実は、僕には21歳年上の兄がいる。しかし、兄に会ったことは一度もない。それもそのはず、僕がこの世に生を受けたとき、兄は既に亡くなっていたのだ。この事実を知っている人は、僕のことを直接知っている人のなかにもあまりいないだろう。

「あなたにはお兄ちゃんがいたのよ」

親からそう言われても、目の前にあるのは遺影だけ。幼少期の僕には、兄の存在に、まるで実感がわかなかった。

兄は優秀な人だったらしい。まず、区の走り幅跳びの小学生記録保持者。さらに学問の成績も優秀で、有名私立高校への入学が"決まっていた"。だが彼は、高校入学直前、異国での海難事故により亡くなってしまった。まだ14歳という若さだ。

そして、その7年後に生まれた子どもが僕だった。


兄なんていなければよかったのに

幼少期の僕は、本当にこう思っていた。なぜなら、兄の存在が最大のコンプレックスだったからだ。

両親は、幼い僕に「兄はすごい子どもだった」としばしば説いてきた。しかし、幼いとはいえ日本語がちゃんと理解できる子どもには、すでに自我が芽生えている。

「お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、だからなんなの」

子どもとして、弟としてこう思うのは、いま考えても仕方ないことだと感じる。自己弁護かもしれないし、最愛の子を亡くした親にとっては残酷な言い分かもしれないが。
親の自慢話を散々聞いた僕には、それを口に出す勇気がなかったのか、あるいは明文化する力がなかったのか。少なくとも小学生のうちは、兄という存在に対する不満を親に打ち明けていなかった。

だが放っておくだけでは、コンプレックスが消えることはない。いつしか、その想いは「兄なんていなければよかったのに」というネガティブな考えに化け、家族で行っていた兄の墓参りへの同行も、僕自身の意志で拒否するまでになっていた。


兄の代わり

高校2年生くらいのときの話だ。僕は、墓参りへの参加を強く拒否したために母親と口論になり、生々しい一言を投げかけた。

「兄貴が死んでなけりゃ、俺生まれてないでしょ」

さすがの母も、ショッキングな顔をする。

「そうかもしれない」

すこしの間をおいて、返ってきた素直な答えに僕は驚き、一方で安心しながら、こう続けた。

「おかんからしてみたら、俺は兄貴の代わりである側面はあるでしょう。それは仕方ない。でも俺からしてみたら、俺は兄貴の代わりじゃないし、俺は俺なのよ。優秀な兄がいたって何度も言われて育った子どもが、兄についてどう思うか考えて欲しい」

と続け、母を泣かせた。ここまできついことを言えたのは、僕が若かったからだろう。いまの僕だったら、おそらく躊躇すると思う。

「ごめんね、きついことを言っちゃって。でも、ずっとそう思っていたから」

さすがの僕も、母が泣く姿を見ているのは辛かったのか、そんなフォローをした記憶がある。けれどその口論以後も、家族での墓参りに僕が再び参加するまでには、数年の時間を要した。


代わりにはならないけれど

僕が久々に兄の墓参りに行ったのは、20歳になってからのことだ。なんというか、ある程度気持ちの整理がついたのだろう。あと、「兄貴のぶんも生きなきゃなあ」という想いがどこからか湧いてきたのもある。大学生活を楽しんでいる自分からして、14歳で亡くなった兄のことを考えると、いたたまれなかったのかもしれない。

ただ、その墓参りも家族で行ったものではない。こっそりと自分ひとりで行き、兄が飲めなかったお酒を墓の水入れに入れ、手を合わせた。

僕の兄は不幸にも、若くして亡くなってしまった。でも、彼の"ぶん"を僕が生きているのもまた事実だ。僕はどう頑張ったって、兄の代わりにはなれないし、そのために努力をする気もない。けれど、兄に対する気持ちを母との口論や時間が整理してくれたおかげで、素直にこう思えた。

「自分は自分らしく生きよう。たぶん、それが一番の供養になる」


今日、僕はいますぐに区役所へ行きたいのだが、スケジュールを押してでもこの文章を書いている。それほどまでに、書きたくてたまらなかったのだ。その理由を書いておこう。

ついさきほど、実家でとある書類を探していたとき、母があるものを見つけてしまった。兄が亡くなったときの追悼の電報や、異国からの郵送物。僕は齢32にして初めてそれを目にしたのだが、それを久々に取り出してしまったときの母の目といったらなかった。

「見たくもない」

母はそう言っていたが、僕は自然と、じっくりではないにせよ、それらに目を通した。僕の目頭は、すぐに熱くなった。


兄がいてよかった

兄のことを考えて、怒り以外の感情で涙が出るのは間違いなくはじめてだ。僕もいろいろ成長したのだろう。と胸を張って言いたいが、涙を親に対して隠そうとしたから、そのへんはまだまだ素直じゃないなあと思う。

そういえば、社会人になって以降、兄の墓参りにはあまり行っていなかった。3回くらい、家族に同行しただけだ。


「一番の供養ができた」と、僕が感じられたとき、足は自然と兄の墓に向かうのだろう。いま僕は、兄がいてよかったと、初めてそう思えている。


ありがとう兄貴。頑張る理由が増えたよ。
いつかちゃんとお礼をしに行くから、待っててくれ。

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