくさせていたのかもしれない。ともかく私たちの関係は宇宙が拡大して星々がどこまでも離れて熱を失っていくように、少しずつしかし確実に冷えていった。ただそれでも私たちは互いにかりそめの尊敬は保ち続けた。日々は自然勤めの色を帯びていった。
 私たちのあいだに子どもはいない。やるべきことをやっていないのだからあたりまえといえばあたりまえだ。しかし両親はそんなことは知らない。帰省するたびに陰に陽に孫をせかしてくる。それで妻は私の実家に顔を出さなくなった。ついで私も何かと理由をつけて帰らなくなった。見栄を張ったのではない。彼らを心配させたくなかったのだ。
 私は今まで彼らに食傷したり辟易することはあったが、愛を疑ったことはない。距離の伸縮はあっても概ねうまく行っている家族だったと思う。だから何となく自分の家族もうまく行くものだとは考えていた。けれども結局何も残せず、よく考えれば家系もこれで途絶えてしまったわけである。家系というものを今まで真剣に考えたことはなかったが、糸がふっつりと切れてしまうと、何か厳かで、遥かで、尊い連なりだったようにさえ思えてくる。

 よく晴れた風のない日で、私は私が一筋の煙となって空高く昇っていくのを、妻の傍らで見送った。精進落としの席でも妻の傍らで挨拶を聞き、酌をして回るのについていき、妻が頭を下げるのに合わせて私も頭を下げた。会がお開きになると私は私の骨箱を抱えた妻と一緒にタクシーに乗り込み、妻の肩や私の骨箱を撫でさすった。家に帰ってきて、妻が喪服をリビングに脱ぎ散らかし、Tシャツとタイツに着替え、ソファーに倒れこむと、自分も大きなことをやりきったような、晴れ晴れとした気持ちになって、大気に透け入るような大きい伸びとあくびをしたが、成仏はしなかった。
 
 四九日が過ぎてもやはり私は成仏しなかった。ただその頃には死者としての生活にもずいぶん慣れ、先行きについて不安に思うことは少なくなった。できること・できないことはだいぶはっきりしてきたし、家を拠点としながらも外に遊びに行くことも増えたので、幾人か似たような境遇の知り合いもできていた。
 平くんは関西出身の、ふくふくとした頬をした小柄なひとである。髪型や眉がどこかあかぬけないのと、顔つきが比較的つるりとしているので、初めは学生かと思っていたが、四三なのだというから驚いた。生前は大学で研究職をしていたらしく、顔つきが幼いのはそのせいだろう。しかし年がわかってからもやはり「平くん」で通している。目上の人をくん付けで呼ぶのには抵抗があったが、そういうものだから仕方がない。幸い学者の世界は年齢による上下関係がわりあい弱いらしく、平くんはあまりそのへんのことを気にしていないようだった。こちらも呼んでいるうちにだんだん慣れてきた。
 平くんと出会ったのは死後一週間ほどたったころのことである。その日私はずっと家にいるのも気づまりになって、電車に乗った。特に行きたい場所があったわけではない。ただどこか知らない場所で降りてみようと考えたのである。
 通勤ラッシュの時間を避けたこともあり、中心部を離れると電車の中はだいぶ空いてきた。2列掛けのシートを一人で使って窓の外を流れていく景色を眺めていると、
「隣いいですか?」とモスグリーンのウインドブレーカーに黒いスラックス姿の小柄な男が声をかけてきた。その声のかけ方があまり自然だったので、私は会釈し、窓際の席に寄ったが、他に2列とも空いているシートはいくらでもあるし、そもそも私は死んでいる。
「すんませんな」と男は通路側の席に腰掛けて言った。「最近お亡くなりになったんですか?」
 いきなり核心に迫る問いかけだったが、不快感はなかった。よく考えると別に核心というほどのものでもない気もする。
「一週間ほど前、ジョギング中に倒れましてね」私はいかにもそれが何度目かの問いと説明であるかのように、胸に手を置いて苦笑いした。「胸をやっちまったんです」
「それはそれは」男は眉をひそめ、自らも胸に手を置き、一瞬苦しそうな顔をして見せたが、
「まさしくハートブレイクですな」と言ってきゅっと眉をあげ、ハッハッハッハッハとしゃくりあげるように笑った。つまらなかったが、私も笑った。
「私は肝臓を壊しましてね」男は不意に真顔になってわき腹を抑えた。「肝がんで、三年ほど粘って闘病してみたんですが、結局一昨年の冬に白旗をあげました」
「それは」私は何と言おうか迷って、今度は自分が顔を作って、「お疲れさまでしたね」と言った。この言い方は今では私の中では定型になっている。
「ありがとうございます。しかしがんというのは世間で思われてるほど悪い死に方じゃあないですよ。闘病生活自体は確かにつらいですが、死にからだを慣らしていくことができますからね。身辺の整理もできますし、心の準備にもなる。覚悟が定まってくるんですな」
「なるほど、確かに私の場合ですと」
 と私が言いかけたのにかぶさるようにして、
「それになにより家族仲がずいぶんよくなりました」と男は続けた。「私には当時高校にあがったばかりの息子と、高校受験を控えた娘がおりまして、二人とも反抗期まっさかりで手を焼いていたんです。特に娘の方は全く口をきいてくれない状況でして。しかし私が病気になりますと、二人とも驚くほど態度が変わりました。娘なんか学校終わりに毎日のように見舞いに来てくれて、『お父さんの心配より自分の勉強がんばりなさい』と言うと、今度は勉強道具を持ってきて、英単語や歴史の暗記をずいぶん手伝わされました。娘の受ける高校では面接でスピーキングテストもあるらしく、英会話の相手も務めました。私は仕事柄英語の読み書きはそれなりにできたんですが、しゃべりの方はからきしでして。娘にいいところを見せたくて、昼間にラジオでNHKの英会話を聞いてこっそり練習もしたりしましたよ。
 息子の方も娘ほどではないが見舞いに来てくれましてね。男同士だと親子でもあまりしゃべることはないんですが、一緒にテレビを見ながらぽつぽつ話したりして。それからどこで買ったのかかえるの首振り人形をくれたことがありました。ソーラー式で、日に当たりさえすれば半永久的に動くんだそうです。初めは我が息子ながらいったい何を考えてるんだろうかと訝しんだんですが、誰も見舞いに来れない日の夕方なんかにそのかえるが射し込んできてきた西日で首を振り始めたりすると寂しさがまぎれるんです。
 息子と娘と三人で英会話をしたこともありました。ことばというのは面白いもので、不自由な方が互いに素直になれるもんですな。娘から『パパ、アイラブユー』なんて日本語じゃまず言ってもらえませんからね。もちろん妻とも今後の話し合い等も含め密度の濃い時間を過ごしましたが、一番思い出に残ってるのはこの二人の子どもたちと過ごした時間です。
 家を覗きに行くと、今でも食卓机は四つの椅子で囲んでいて、私の席には例のかえるの人形が置かれてます。この人形が西日で動きだしたりすると、私のことが話題に上がったりもします。そういうときの彼らの口ぶりはどこか私がそこにいることを薄々察知しているような、どこか演劇めいたところがあるんです。空いた椅子に腰かけて耳を傾けていると、私が生きていたときよりも私が死んでしまった今の方が私がそこにいるような気さえするんです」
 男はたぶん、いつも話しているのだろう、こなれた抑揚で一息に語って、少し間を置いた。電車は減速し始め、窓の外の田園風景の流れは粘るように緩やかになっていく。
「だけどまだ成仏はしない。不思議なもんです」
 ようやく話題が自分に近いところに戻って来たので、私は、
「どうすれば私たちは成仏するんでしょうか?」と訊いた。教えを乞うような口調になっていたせいか、
「君は成仏したいんですか?」と男も何か気づきを与えるような分別くさい口調で訊いてきた。
「そんなような気もするし、そうでもない気もします」
 電車が止まったが、駅ではない。窓の外は時間が凝ったような田園風景が広がっている。畑を焼く懐かしい匂いが鼻をつく。アナウンスが先の踏切で人身事故があったことを告げた。
 私はなんだかばつが悪くなって隣を見ると、男はもう立ち上がっている。
「様子を見に行きましょう」男の口ぶりは提案というより指示だった。「また仲間が増えるかもしれません」
(いつの間にか、仲間にされてしまっている)
 と思いながらも、私は男の後をついて電車を降り、踏切の前まで来ていた。消防車と救急車が踏切の反対側に行儀よく並んでいるさまはなんとなく食玩めいたかわいらしさがある。一応現場はブルーシートで囲まれているが、隙間から銀色のビニール袋のようなものがこんもり膨れ上がっているのが見える。現場の隊員たちの話をそこここで盗み聞きしていると、どうやら左腕が見つからないらしい。
「探しましょう」と男は言って踏切の中に入っていったが、
「悪趣味ですよ」と私はついていかなかった。
 しばらくして男は首をひねりながら戻ってきて、
「やっぱり見つからない」とがっかりしたように言った。
「もう戻りましょう」と私は言ったが、男は相変わらず首をひねっている。
 おうい、あったぞう、と背後から間延びした声がした。
 振り返ると、もう男は声の方に向かって歩き出している。今度は私もついていった。男は気ままな足取りで、生前はきっと人ごみで少しずつ迷惑を散らして人を避けさせていた口だろうと、私は思った。ああいう歩き方は剣呑に思えたが、あれは今考えれば、死者にこそふさわしい足取りだったわけだ。
 ここだ、ここだ、という声は線路わきの藪の中から聞こえた。わけいってみると、一人の若い男がしゃがみこんでいる。確かに男の目線の先にはちぎれた左腕が転がっている。既に蟻たちがたかり始めている傷口もさることながら本体から離れてなお固く握りしめられた拳にも目線がいった。爪先は手のひらに食い込んでいる。おそらく衝突の瞬間にかなりの力が入ったのだろう。
 あんたらこれを向こうに持ってってくれよ、と男は言った。俺じゃ重くて持てないんだ。
「それあなたのなんですか?」と男が訊くと、
「そうだよ」と若い男は言った。
「でもあなたにちゃんと左腕がついてるじゃありませんか」と男が言うと、
「あれほんとだ」と若い男は右手で左腕を触り、確かめるように手のひらをぽんと叩いた。
「そっか、死んだからもう関係ないのか」照れ臭さをかきけすためだろう、若い男はやけにあっけらかんとした口ぶりでつぶやいた。
 三人は藪の中で軽い自己紹介をした。平くんの名前を知ったのはこのときが初めてである。平くんはまた自らの闘病生活について語ったが、内容は私のときとは少し違っていた。娘は高校受験ではなく大学のAO入試を控えており、息子は商社マンで今治の船舶関係の業務についていて、容体がよくなれば社割を使い家族全員でクルーズに行こうと誘ってくれたのだという。平くんは決して乗り込むことのなかった想像の船の出航を見送るような遠い目をして語った。平くんからは他にもいくつかのパターンを聞いたことがある。
 若い男の方は辻本と名乗った。今回は事故ではなく自殺とのことだったが、わけを聞くと、
「まあいろいろありまして」といかにももっと聞いて欲しそうに答えたので、私たちはそれ以上聞かなかった。すると辻本くん意地になったのか、
「しかしやはりすぐには成仏しないものなのですね」といかにも知った風な口をきいた。すると平くんが、
「もうすぐに逝きたいですか?」と訊いた。表情は真面目なので、煽っているようにも見えるし、本当に辻本くんのことばをまっすぐ受け止めているようにも聞こえる。
「まあそのために……」と辻本くんは後を汲んでほしそうに、語尾を漂わせる。
「一応ね、バスが何本か出てるんです」平くんは線路の向こうを指さした。「ここからだと三駅くらいだったくらいかな。駅から降りてすぐ門前町があるでしょう。そこのまあ行ったらわかると思うけど、一番大きな寺の門の前にバス停があって、そこから出てます。一時間に一本くらいだったかな。浄土宗系とかで熱心なところだと一五分に一本とかであると思うんですけどね」
「それに乗るとどこに行くんです?」辻本くんは平気そうに訊いた。
「乗ったことないからねえ。でもたぶん逝けるのは逝けると思います。戻ってきた人見たことないし」
「ふーん」辻本くんは頷いて、私を見た。
「そうなんですねえ」と私は正直に感心してみせた。すると平くんは、
「電車も出てるって聞いたこともあるんだけど、それは見たことないんだよなあ」と唸ってみせた。
 また平くんに長々と語られてはたまらないので、
「でも今日は逝くつもりじゃないんでしょう?」と辻本くんに助け舟を出した。
「ええまあ」と辻本くんはやはり平気そうに言った。
「それがいいよ。今日ぐらいはゆっくりしたほうがいい」平くんは年長者らしく感慨深げに頷いた。「少し息抜きも必要だ」
 平くんはレクリエーションだと言って私たちを線路の上に招いた。電車が来ると私と辻本くんは避けたが平くんは立ち続ける。たちまち平くんのからだは轟音と共に電車に飲み込まれた。しかし電車が走り去ってしまうと、再び平くんの姿が線路の間にたちあらわれた。
「逃げちゃ意味ないよ」
 二度目は私も逃げなかった。電車が眼前に迫るにつれ、線路のあいだの砂利が震えだし、レールが鈍いこわばりを帯びていく。一瞬電車の正面が顔に見え、その中の運転手の顔がまるで顔に見えなくなったかと思うと、私は投げ込まれていた。
 ふいに轟音が遠ざかり、あかるく静かな車内が圧倒的な速度で私を呑み込み、駆け抜けていく。私の両脇をシートに腰掛けた人々や吊革を手に立ちつくした人々が流れ去り、あるいは正面から私の中を過ぎ去っていく。走馬灯のように無数の顔やからだが目まぐるしく更新され、窓の向こうに再び線路が見えたときには、もう電車は私たちの遥か背後を走り去っていた。
「どうです」と平くんは自慢げに訊いた。
「死ぬかと思いました」と私が言うと、平くんは笑った。
 辻本くんは遠いところで私たちの会話を聞いて曖昧に笑った。彼は二度目も逃げ出していた。
「だいたいの要領はつかめたんで、次はいけます」
 辻本くんは尊大な新入社員のような口ぶりでそう言ったが、三度目も駄目だった。おそらく死んだときのことがトラウマになっているのだろう、私はもうやめさせた方がいいのではないかと平くんに耳打ちした。「レクリエーションにならないですよ」
「『宇宙兄弟』読んだことある?」平くんは私と辻本くんに等分に聞かせるような声量で言った。「その中にこんな話がある」
 NASAに属する主人公の弟はある日の船外活動でトラブルに巻き込まれる。九死に一生を得たものの、その航海では大事をとって船外活動からは外される。弟は無事地球に帰ってくるが、PTSDになる。NASAはあの手この手で回復させようとするがうまくいかない。ついに弟はNASAをクビになり、ロシアに向かう。ロシアでPTSDの話をすると、責任者の一人は険しい顔をして次のように言った。私たちならトラブルが起きた直後、再度船外活動を命じただろう、と。
「なるほど」
『宇宙兄弟』を読んでないからわかったような、わからないような話である。しかし辻本くんはわりに真面目な顔で聞いていた。『宇宙兄弟』を読んでいたのかもしれない。
「私たちはロシア式で行こう」平くんは険しい顔で言った。
 レクリエーションがいつの間にか部活の特訓になって、辻本くんは、陽が沈みそうになった頃、ようやく電車に自らのからだを投げ込むことができた。何度目の挑戦だったのかはわからない。一度成功すると、もう大丈夫だった。頭から投げ込むこともできたし、走って投げ込むこともできた。ロシア式が功を奏したのだ。日暮れまで、私たちは口々にウラーを叫びながら自らを投げ込み続けた。
 夜が来て、私たちは別れた。
「また会いましょう」と平くんが言った。
「ぜひまた」辻本くんも言った。それから懐を探ったが、急に思い出したように笑って、「連絡先の交換とかってしてます?」と阿るように私と平くんを一度ずつ見た。
「住んでるとこなら教えられるけど」平くんも笑ったが、それは立場の上下を悟らせるような笑い方だった。「でもそんなことをしなくとも、またふと会えるよ。おそらくは次に会うべきときね」
 実際平くんとはそれからも何度か会っている。平くんが言った通り、曲がり角や、エレベーターが開いたときや、コンビニに入ったときなど、思いがけないときにふと出会うのだ。辻本くんとはまるで会わない。門前町からのバスに乗っていったんですかね、と言うと平くんは、あれはつくり話だよ、と笑った。「だけどあの子は頭が悪かったから、もしかしたら、ずっとそこでバスを待ってるのかもしれないね。今度様子を見に行ってみよう」
 しかし私はまだ平くんとそのバス停に行ったことはない。
 そのほか和田くんや、有賀さんや、友久くんや、ヨラムくんや、沢登くんとなどと交流があった。有賀さんはひたすら高校時代好きだった男の子たちのその後を追っては幻滅するという遊びに夢中で、ヨラムくんはことばこそ通じなかったもののありえない方向にからだをねじるやり方を教えてくれ、沢登くんはずっとデニムの色落ちを気にしていた。
「どうせ死ぬんなら殿堂入りさせてた方のリーバイスを履いたまま死んだらよかった」
 私たちは死んでいるので好きなように服を着たり脱いだりできない。しかし時折は気づいたら服が変わっていたというものもいる。セルフイメージと関係あるのだろうかと考えたこともあるが、それならば沢登くんがいつまで経っても殿堂入りのリーバイスを着れないのはおかしい。が、私など未だにアンブロのジャージ姿で、それで別段不満はない。私たちは隙に着替えられない代わり、時間が経っても服が汗臭くなったり、ほつれたりもしない。無論色落ちもしない。
 妻は実家に帰り、仕事を続け、犬を飼い始めた。洋風の、レトリーバーだと初めは思っていたがレトリーバーでもないらしい茶色い大型犬で、妻はその犬に私の名前を付けた。名前を呼ばれると、つい私も振り返ってしまう。犬の後を付き従って、
「くうーん」と鳴きまねをしたりもするが、無論妻は何も言わない。しかし犬の方は時折私の方を見て、うらめしそうな顔つきでハッハッハッハと舌を出す。その舌の出し方が、こちらの自意識過剰だとはわかってはいるが、何となく小ばかにしている風である。私は虚しくなって付き従うのをやめる。妻は犬に対しては濃やかな愛情を見せた。平日は早朝起きて散歩に連れて行ったし、あれほど出不精だったくせに、休日には車を出して隣県までドッグランに連れて行ったりもしていた。私も車に乗っていったことがある。犬と並んで後部座席に乗っていると、ときどき妻とバックミラー越しに目が合う気がして、また妻も時折私の名を呼んで話しかけるので、わかってはいてもいちいちその度に驚いてしまい、犬に呆れたように見つめられるのだった。これは人によって態度を変える犬で、私のことは明らかに自分より下に見ていたのだ。
「犬に嫉妬するようになったら終わりだよ」
 平くんは階段を私の頭上斜めに上がっていく。踊り場の鏡にはやはり平くんの後ろ姿は映っていない。私が踊り場まで来たときにはもう平くんは廊下から2107号室のドアに居酒屋の暖簾をあげて空席を確認するように右手と頭を突っ込んでいて、
「やってるやってる」とつぶやいた。
追いついて、私も居酒屋の暖簾をあげて空席を確認するように右手とドアに頭を突っ込んでみると、なるほど確かに女の嬌声が響いている。遠のいたかと思うと伸びあがり、たわんだかと思うと浅く散じて、突然声が絶え静けさが張りつめる。
「おじゃまします」と言って平くんは土足のまま上がり、私も後についていく。まだ昼間なのにリビングのカーテンは閉じられ、ソファーに積まれた洗濯物やテレビの画面や観葉植物がいっそう暗くなっている。平くんは寝室をノックし、ドアを突き抜け、私も突き抜けた。
 ベッドの上で男が上になり、女が下になり、抱きしめ合っている。男はまだ小刻みに腰を動かしていて、その度女が押し殺したようなうめき声をあげる。男は要所要所で気を遣るのをこらえているせいか、リズムが不安定で、波が一気に押し寄せそうなところで流れが滞り、女がもどかしそうに自分から動こうとするとかえって腰を引き、そのくせ当人は何とも思いつめた顔をしているので、初めは見ているとやきもきしたのだが、だんだん気持ちが冷めると同時に頭が冴えてきて、妙に滑稽に思えてきた。ジョークを説明する人の懸命さにも似たものも感じる。
「人のセックスを笑うなって、前あったよね」と平くんは言った。「見た? 」
「映画は見てません」
「小説は読んだの? 」
「いえ」私は壁際に不寝番の従者のように五つ並んでいる本棚を眺めた。わりに読書家のようである。しかし並びは適当だった。私は読書家ではないが、こういう本棚を見ると著者順に並べ替えたくなってしまう。妻の小さな本棚をよかれと思って整理して、「ほんと余計なことばっかりするんだから」と辟易されたこともある。「あるかと思ったけど、ありませんね」
「つまり何にも知らないわけだ」平くんは節をつけるみたいに言った。つまり・なんにも・しらないわけだ。そうして繊毛運動のように腰を前後に動かす一対の男女を、目を見開いて見つめてる。「だけど確かにこりゃ笑っちゃいけないねえ」
「平くんは読んだんですか」私はヘッドボードの目覚まし時計の隣に、黄色のメモ帳が置かれ、その一番上に、

 運動も食事制限もないダイエットがしてみたい
 →おかきよしか

 と殴り書きがある。
「犬のセックスは見たことある? 」
「いえ」
「そうか」
 辛抱強く締まった尻とは対照的に、男の投げ出された足の裏は意識が行き渡っておらず、いかにも無防備である。女は男の背中にいたわる手つきで両手を回しているが、肩越しに天井を見つめる物憂げな瞳はどこか既に男を見放した気配もある。
「奥さんとのセックスは懐かしくなったりする? 」
「どうでしょうね」
「私はさっぱりだなあ。だいいち子どもができてからはめっきり執着しなくなってねえ。年を取ると互いに裸がふてこくなるんだな。若い頃はそれこそ修行みたいに律儀につとめてたんだけど。それでも不思議なのは、すっかり枯れたつもりでいても、時折は何かの拍子に一つ屋根の下にあることが改めて意識に匂って、何だかうわずってきて、どうにもいけなくなる。言ってみりゃああれは近さが瞬くんだな。押し倒してしまえばまた遠のくんだけど。どうだった? 」
「どうって? 」
 私は男女のセックスをほとんど応援の気持ちで眺めて、平くんの話をあまり聞いていなかった。
「奥さんにむらっとくることあった? 」
「まあそれなりには」
「じゃあわりに定期的には? 」
「まあそうですねえ。そりゃ若い時みたいにはいきませんが」私は女が顎を仰け反らすていで、ヘッドボードの時計を確認したのを見た。伸びた喉が意外なほど年寄りじみていて、何だか陰惨だった。もう潮時だった。
「週一ぐらい? 」
「いやそこまでは」私は苦笑した。
「月一ぐらい」
「まあそんなもんですかねえ」
 と呟いた瞬間、私は床を落下していた。いくつもの部屋が私を包んだかと思うと頭上に吹き抜け、冷えたピザとグラスが残ったテーブルやテレビの前に並んだ表情の絶えた老夫婦や虫の死骸が斑をなした電灯や無人の部屋に青い光を発するパソコンやヨガマットで筋トレをする女や緑のカーディガンのかけられた椅子やソファーで横になって天井を見つめる男や埃の積もったピアノやその影に並べられた酒瓶やいくつもの人影の図像が相互に戯れ瞬く間に過ぎ去って、帯となる間もなく、私はロビーに着地していた。
「嘘をついただろう」平くんは呆れていた。「あんまり思っても見ないことをいうと、あんなふうになる」

 自分の顔をわすれはじめた。鏡にも水にも映らないのだから、まあ仕方がない。もとよりじかに見たこともない。友久くんも自分がこどもだったことも忘れていた。ずっと死んでいるとそんなふうにもなるのだろう。あるいは成仏の前兆なのかもしれない。一つずつわすれていって、最後は死んでいることもわすれてしまう。
 やがて時間の経過があいまいになった。時計やカレンダーの日付を見ても意味がうまくつかめない。犬が私を無視するようになった。妻は係長に出世し、また社交ダンスを始めた。しばらくして、というのがどのくらいのことはわからないが、やっぱりしばらくして、妻が別の男とセックスするのも見た。見ないこともできたが、見ないわけにはいかない、と私はなぜだか妙に潔癖な心持になって、二人の行為から目を逸らさなかった。私はやはり笑わなかった。かえって興奮するかしらとも思ったが、そんなこともなかった。さむい・さみしい・さもしいなあ、とつぶやいてみたが、無論二人は反応せず、行為を継続していた。かなしみも私にはおこらなかった。
「それは君がもうかなしみそのものになってるからさ」平くんは言った。「眼球が眼球を見つめられないのと同じだよ」
 わかったような、わからないような、と私が正直に言うと、
「まだ生きていた時分、青空や海を見てかなしくなったことはないかね」と平くんは遠い目をした。平くんによれば萬葉集にはそんな唄がいくつかあるようで、それはまさしく兼なし、つまり青空や海と自らを兼ねたい、世界に還りたいという気持ちなのだそうである。
「兼ねたい、でもできない、だからかなしい。もとは兼ねられていた、今は兼ねられてない、だからかなしい。要するに生まれてきたくなかった、死にたいという気持ちだ。だからもう死んでる君には決しておこりようがない」
 私はそんな風に説明されて、釈然としなかった。くやしかった。腹も立った。しかしやっぱりかなしくはなかった。
「ほら、もういかなくちゃ」
 平くんが指さした先では、高砂で新郎新婦の背後にスーツ姿の若い男たちがのしかかるように背を丸め、ぎこちない笑顔で、歌を歌っている。妙にシャツの首が詰まった新郎が次から次に日本酒の入ったグラスを渡され、赤い顔で飲み干し、新婦が両手で口を包むようにして、目は不安げに眉は苛立たし気に見つめている。平くんの後について、男たちの背後にまわるといっせいにフラッシュがたかれ、まばゆさに目がくらんだ。歌がなしくずしにやんで、喝采が上がった。
「ちゃんと念じた? 」
 念じ詰めたタイミングでフラッシュの瞬きと通じ合えば、うっすらと写真に焼き付くことがあるらしい。
「私は何度も映ったことがあるよ」平くんは慣れた手つきでビュッフェのシャンパングラスをとってウラーの声をあげて飲み干し、また元の場所に戻した。グラスにはまだシャンパンが残っているが、他のグラスと比べると微かに質感が薄まっているようにも見える。「それもこれも修行の賜物だ」
「たまもの」と私はつぶやいた。
「そうさ」平くんは顎でシャンパングラスを指し、促した。「くいっと行ってみろ。自分が死んでることをわすれて、わすれたこともわすれるんだ。私たちは正式な招待客なんだ」
 私は高砂の新郎新婦を見た。写真撮影がひといきついて、各テーブルのざわめきがかえって二人をかくまうかたちになって、当人たちもこわばりがさっきよりもほどけている。しかし新婦がやすらいでいるように見えるのに対し、新郎は酒を飲まされたせいか目の光が鈍く、呆けているように見える。かつて私があそこに座っていたころ、私はしかし招待客のような気分がどうしても抜けず、何とか妻に見抜かれないよう、気を張って、張った裏から気が抜けていく心持がしたのを思い出した。
「どうした? 」平くんは急かすように言った。「私たちは結婚式のメンバーの一員なんだぜ」
 私はグラスをとって、口元へ運び、ウラーの声をあげた瞬間私はもう妻の顔が思い出せないことに気がついて、グラスを滑り落していた。澄んだ高い音が慎ましく響き、その後に小さなどよめきが起こった。
「君は遊ぶのに向いてないね」平くんは早足に集まってくるスタッフを避けて既に式場の出口に向かって歩き出していた。「もう成仏した方がいいんじゃないか」

 妻はその後も幾人かの男とセックスをした。気がついたら、ずいぶん時間が飛んでいて、その度に男が代わってる。私が死んでからもそれなりに年月が流れ、もうわりにいい年になってるだろうに、妻はまだけっこう雑に男を惹きつけては、時宜を慎重に測って、丁寧に距離を置いていた。あるとき両親が旅行に出かけ、彼女は実家の寝室に男を招き入れた。職場の同僚で、最初の部署が同じで、今また同じ部署になった男らしかった。寝室の箪笥の上には青の唐草模様の大皿が置かれ、その上には檸檬が積まれていた。二人はドアの前で犬が吠えてもかまわなかった。私がドアから顔だけ突き出して吠えると、犬は久しぶりに私に気づいて、驚いて、私に向かって吠え、私も吠え返したので、犬はいっそうけたたましく吠えだした。
 やがてドアが開いて、私の背後から男が服を着て出てきた。男は慣れた手つきで犬の頭を撫で、去っていった。妻は見送りもせず、裸のままベッドに仰向けになり、目を開いて天井を見つめていた。
 玄関には鍵がかかっていた。妻が男に鍵を預けたのだ。仕事の呼び出しがあったのか、買い物でもいいつけられたのだろう。
 妻はなかなか起き出さなかった。シャワーも浴びず、ただ天井を見つめている。私は妻の名を呼ぼうとして、もう覚えていないことに気がついた。私はリビングで妻の名前を探した。ダイニングの壁にカレンダーが掛かっていて、両親と妻のスケジュールが描きこまれている。しかしそこに誰かの名前が書かれているということはわかっても、何と書かれているのか、いくら目を凝らしてもわからない。日付すらいくら眺めてもわからない。
 諦めてソファーに腰掛けると、寝室から妻が裸のままあらわれた。そうして私を見つめて私に向かって歩いてきたので、私は脇にずれた。妻はソファーに腰掛けて、何をするでもなく、ただ視線を宙に漂わせていた。肌は冷たく乾いていて、肉の薄い肩が骨のかたちにこわばっている。ほっそりとした喉や腹が呼吸のたびに大儀そうに微かに膨らんでは影を溜め、その度に少年のように浮かんだあばらが上下した。犬がかまってほしそうにソファーの前を行ったり来たりしたが、彼女が反応を示さないのであがってはこなかった。私は傍らに腰掛けながら、この名前も思い出せぬ女に、今までにない遠さを感じていた。カーテンは閉め切られて部屋の中は薄暗く、外は夜ではないことはわかるが朝なのか昼間なのか夕方なのかもよくわからない。エアコンが稼働していたが、そこから来る風が暖かいのか冷たいのかもわからない。
 どれくらいの時間が経ったのか、彼女は立ち上がった。シャワーかしらと思っていたら、テレビ横のオーディオをつけ、またソファーに腰掛けた。曲は社交ダンス用の練習曲である。何曲目かで彼女はまた立ち上がり、両手を後ろで組んでぎこちないステップを踏み始めた。
 私はかつて彼女の修行のような踊りをそうやって眺めて、好きな人の裸を眺めてるみたいにいつまでも見飽きなかったのを思い出した。両手がほどかれ、乱暴で思いつめたような足の運びとは対照的な、やすらいだ調子で広がり、たわめられ、指先まで色が通っていく。曲が止んで、彼女は空を抱いた両手のかたちと、俯いた視線を保ちながら静止した。
(あのとき私も踊っていたら、どうなってたのだろう)
 私は立ち上がって、彼女の前に立っていた。『ジュ・トゥ・ヴ』の軽やかなピアノが始まって、彼女が重たい足音をまた鳴らし始め、私は彼女より歩をいっそう小刻みに、窮屈にして、遅ればせながらについていく。彼女が立ち止っては追い越してしまい、ステップを大きくしては間に合わず、ターンをしては対面が崩れ、追いすがるかたちになる。それでも私は周回遅れで真正面におさまり、その瞬間確かに私の視線と彼女の視線が交わって、永遠のようで、しかし永遠の後ろではメロディーが流れ続けていて、交わっていた視線がまたずれていく。足が揃わずに、私は少しずつ離されていく。私の手から、彼女は逃れていく。裸足のまま、淡い視線を後にたなびかせることもなく。そうしてまた後ろから彼女が追いついてくる。
 それが何度か続いて、ふいに彼女が足を止めた。顔をこちらに向けた。瞳の奥がふくらんで、唇がなかば開かれ、けれどもことばは発せられない。私は彼女の名を呼ぼうとして、どうしても思い出すことができない。私はとっさに、
「くうーん」と鳴きまねをした。
 彼女は何も言わなかった。ただ眉間にほのかな険しさがともったようにも見えた。犬が吠え、彼女はしかしそれも聞こえていない風で、眉をほどき、両手を広げ、前に出し、私もそうした。ワルツのメロディーがまた高鳴っていく。私たちは一方の手を合わせ、もう一方の手を互いの背に回す。互いの手は何にも触れていない。私たちはぎこちなく足を運び、見つめ合い、しかし彼女の瞳に私は映らない。それでも確かに私たちは同じ近さの中にある。少なくともこの踊りが続いていくあいだは。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?