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先日、3年生が学舎を巣立っていきました。
それぞれの進路先で、新しい高校生活を充実させてくれればと願っています。

さて、卒業式を運営する立場として、滞りなく式典を進めることがミッションとなり、卒業生、保護者、来賓の様子を終始気にしながら席にいたため、感動する余裕があまりなかったのが残念ですが、仕方ありません…

さて、この卒業式には、式次第、式中の所作など、独特のものがあり、あらためて見ていると、「これは、何のため?誰のため?にしているのだろう?」と思うことがままありました。

今まで「そういうものだ」とあまり深く考えてきませんでしたが、調べてみると、なかなか興味深いこともわかり、あらためて、卒業式のことを自分の中で捉え直すことができました。

1.修礼(しゅうれい)

ピアノの和音に合わせてお辞儀

式次第の最初と最後に明示されている「修礼」
現在の学校に来て、初めて経験しました。

修礼とは、正面にお辞儀をする所作でした。
ピアノの「チャーン、チャーン、チャーン」(和音ドミソ、ソシレ、ドミソ)に合わせて、正面に深々と頭を下げるのです。

兵庫県で教員だった時には、合唱発表の時などに、始まりと終わりの礼で、ピアノの和音に合わせてお辞儀をしていたので、そういうものだと何となく知ってはいました。
でも、それを修礼といい、卒業式のような式典で、このような作法があったのは初めてのことでした。

調べてみると、この修礼の起源や意味合いには諸説あるようです。

・北海道や東北や関東地方の一部の県で行われている。
・『秋田県教育史 第5巻』(秋田県教育委員会/編・発行、1985年)のp.908~910に第5章「近代教育の確立 学校儀式の整備の項」があり、「修礼」について言及されている。
・明治33年2月9日の秋田県令第6号にて小学校儀式挙行順序が定められ、第2条に「修禮(修礼)」という語の記載あり。
・修礼(しゅうらい)と読む場合は、儀式などの下稽古をすることを意味する。いわゆる予行演習。
・式の最初と最後に1回ずつ修礼を行う。そのことで、式の中で、何回も繰り返し礼をすることを全て省くのが正しい。
・明治時代、西洋から音楽教育を取り入れた際、歌い始める前に「音をとるため」のピアノの「チャーン チャーン チャーン」を日本のお役人が聞いて、「はて、あれは何の合図か?人前で歌う前にはやはり礼が必要、とすれば礼の合図にちがいない」と「勝手」に思いこみ、日本で礼の合図に使われるようになったとか。
・「北海道教育雑誌」第87号に、明治33年3月28日の「北海道師範学校卒業証書 授与式」と「付属小学校卒業証書授与式」の式次第の記載があり、この中に「修礼」との文言が見られる。

レファレンス協同データベース修礼その2・大辞林・修礼(しゅうれい)ってやっていますか

まとめると、明治時代に秋田県や北海道が独自に儀式挙行の順序をつくり、それが近隣の地域に伝わり、一部では今でも残っているということのようです。

日本のお役人さんの勘違い説が本当だとすれば、今現在、この所作に価値を感じて、大切にしているのは、いったい何の意味があるのか?となりますね(^^;

2.三方礼(正面に礼)

世界からも注目されている日本の文化、お辞儀。

卒業式では、式典中に何度もお辞儀をする場面があります。

特に、生徒が壇上に上がる際には、上がる前に一度、そして、降りた後にも一度、卒業生席の前でこの三方礼を求められます。

まず、正面に一礼、次に来賓の方々へ一礼、最後に職員席に一礼と、3つの方向に向き直して、深々とお辞儀をするという所作です。

前任校では、同じ位置で三方礼をしていましたが、正面ではなく、会場にいる人たちに向かってお辞儀をしていました。
全ての方々に礼を尽くすという意味では、前任校の三方礼は、私の中でもなんとなくしっくりきていました。

でも現任校になって、卒業式に限らず、ほぼすべての行事の時に、壇上に上がる際には、正面に礼を求められます。

「正面」には何があるか?
卒業式などの式典では国旗が掲げられています。
しかも、国旗がない時でも、ある時と同じように正面に礼は欠かせないものとなっています。

「正面に礼」とは、武道の世界では、神(棚)に対する礼を表す意味合いがあるそうです。武道の神に、これから稽古をする決意を固めていることを表している礼。
まさに、古来から伝わる日本独特の所作です。

でも、式典の際の「正面に礼」とは、国旗に対して礼をするもの。

このあたりのことは、宇都宮大学の遠藤さんの研究論文「国民形成と学校儀式における国旗の取扱いについての一・考察」に詳しくありました。

儀礼や儀式を教育の過程に取り入れるのは、一定の感情体験を通してある内容の学習の成立を期待するからである。したがって、儀礼、儀式においてもその教育的な検討は、そこで期待されている教育目的・内容は、教えるに足る妥当なものであるか、そこで用いられている方法(=儀礼、儀式の過程)は有効性を持っているか、その方法は意図せざる 有害な副作用を持たないかと言う3つの観点から行わなければならない。

国民形成と学校儀式における国旗の取扱いについての一・考察

三方礼は、なぜそうしなければならないのか?
正面に礼の「正面」とは何を指すのか?
なぜ正面に礼をする必要があるのか?

そういったもろもろのことに向き合わずに、ただ単に形骸化された儀礼として、深く考えずに行われているのではないかとさえ思えます。

3.卒業式は誰のもの?

いうまでもなく、卒業生のものです。
卒業生の人生の節目、門出を保護者、在校生、 教職員、来賓、皆でお祝いするためにあるものです。

一方で、学習指導要領第6章「特別活動」の中では、

1 目標
 学校行事を通して,望ましい人間関係を形成し,集団への所属感や連帯感を深め,公共の精神を養い,協力してよりよい学校生活を築こうとする自主的,実践的な態度を育てる。
2 内容
 全校又は学年を単位として,学校生活に秩序と変化を与え,学校生活の充実と発展に資する体験的な活動を行うこと。
(1) 儀式的行事
 学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。

学習指導要領「生きる力」

とあり、儀式的行事である卒業式は、 望ましい人間関係を形成し、集団への所属感や連帯感を深め、公共の精神養い、協力してより良い学校生活を築こうとする自主的、実践的な態度を育てるための貴重な教育の場となっています。

そして式典中には、「厳粛で清新な気分を味わう」ために、あらかじめ定められた式次第にのっとって、厳粛に行われることを求められているのです。

では、この修礼や三方礼がなければ、「厳粛で清新な気分を味わう」ことができないのか?

修礼や三方礼が全国的に行われている所作ではないことを考えると、必須のものとも言えないのではないでしょうか。

3.こんな卒業式もある

先日見た映画「夢みる小学校」の中で、 きのくに子どもの村学園の卒業式のシーンがありました。

コロナ禍ということもあり、卒業式は青空の下で行われていました。
保護者や在校生が見守る中、卒業生一人一人が自分のことを、仲間のことを、思い出を、未来を語り、時には笑いあり、涙あり、それはそれは感動的なシーンでした。
そして、あたたかい歌声、音楽に包まれての卒業式でした。

こんな卒業式もあるのです。

誤解のないようにいうと、現任校の卒業式を否定するものでありませんし、卒業生をお祝いする気持ちに水を差すつもりもありません。

でも、卒業式のさまざまな所作について、それがいったいどういう意味があるのか、きちんと理解した上で、主体的に式に参加し、子どもたちの大切な人生の節目をお祝いできたらと思います。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

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