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父への『あのひと言』を後悔しています。

僕にも取り戻せない『後悔』があります。とくに亡くなる数ヶ月前の父への『あのひと言』です。

本当に言わなければよかった。なぜ言ってしまったんだ。

父は10年前に亡くなり、もう取り返せない、取り戻すことは出来ない。

最近、家族のことばかりで、読んでくれるかたには大変申し訳ないです。けどこんな後悔も文章に書いたら楽になるかのと。

では思いつくまま書いてみます。

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以前父のことはnoteに書きました。この記事です。

お酒が原因で体を壊し『辛い辛い』と愚痴を言いながら亡くなった父。

それでも亡くなる数年前に半年ほど同居したことがあり、その時、父はもとても楽しそうで『親孝行できて良かったぁ〜』と思ったのです(詳しくは先ほど挙げたnote過去投稿をご覧ください)。

父はその後、母の元へ帰ったのですが、そこから亡くなるまで、また『辛い辛い』の愚痴が始まりました。母も口うるさく、強烈な個性の人だったので、それも辛さの原因であったと思います。

そんな父の様子が窺えるエピソードをひとつ。

ある年『桜満開』の季節。母もまだ元気だったので、3人で花見に行こうと父を誘ったのです。しかし『酒が飲めないのに、桜なんか見れるかぁ💢』と怒り出す始末。

この話に限らず、父は母との生活に戻ってから『イジケ虫』がいままでよりも強くなり『男のくせにふて腐れやがって』『酒で体を壊したんだ!自業自得だろ〜が!』と、僕は内心、父に対して腹立たしさを感じてました。

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それから数ヶ月後。夜中に突然、母から電話が。父が腹痛を訴え、かなり苦しんでいるとのこと。

『お母さんすぐ救急車を呼ぶんだよ!それとXX先生に電話!救急隊にそこに運んでもらって!すぐ行くから!』

僕は着替えもそこそこに、真夜中、車を飛ばして搬送先の病院へ急行。診断は『急性腸閉塞』でした。腸壁がただれ、癒着しているのではないかとのこと。ところが、掛かりつけの病院が満床。さらに運が悪いことに父と親しかった主治医の『XX先生』は学会参加で数日間不在とのことでした。

対応したドクター曰く、今夜は簡易ベッドで応急処置をするけど、この状況だけに明日には、同じ市内にある『救急専門病院』へ転院してもらいたいとのこと。しかたなく、まだ時折、腹痛を訴える父をその救急専門病院に転院させました。

転院直後に精密検査が行われ、その結果『重症』と判明。即刻、集中治療室へ。腸の癒着が治るまで固形物は絶食、点滴による栄養補給と投薬、経口では水分補給のみの治療となる説明を受けました。集中治療室なので面会も『謝絶』です。

そして10日が経過。

なんとか一命を取り留め、症状も徐々に改善。一般病棟へ移りましょうとなった。

しかし、集中治療室から出てきたときの容姿に『あぜん』としました。頬はコケ、目はくぼみ、もう見るに耐えないくらいの風貌へと変わり。そして、背負わずとも、抱えて持ち上げられるほど痩せ細ってしまってた。

そしてさらに1週間経過。おかげさまで『7分粥』を消化するまで回復したので、めでたく退院の日を迎えます。

退院の日、今後の療養について担当医だった若い女医さんから説明がありました。その最後『お父さん、なにか不安や心配事はありますか?』と先生の問いかけに、父が『両足が今までよりも痺れて歩けないんですよ。先生、これ治りますか?』と応じた。

そうしたら、その女医さん『お父さん、今回は腸の病気での入院でしたからね。それ私は診られないんですよ。掛かりつけのお医者さんに相談してくださいね。お大事にぃ〜』と、かなり「あっさり」と言うより『ばっさり』言う。模範的で事務的な回答とは、このことです。

父はこの言葉にとても『ガッカリ』した様子。帰りの車の中で『メソメソ』涙をにじませてました。

『こりゃーいかん。なんとかオヤジを元気づけねば!』と僕は思いました。

家に着いた直後、僕はこう言った。

『なぁオヤジよ。歳とって死ぬのはしょうがないんじゃん。人生70過ぎまで生きられたんだ。良かったじゃないの』

この僕のひと言で、父をさらに涙ぐませてしまった。その後も黙り込んで夕食も食べず布団に入り寝てしまいました。

しまった!なんてことを言ったんだ!

その後、父はメンタルを病み、精神科の診察を受けるようになりました。そしてその3ヶ月後、還らぬ人に。納棺のときも病院で見た『げっそり』と『痩せ細った』ままでした。

本当に父に謝りたい。このひと言がなかったらもっと長生きできたかもしれない。哲学の本を読んで少しいい気になり大事な自分の父親を深く傷つけてしまいました。

なんとなんと罪深いことを言ってしまったんだ!もうどんなに叫ぼうが、絶対に取り戻せない。悔やんでも悔やんでも悔やみきれません!

すみません。冷静さを失ってしましました。

本当にどうしたら、この罪深い行為が許されるのか、いまもときどき思い出し、心が『真っ暗闇』を彷徨います。

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しかし、こんな後悔と悲しみを抱えながら生きるのも人生です。

いつも自分で言うとおり、これも人生が『僕に与えた課題』なのでしょうか?

辛すぎるけど。そして、

よい言葉とは何か?どうしたらよい言葉を残せるか?人に伝えることができるか?伝わるか?良い人生とは何か?どう行動すれば良い人生になるか?なにを実践すればいいか?

まだまだ答えは見つかりません。今夜は父への謝罪を込め、その答えを探して『新しい人生の問い』を常に見つけ出すのだ!と決意しました。

それが、今後の人生で同じ『後悔』をしないための行動であり、実践しなければならないことなんでしょうね。

それではまた。

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今回、父の最期を書いたのは、僕が尊敬する『松浦弥太郎さん』のこの記事を読んだのが『きっかけ』です。

だから、僕のオリジナルのようでオリジナルではありません。また、こんな心境になるほど『言葉に心が揺さぶられる』ことがあるのだと、驚愕を持って実感したこと、ここに書き残しておきます。

蓮沼五朗 謹白

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