帰省

親にとって、子供はたった一人のかけがえのない存在で、
親から見て、子供は発達段階で全く違う顔を見せる。
それはどうやら大きくなっても変わらない。
これを親は「子供には何人か子役が宿ってて、ふと曲がり角を曲がって見えなくなったタイミングで、違う子役に入れ替わる」と表現した。
きっとその度、親は嬉しさと同時に喪失の寂しさを感じ、置いてかれるような感覚にも襲われる。らしい。

もう親の手を離れてわたしは一人で歩き始めて、曲がり角で死角になる時間も増えて、
もう子役というほど小さくはないけれど、大切な子役を直接見れないまま見失うようになった。
そして、大きくなった子役に、まだ手の離せなかったあの頃の子役の影が重なる。
26年間あったのにあの影に置いてかれるし、26年間あったからあの影に置いてかれる。
不思議な「曲がり角」に置いてかれながら、一人の人間として一番前を歩くわたしの姿に、
わたしが乗るバスが出てもなおベランダで手を振り続ける親。

子供から見ても、自分に手をかけて右往左往してくれていたあの頃の親の影がそうそう消えるもんじゃない。
頭ではわかっていても、26年間生きてきても、離れることは簡単じゃない。

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