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自己流マラソンの備忘録・前編

ボクはたいていのことは自己流である。というか、自己流が好きだ。
スクールのような場所で上手い人やコーチから教わっても、ボクはたいてい定着しない。次回行くと間違いなく忘れている。

スクールに行き始めて7、8年経つテニスがいい例だ。
「ハシモトさん、なーんでそうなの!? この間教えたでしょ!」
と毎回怒られる。特に球技は、おそらく全く「向いていない」ので、言われたことをすぐにトレースできない。同じクラスの人たちが2、3回やると上手くできることが、できない。だからイヤになってしまう、ということも一つの原因だろう。

だから本当は、
「NGなことだけ教えるから、あとは自分でやってみれ」
というスタンスが好きなのだ。

先輩に初めてスノーボードに連れて行ってもらった時、一緒に付いてくれたFパイセンが教えてくれたのは、
「ボードを履く時は斜面と直角に板を置く、じゃないと板が流れちゃうから」
「コケる時は尻から。手をつくと危ない」
「それでも手をつかないといけない時はグーで。じゃないと怪我するから」
それだけ。

たった3つだけのアドバイス。
「じゃ、あとはガンバレ!」
さっさと、大きな弧を描いて華麗に滑り降りていくFパイセンw

谷に落ちそうでめちゃ怖いのに全然方向が変えられず、その谷に向かって止まらない!という恐怖に耐え、何十回もコケて全身雪まみれ、青タンだらけ、尻がビショビショになりながら、独りでふもとまで降りるのを繰り返す。折れそうなくらいコケると、「オレ、なんでこんなことしてるのか」という気分になってくる。

が、雪に刺さって雪まみれになりながら、ゲレンデを疾走する上手な人を観察していると、どうもオレとは違って前重心だ。

そうか。
怖いけど前足に重心を移すと、まるで前足がバイクの前輪のようになってコントロールがしやすくなる!ということに気づく。「発見」する。

「発見」という感動をすると、ひとつ覚える。1段階上達する。

「発見する感動」が学習となって定着する。
少なくとも自分はそうである。
逆に言うと、感動しないものは覚えられない。
少なくとも自分はそうだ。

デザインをする上でも「発見する感動」、つまり「あー、そういうことか!」と感動させる要素をつくりこむことが大事だと、どこかで思っている。

で。

子どもの頃から、体を使うことで唯一、得意だったのは長距離走だった。陸上部の長距離専門家以外にはたいてい負けなかった。筋肉のつくりや心肺、かつメンタルが、たまたま長距離走向きだったのだろう。

自分史上いちばん不健康・運動不足だった20代。その流れで10代の体の貯蓄を使い切り、ヨドバシとかで30分買い物するだけでも疲れてしまうようになった30代。ジョギングなんて、「樽」みたいな体型の、バケツサイズでアイスクリームを食べるような国の人たちが罪滅ぼし的にするもんだろ、と思っていた自分もだんだん、「樽」化が進行してくる。ヤバイ。

そんな30代の中頃から多摩川の河川敷を時々走るようになった。泳ぐこともなぜか得意だったので、当時は健保経由で安くなるスポーツクラブを契約していたんだけど、月1万円近く払ってるのに、行けない。終電近くまで働いてたら平日行けるわけがないし、休みは遊びに行くか寝てるわけだし、3ヶ月に1回ぐらいしか行かない。それに比べたら外を走るのは爽快だし、タダだし、いつでも行けるし、季節も感じられるし、こんなにいいことはないと思った。

はじめてのマラソン大会はホノルルだった。36歳の時。その頃始まった東京マラソンには何度応募しても当選しない、だからJALとHISに大金を払ってホノルルに行った。直前に走ったハーフマラソン(横浜マラソン:当時はハーフだった)で、序盤に飛ばすとスタミナ切れで10キロで全く走れなくなるというのを経験していたので、最初の10キロはゆっくり走って徐々に心拍数を上げる作戦にした。これも自己流だ。

その作戦は成功したのだが、25キロぐらいから脚が痛くなって時々歩くことになった。なぜか、折れたままの左鎖骨も痛くなってしまい、これも辛かった。なにより35キロ過ぎのダイヤモンドヘッドの登りがキツかった。逆にゴール直前は下りで足が止まらず、口から心臓が飛び出るんじゃないかという思いだった。でもさすがにまだ若かったからか最後はダッシュできた。結果、4時間22分51秒。

次は10年あけて48歳の時。友達に誘われて富士山マラソン(河口湖マラソン)に出た。この時はけっこう周到に準備したし、GARMINを買って心拍数管理もタイム管理もだいぶできていたと思ったんだけど、やはり序盤に飛ばし過ぎで西湖を半分回ったところで脚が終わった。すごく混んでる大会なので、「止まんなよ!」とか後ろを走る人に怒鳴られながら、西湖を半周ぐらいは歩いただろうか。

やけにピッチ走法な体の小さい女の子や、どうみても75歳を越しているおじいちゃんに、どんどん抜かれる。そうそう、コンスタントに、でも「ずっと」走り続けるのが、結果いちばん速いのよね。バイクの耐久レースで痛いほどわかってるはずじゃないか……。この時の結果が4時間13分。何秒だったかは忘れた。歩いたわりには自己ベストだった。

その年にもう一回「板橋CITYマラソン」、翌年に「つくばマラソン」に出た。完走はしたものの、先の2回には及ばないタイムだった。そしてコロナ禍に入る。

コロナ明けが見えてきた2022年暮れ、湘南国際マラソンにエントリーした。今乗ってるクルマは希少車で、2021年夏に大阪まで買いに行ったのだけど(たぶんその時の新幹線でコロナをうつされたw)、そこで担当してくれた人がランナーで、
「湘南国際マラソンは西湘バイパスを走るからコースが平坦だし、ぜったい記録出ますよ!家から近いんだし出てみたらどうです?」
と言っていたのを思い出したのだ。

4回フルマラソンを走って分かったのは、心肺はまだ大丈夫なのに、必ず25キロから30キロの間で、太ももが痛くなって脚が出なくなってしまうということ。人によっては脚が攣るとか膝が痛くなるとか、いろいろあるみたいだけど、ボクは太ももだ。そこで歩いてしまうからいけないわけで。ずっと走れれば、「夢の!」4時間も切れるのでは? と思うのだ。

2022年暮れの湘南国際マラソンの準備は10月に入ってから、なんとなく始めた。3週間前に30キロ走っておくといいというのを友人に聞いていたので、今回も11月のはじめに30キロ走をしてみた。が、例年にも増して、たった20キロでダメだった。コロナ禍で体がなまっていたのか、はたまた老化のせいなのか、20キロでもう走れない。太ももが痛くてダメだった。

ということで、自己流に考えてみる。
「走り込むより、太もも鍛えるほうがよくねえか?」

以前、娘の彼氏(某体育大学の野球部だった)に聞いてみたことがある。
「野球って下半身が大事じゃん、太ももとかどうやって鍛えるの?」

彼はこう答えた。
「チャリっすね。普段からチャリこぐのがいいっす!」
「あー、だから●体大生ってみんなチャリなのか!」
「まあ、そーっすね。」

そうか! ちょうど奥さんがクロスバイクをメルカリで買ったところだし、大会までのあと2週間、少し高負荷でチャリを漕いてみたらいいんじゃないか!?

やけに高価な自転車用のヘルメットを新調して、翌日から毎日、鶴見川沿いのサイクリングロードを往復20キロ走ることにした。遠い昔だけど、高校生の時は往復26キロを毎日ママチャリで通学していたし、チャリは得意なはずだ。

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