同窓会に行ったよ^_^⭐️

3月、高校の同窓会に行った、想像していたけど、人が多くてすごく息苦しくて、すぐ帰りたくなったんだけど、どうしてもあいたい人がいた。

高校生のときのわたしは、ふわふわと生きているのが好きだった。刹那的に生きるのが大好きで、クズな男の子が本当に好きだった。だから、瀧波さんの星屑男子という言い回しは言い得て妙だなあと悠長に思う。クズな男の子は本当に星屑なんだ、だってきらきらしてるんだもん、クズすぎて。

彼にはじめてはなしかけたときのことをよく覚えている、天気がいいねーとはなしかけた、彼ははにかんでいたと思う、そういう変なところがときめきだった。ちなみにその日は曇天だった。

彼は男の子としてクズというよりも、人としてクズな部類だった。彼の有名な逸話が大好きだった、万引きをして、弟にみられたことに焦っていたはなしとか、バイト先のスーパーで体調不良で早退したのにお酒を平然と買って帰ったはなしとか、そういう話である。そういうところが好きだった。わたしならときめきながらいっしょにいられるのに、と思っていた。
そういう社会性の無さだけでなく、彼の声は細くて小さくてきこえづらかった。半分ぐらいしかききとれないのに、はにかみながらはなしてくれるのが、すごく好きだった。ほとんどきこえないことも、わざとききかえしたりして、そんなひとときもときめきだった。

それなのに、再会した彼は、ナチュラルにわたしにはなしかけてくれた。会わないあいだに、彼は社会性を身に付けてしまっていた。きこえやすい声で、大学で学べることの特権性とか、そんなことをわたしにはなしていた。その内容にはこころから共感するけれど、わたしの大好きだった星屑みたいな部分を失っていた。悲しかった、そんなことある??

彼が別れ際に、バイバイといっていたけれど、本当にバイバイなんだろうなあと思った、わたしの星屑は、もうきらきらしなくなっちゃったんだなあと思って、それが悲しかった。いまの恋人は至極まともなので、たまに退屈になる、刺激がほしくなる、でもそういう刺激はもう、えられない方がよいのだろうと思った。人生にはえられないものがあったほうが、豊かなのだ。

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