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記憶のパズルを解きながら未来を考えてみた

ワタシは「ご自身の記憶の中で一番心を動かされた経験」という問いに答えを出せずにいた。だって生きていたら色んな経験を積み重ねるじゃないですか。小さなことも大きなことも今のワタシが出来上がるのに必要な原材料じゃないですか。どうやって優先順位をつけたらいいかな?記憶や想い出というものは、頭の中で潮の満ち引きみたいに消えたり、現れたりするし、海水で少しずつ削られる石ころみたいに少しずつ形が変わって、見方や捉え方も変わっていくこともありますよね。

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1995年。

ワタシはドラッグストアから病院に転職した。薬剤師免許を持っていたとはいえ、ドラッグストアではコスメや化粧品の仕入れ責任者を担当している期間が長かった。別に仕事が嫌いなわけではなかったが、病院薬剤師は覚えることが多そうで、頭の柔らかいうちに転職した方が良いだろうという根拠のない理由で転職した。実に薄っぺらい。このころ、「パラサイト・イヴ」という作品が世に登場した。著者の瀬名英明さんは当時ワタシと同世代の薬学部の大学院生。ワタシの大学にも、薬剤師免許を取得しながら別の道に進んだ人は結構いるけど、小説を書けるってどんな人なんだろう?ワタシは典型的なミーハーなので、流行りに従い、映画を観て、原作本を読んだ。この作品はミトコンドリアが起こす反乱を描いたもの。ミトコンドリアがどうだとか、そこで作られるATPというエネルギー物質が作られる仕組みがどうだとか、ヒトの身体の中で起こることをわたしたちは薬学部に入学した最初の年に学んでいる。生化学という教科だった。ところが、物事の仕組みをロジカルに考え説明することが上手くないワタシは壁にぶつかってしまう。どうにか追試験を受けて単位はとらせてもらったものの、今でも苦手意識は消えていない。だからなのか、「パラサイト・イヴ」の読後感が思い出せない。強いて言えば、生化学に対する苦手意識や生化学の成績が良い人たちが羨ましかったことを思い出したぐらいだ。話がそれるが、それでも薬剤師やれるのか?なんて意地悪なことを聞かれたら「できる」って答えると思う。確かにたくさんの知識が必要だけど、ワタシはそれらを自分の脳内の引き出しにしまって整理することをまず行っている。あとは必要な時に脳内検索エンジンにかけて取り出してから考える。人よりスピードが遅いかもしれないけど、どうにかなる。

東日本大震災の翌年、2012年の春。

ワタシが数年かかわった一人の患者さんが老衰で亡くなった。101歳だった。彼女は「土着の詩人」として地元秋田で詩集を11冊だしている。最後の詩集を発行したときは93歳だった。自分が暮らす山奥の施設を「山の難破船」と表現する感性には驚かされたものだ。この詩集の表紙が彼岸花だったのも彼女らしい。土着というと、ずっとそこに在る桜の木がイメージに合いそうだが、「私は病院に行かずにこの部屋で死にます」という毅然とした態度や、するどい感性をもつ彼女には彼岸花の燃えるような赤の方が似合っていた。その一方、季節のうつろいに少女のように心を動かしながら紡ぐ言葉はやさしいものが多かった。ワタシが薬を持って彼女の部屋を訪問すると、本題の薬の話以外にも主治医が往診に来た時の話、お天気の話やそもすると人生や哲学的な話にまで飛躍してしまい、滞在が長くなることが多かった。それは主治医も同じ感想を持っていたようで、当時主治医が連載を担当していた地元紙のエッセイに彼女のことを「人や物事の本質を見抜く人」と称している。

その年の8月。

詩人だった彼女の息子さんから遺稿詩集が送られてきた。最後の詩集を発行したあとにしたためた作品が見つかったからとのこと。最後の詩集を発行したのが93歳のとき。その後94歳から100歳で絶筆するまでの22の作品がまとめられていた。訪問した際にノートを見せていただいたことはあるけれど、22もの作品が残っているのは衝撃的だ。老いてもなお、研ぎ澄まされたままの感性だった。ワタシはおそらく中秋の名月を見つめながらしたためたであろう、「たましい」という詩がとても好きだ。「いつまで生かされるのか?」「いつになったらお迎えが来るのやら」という長く生きている人たちが感じるモヤモヤした想いを、満月を見つめながら美しい言葉で紡いでいる。市販されている詩集ではないのでこれ以上紹介できないのが残念でならない。

9月。

ワタシは、学会に参加するため浜松に向かった。「学会」という言葉には知的なイメージがあるかもしれないが、ワタシ個人の印象では見本市やフェスの様な、なんとも評価し難い熱気がこもったイベントだ。もちろん、何かを学ぶ為に足を運ぶのだが。
この年、静岡県出身の瀬名秀明さんによる「科学・薬学の未来」という特別講演がプログラムに組まれていた。

講演は、瀬名さんの著書「さあ今から未来についてはなそう」がベースになっていた。星新一のショートショートをAI(人工知能)に搭載して、AIにショートショートの新作を書かせようという研究が始まったという話から(素敵なことにこの試みは5年以上経過した今でも継続しているらしい!)、自然界の見えるもの(かたちあるもの、マクロワールド)と見えにくいもの(原子だったり微生物だったり、ちいさなもの、ミクロワールド)の間のエアポケットの様な位置にわたしたちが学ぶ薬学が位置していること、ロボットと人の違いを考えることが生命を考えること、というなんとも壮大な話を聴くことができた。いやぁ、こういう話をライブで聴くことができる時代が来たんだなあと素直に感動した。

2018年春。

ワタシは指導薬剤師の研修会に来ている。学生を教えるために認定資格が必要になった時は、正直なんて窮屈な時代になったんだろうと思った。ところが、2014年に参加したとある研修の席で、仙台市内の薬学生に「秋田の子たちは実習先を探せなくて苦労してますねー」と教えられる。んー、それはよくないね。それに、ワタシが地元の小学校で「おくすりの正しい使い方」の授業をしたときに「薬剤師さんになりたい子供たちがいるんですよー」と先生たちに教えられた。この子たちが地元に戻ることがあったら自分が教えたいなあ、そんな思いに背中を押されて、ワタシは指導薬剤師の認定をとった。指導薬剤師の研修会は、ほかの会と違う熱量がある。それは、これから薬剤師になろうとしている人たちのこと、すなわち未来を考える会だからだと思う。

ところで、あの時出会った薬学生は元気なんだろうか?俗に言う意識高い系の学生さんだった。飲み屋に移動する道中の仙台市営地下鉄の中でワタシは質問責めにあい続けた。思わず、「友達としゃべったり映画観たり彼氏と過ごす時間の方が大事だよ?」と言ってしまった。…そんなことわかりきってるのにね。大きなお世話だね。

薬学の未来を考えるにあたって、AIとの共存を考えることが必要になってくる。薬がもつキャラクター、つまり添付文書という説明書に記載されている情報をワタシたちは日常的に仕事で取り扱うのだが、これは正直AI技術で代替出来ることが多いように思うからだ。数学者の新井紀子さんの著書「AI vs 教科書が読めないこどもたち」によれば、AI技術のレベルはMARCH(明治、青山学院、立教、中央、法政)に合格できるレベルに達しているそうだ。ワタシは正直太刀打ちできない気がする。だけど、薬学と人の生命・生活をどう接続するか悩み考えるのは、人間らしい仕事として残りそうな気がする。こればかりは患者さんと生きた交流ができないと難しいから。それでいて、適度な距離感を保たないといけないから。それから、瀬名さんの著書「さあ今から未来についてはなそう」に、こんなことが書いてあった。

コンピュータは体験の積み重ねというものがない。時間に縛られない知識は膨大にあるが、つまり実存というものがまだ獲得できていない。これがいまのところ、人間とコンピュータの大きな違いだ。ー第2章「ロボットと人間の違いってなに?」145ページ

これはこの本が世に出て5年以上経過した今でもあまり変わっていない気がした。だとすれば、ワタシができることは見てきたこと、積み重ねてきたことをコトバにして語り続けることなのかもしれないなと思っている。

#エッセイ #つらつら #くすりやの独り言

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