囚われの身
私はもう6年くらい、とある呪縛に囚われている。
それが何かっていうと「チャットモンチーの呪縛」
私が大好きなチャットモンチー。
これに長く呪縛されたままでいる。
多分、もう解放されることはないと思う。
チャットモンチーの呪縛がどんなものか、というと……
チャットモンチーっぽいバンドにハマれない、好きになれない、というもの。
チャットモンチーが解散(完結)後、私はまたライブに行ったり曲を聴いて夢中になりたいと思い、新たに好きになれるミュージシャンを求めた。
そこでチャットモンチーが解散(完結)前に出したトリビュートアルバムに参加したバンドを中心に、気になったバンドの曲をYouTubeで聴いたりWikipediaでバンドを調べたりした。
私は男性のボーカルよりも女性のボーカルが好きなので、聴いたのはチャットモンチーに編成が似ていたり、ボーカルが女性のバンドばかりだったが、どれもピンと来なかった。
どれも良いバンド、良い曲なのだけど、私が求めるのはチャットモンチーで感じたような心を奪われるような衝撃、湧き上がる喜びや、いつまでも耳に残る心地良さ、新鮮さだったのだが(かなりハードルが高い)どのバンドも私にはツボに入らなかった。
それに私は気に入ったら気が済むまで延々と同じ曲を聴くタイプなので、そういう曲で尚且つ中毒性を私は求めているけど聴いたバンドの曲にはなかった。
それらのバンドについてはそのバンドの名誉のためにバンド名は伏せるが、なんとなく分かる人はいるだろう。
どれも人気のあるバンドなんだけど、私には物足りなく感じてしまった。
しかもバンド編成などが似てると、どうしても私の思う「チャットモンチーっぽさ」を求めてしまうので、純粋にバンドそれぞれの良さや魅力に目も耳も向きにくく、聴くのも申し訳なってきたので最終的には聴くのを辞めてしまった。
これが呪縛である。
今も尚、チャットモンチーに囚われたままなのだ。
チャットモンチーというバンドは他に何処にも無いのに、他のバンドにチャットモンチーを求めてしまう矛盾さと歪さは呪縛だと思っている。
まぁその呪縛を振り払おう、解こうとも最近は全く思わなくなってしまったけれど。
というか、私はガールズバンドが好きなわけでも、3ピースバンドや2ピースバンドが好きなわけでも、ロックバンド自体が好きなわけでもなく、ただひたすらに「チャットモンチーが好き」なだけなんだとは思う。
だから他のバンドの曲を聴いても、しっくりと来ない。
だって、それらはチャットモンチーじゃないから(感情激重)
なのでソロアーティストとか、そもそもバンドじゃないミュージシャンをいくつか聴いたりして、なんやかんやで落ち着いたのは宇多田ヒカルと椎名林檎(と東京事変)だった。
もはやチャットモンチーとベクトルが全く異なり、圧倒的な歌唱力や独自の世界観。
そして頭抜けた表現力と、多くの聴衆を射止めた魅力。
これは呪縛に囚われていても何だろうとスッと入ってきたし、何度も聴こう、聴きたいと思えた。
なのでこの2人の曲はよく聴いているし、宇多田ヒカルのコンサートには今年行ったし、椎名林檎も11月に行く。
まぁそれでも、チャットモンチーだった橋本絵莉子のソロには到底敵わないし(当社比)、かける時間と金額が違うけれど(笑)
(尚、チケット代の違いには目を瞑る)
ちなみにこんな感じに呪縛に囚われていることから、当たり前に私は「チャットモンチーは青春でした勢」では全くない。
私は「チャットモンチーとは人生である勢」です。
チャットモンチーはあの世での歌(※)まで出していて、死後までもカバーできるバンドなのだから、当然と言えば当然である。
(※楽園天国)
自分の学生時代を彩ったうちの一つの存在にできる人はいいよな、過去の存在にできていいよな、と皮肉っぽく思っている。
チャットモンチーの元メンバーからすれば、ほんの一時でも聴いてくれて曲を好んでくれたら、それは本望なのだろうと考えてはいるけど…。
そことオタク心理はちがうので……。
ただ、そうやって耳触りの良い「青春」というキラキラしているような言葉で軽く捉えられるほど、私にはチャットモンチーの存在は軽くはない。
(ここまで書いといて軽かったらドン引き案件ですがね。)
まぁ「青春」が軽いか重いかは正直なところ分からないけれど、青春よりもその後の人生のが多くの場合は断然長いので。
嗚呼、コイツなんて面倒臭い奴なんだ…と思うことでしょう。
私自身も思います。本当に思います。
でも思ったところでこれが変わるなら、こんな人間になってないのですよね。
青春って言われるよりは、「チャットモンチー詳しくないけど、○○って曲好き!」「○○って曲、流行ったよね」とライトに聴いてた人が言ってくれた方が気楽に会話ができる。
こちらは感情の重さからくる過激さを持ち合せたクソオタクなので、どうしてもそうなってしまう。
"サラバ青春"以外で青春という言葉を持ち出された時に、心の中のナイフを握ってしまいそうになるような、厄介な奴なのだ。
本当に自分でも面倒臭いと思っているけど、チャットモンチーが解散(完結)する直前によく見た書き込み「チャットモンチーは私(俺)の青春でした!」というのが嫌だったんだろうと考えている。
そこからアレルギーみたいに多分なっている。
わざわざ「青春でした!」って、その宣言、今いる???と感じてしまって精神が厳しかった。
宣言しちゃう気持ちも分からないでもないけど「こっちはガチで追いかけてるのに過去のバンドになる前に、勝手に過去にしないでくれる??」と第一印象として抱いてしまったから仕方ない。
でも青春と思うのは自由。
だから私がこう思うのも自由。
(自由の拡大解釈)
もちろん、社会で大人ってやつをやっているつもりなので、面と向かって青春と言われてキレたりしないけどね。
ただモヤモヤして、一人になった時に愚痴ることがあるだけです、はい。
ただ、こんな面倒臭い奴になってしまったので、私も今は聴かなくなったアーティストやバンドについて話題にする際は、少し気を付けている。
まぁ青春と言わないってだけだけどね。
言われて嫌なことは、可能な限り言わないようにしたいもの……。
私は今もチャットモンチーの影を追いかけているし、次が無くても多分ずっと求めている。
こんな呪縛も結局は、自分で自分の自由を縛っておきたいだけなのかもしれないけれど、まだまだ自分を縛り付けておこうと思っている。
気が済むその時まで。
そしてクソオタクの今秋は忙しい。
おわる。
p.s.カバー画像はえっちゃんこと橋本絵莉子がツアー告知動画を撮影した場所の写真です(@代々木上原)
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