典型的ワーカーホリックが見つけた、プレイングデイという休みかた。
休むのが苦手である。オフとか正直よくわからない。
生きることと仕事することがあまりにも直結し過ぎていて、たまに感覚を全て閉じたくなる時はあるけれど。料理でも集中してやっていればそのうち元気がまた湧いてきてしまう。典型的なワーカーホリックである。
おととし、1ヶ月間お休みという名の海外逃避をした。ニュージーランドを北から南に向かって下り、最後の方はキャンピングカーで大自然の中をウロウロしてた。
一時期ほんとうに仕事が忙しくメンタルがやられていて、こりゃもう環境を変えなきゃ!と思って半年先のスケジュール帳、見開き1ページ分にバツをつけた。1ヶ月ニュージーランドに行く!と。
結局、1ヶ月間ふつうに仕事をしてふつうに暮らしながらふつうに疲れて、帰国後は打ち合わせスケジュールに忙殺される、みたいなネタになってしまった。
そんなわたしは近頃、どうやら休み方を覚えたらしい。オフの日に名前をつけた。
その名も、プレイング・デイ。
playとpray(祈る)を掛けた、わたしとっておきのお休みDAYだ。
プレイング・デイの過ごし方はとてもシンプルだ。仕事しても良い、しなくても良い、とりあえず人と会う予定がないことがまずは条件となる。
その上で、祈る日にするのだ。
祈るといっても、自分の両手を顔の前で恋人繋ぎみたいに握ってブツブツつぶやくでもなく、崇高なことを考えるわけでもなく、平和について祈るでもなく。
とてもささいなことに、祈りを捧げる感じだ。
例えば、道端の草を見ながら「ふさふさ生えるといいねぇ」と言う。
散歩中のおじいさんをみて「孫が元気だといいですねぇ」(いるのか知らんけど)
自転車こいでる子どもを見て、「今日の夕ご飯、美味しいといいねぇ」とか。
もちろん口に出しては言わない、そんなことしたら完全におかしい人になるから、心の中で言う。心が微笑むのがわかる。
あるいは、自分の中で想いを馳せる。
自分の未来についてとか目標について、とかこれからやりたいことについて想いを馳せてしまうと、祈りモードからアドレナリンの出る仕事人モードに入ってしまうから、なるべく赤の他人に対してがいい。
雑誌を見て「あなたのやりたいことがもっと広がるといいねぇ」とつぶやく。
誰かのコラムを見て「この文章で誰かが心すっきりしますように」
好きな本を読んで「この本で人生が救われて幸せな気分になる人が増えますように」
身近な人に対しては、「あなたにとって今日も尊き1日でありますよう」みたいな感じがオススメだ。あまり具体的すぎると、違う感覚になる。
植物に水をやっては、「ぐいぐいお水飲んで潤うといいね」
パソコンを見て、世界のどこかでパソコン作ってくれてる人にむけて「そちらの夕日が綺麗だと、いいですね」とかも、最近のお気に入りだ。
わたしは、こういう時間をオフと呼ぶ。つまりアレだ、休むっていつも使ってる神経をお布団に少し寝かせて、その代わりちがう神経を使うことなんじゃないかと。
わたしにとってボーッとするのはある意味疲れる(ボーッとしてるとインスピレーション湧いた時に大変なことになるから)
そういう同じタイプもいるんじゃないかな。もしあなたもそうだと言うならば、少し試してみてほしい。
プレイング・デイ。
実は毎日でも、いいのだ。
毎日が休み、なんていい響きなんだろう(そんなわけで最近はますます休めているのであった。)
もし人生が無条件に自由で豊かだったら何をするかと言われたら書く、というくらい書くことが生きる上で欠かせない人間です。10年間の集大成を大放出します。サポートは全て執筆と研究活動に使わせて頂きます