見出し画像

桜の下のキックオフミーティング

50歳日誌、8週目。

10年ぐらい前までは、ボクらの業種というのは年度末が恐ろしく忙しかった。次年度スタートまでに完成させる、年度内の予算を使い切る、ということが多かったのがその理由で、2月、3月はかなり身構えないといけなかった。雪山の誘いをもらっても、カレンダーとにらめっこしながら「うーん」と、しばし考え込まないといけない。

3月もお彼岸を過ぎると、毎日肩で息をするような忙しさ。だけどそれも31日まで。泣いても、わめいても、怒られても納期はやってくる。不具合をお客さんに怒られて直す、とかを含めても4月の最初の週末までには、だいたいカタがつく。

ちょうどその頃桜が見頃で、週末がくると、たっぷり二度寝した後に一息ついて、ガラにもなく散歩に出て眺める桜の花と、やわらかな春の空気が格別だったり……、というのが春の習わしだったのだけど、なぜか最近はそういうこともなくなった。かといって仕事がなくなったわけでもなくて、我々の仕事の予算の出どころや使い方が変わってきのかなあと思ったりもする。



今年は、あっという間に春がきた。
冬の間、恐ろしく寒かった記憶もあんまりなくて、ダウンジャケットが登場する出番も少なかった。だから「やっと春だ」というかんじは少なかったかもしれない。そのうえ今年は、あれよあれよという間に桜が咲き3月のうちに葉桜になった。

ちょうど近所の桜が満開になった快晴の朝、めんどくさがる奥さんをスーパーカブに乗せて近くの里山に出かけた。

里山に行くのは、花見というよりは「春見」だ。
花見スポットのような一面の桜というものは期待できないんだけど、一気に芽吹く山の木々や、田んぼの土手に咲く小さな花たち、木々の間で一生懸命何かをさえずる鳥たちの声まで、ありとあらゆる「春」を一式見ることができる。

みんなが桜に気をとられている1週間の間に、一気に芽吹く木々たちのエネルギーというのはすごい。家の窓や近くの通り道から見える遠くの里山の色が、数時間後ごとに茶色からペールトーンのグリーンへ変わっていくような気がする。しかも微妙な色のテクスチャの組み合わせであるから深みがある。この時期は桜にもまして、その光景に心奪われる。

いつもランニングの途中で立ち寄る神社のまわりの桜は満開。里山の奥にある釣り堀の桜も満開。散歩する人たちの笑顔も満開(笑)だった。やっぱり桜は早朝がいい。



ところでいま、ボクたちが春に愛でる桜というのは、野生のものは少ないよなあ(というかほぼない)ということを、ここ数年桜を見るたびに考えている。この時期に我々が、花見に行くスポットというのはほぼ100%、誰かがそこに植えた桜や桜並木だ。

公園、川沿いの土手、学校、病院、工場の敷地境界線……。
日本じゅう津々浦々、ありとあらゆるところに植えられた桜の木は、だいたいが「誰か」の手によるものだ。

そういう意味でいうと秋の紅葉を見に行くというのとは意味がだいぶ違う。自然の、四季の移ろいを見に行くような気でいるけれども、桜の花見はどちらかというと、映画や舞台やライブを(家族や仲間と)見に行くのに近いんだろうなと思う。

数十年前、ないしは数百年前に、その場所に桜の木を植えようと思った人がいたはずで、その人は何を思って植えるのか。「何十年か後の春、この場所で見事な桜が咲き乱れて、人々が春の訪れを感じられるようになるといいな」と思って植えるはずである。「もしかしたら、この桜の木の下に発電機とコタツと麻雀牌を持ってきて、満開の桜の下で徹マンをやる学生も現れるかもしれない。まあ、それもよかろう(笑)」

数年ではその成果は確認できないだろうから、自分が死んだ後のことになるかもしれない。そんな壮大な、未来への仕掛けに、今のボクたちは「乗っかっている」のだとも言える。長い長い年月をかけた舞台装置の中にジョインして、昔の人が企てたその舞台芸術の一部になってしまう、というのが「花見」なのかもしれない。



何年か前、花見の席だったかゴールデンウィークのバーベキューだかで呑んでいるときに、先輩がこういう話をした。

「春の生命力ってすごいじゃない。 しかもものすごい短時間で芽吹いたり、花が咲いたりするでしょう、ブァ~~!って(変顔)。 自分が歳とったときに、その圧倒的な生命力に負けちゃう時が来るかもなあって思うんだよね。」

負ける、って何だ(笑)!?

いや、でも先輩の意見は鋭くて、春という季節や桜の花が、「華やかさ」や「喜び」と同時に、どことなく「切なさ」を内包しているのは、そういうところから来ているのかもしれないなあと思う。

それにしても、なんでこんなに日本人にとって桜は特別なのか。
あくまでボクの想像だけど、それはたぶん農業が中心だった時代の名残なんだろう。ガーデニングにハマっているうちの奥さんでさえ、この1ヶ月はとても忙しい。一気に出てくる雑草の草取りをし、芽吹いた木々を植え替える土をつくり、夏に咲く花の種をまく。土日はもちろん、リモート出社前も庭仕事に精を出している。

おそらく農家でいうと、畑や田んぼを耕し、田植えの準備をして、機械や水路の手入れを本格的に始めなければならない時期が今なんだろう。今年の収穫のためのスタート時期。それがちょうど桜が咲く時が目安だったのではないか。

「さて、いっちょ今年もやるよ、気持ちも新たにね!」

のキックオフの合図・目印・アラームが桜の花だったということだ。であれば、
花見の宴会は、さながら新年度の「キックオフミーティング」だったんじゃないかなあと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?