制限的な「自分らしさ」
内向型(Introversion)!?
今から10年前、独立してすぐの時期にMBTIというメジャーなアセスメントを受けた。こういった自身の傾向を知るためのツールを活用するのは久しぶり。MBTIはじめ様々なアセスメントでEとIという指標があり、前者は外向型(Extroversion)、後者は内向型(Introversion)という傾向をはかることができる。
10年前のアセスメントの結果。
最初に内向型な傾向を表す、I(Introversion)の文字が。
驚いた。
実はこれまで様々なアセスメント(簡易なものも含め)では必ず僕はE、外向型(Extroversion)だったと記憶している、そして自分でもそう思っていたし、そう自分のことを語っていた。傾向だし自分の強みはそうだと思って生きてきた。
しかし、結果は、I(Introversion)。性格診断や僕の傾向を決めつけるものではないと理解しているが(MBTIに詳しい人には当たり前かもしれませんが)
人生初!始めて自分に「内向」という、形容(?)、冠(?)、とにかく信頼度の高いアセスメントで僕にとって人生初の結果が現れた。
自分の感情は少しずつ変化して、
①「驚き」発
②「少しの喜び」経由
③終点「何故か、肩の力が抜ける」
という不思議な体験、今も鮮明残っている。
今、無理やり解説すれば、
これまで自分は自他ともに認める、E(外向型)であり、もうちょっというと僕がリクルートでキャリアが始まった時代は営業として内向型より外向型の方がいいとすら思っていた。
アセスメントの本来の意図とは違うと思うが、当時の世の中的文脈か、外の世界に意識があって、誇張して言えば「明るく常に社交的でいれる自分がいい」という無意識の標準が潜んでいて、そういうことを期待する周りにも応え続けていた。それは全く悪い感じでもなく、別に嘘の自分でもないのだが、自分でコーチングを受けたりする中で、薄々そういう自分だけでないことも感じていた。
自分の内側に意識を向けること、自分ひとりの時間を大事にすること、コーチングをうける自体自分の内側に意識向けてるわけで。
だから、そういったことが結果にも見えた時に少し喜びがあった。
確かに俺は外向型なところもあるけれど、そうではない一面もあるんだと。そして、それが結果に出て来るというのは、無意識の標準に囚われず自分にある様々な要素に素直に共にいることができているのかもしれない。
そう思ったら、なんだか軽い脱力のような感覚とともに、自然体で力の入ってない自分を体験した感じだった。
善意が「自分らしさ」を押し付ける
この体験は結構いろんなことを考えさせられた。
自分自身でこういう自分らしさに囚われることの大変さは、ミスチル桜井さまが「名もなき詩」を通して、すでに教えてくれている。(ミスチル引用したい病)
あるがままの心で生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしている
知らぬ間に築いていた
自分らしさの檻の中で
もがいているなら
僕だってそうなんだ
コーチングをやめて欲しいと思った唯一の時
実のところもっと怖いことは、周りの人が「自分らしさ」を善意で強要してくることがあることだ。
その人のある一面をもとに、「らしくない」的な投げかけは本当に怖い。
僕がコーチングを学んでいた10数年前、様々なコーチングスクールで学んでいる人たちで相互コーチングをしたことがあった。
クライアントとして自分のテーマを進めていく中で、本当にコーチングをやめてほしいと心が折れたことがある。こんなこと滅多にない、というか、これ以外に思い当たらない。
結構悩んでいるテーマだったが、コーチ役である彼女は何度も何度も
「前向きなはっしーらしくない」
的なことを言われたことを覚えている。(正確には違うかもしれないが)
確かに僕は楽観的で、比較的多くの時は前向きなことは否定しない。そういう話もしたけど、言質をとったかのごとくその話をされて心が萎えた。
そうじゃない時や、そうじゃない自分もいるわ!(と言わずにその集まりからはフェードアウト)
善意が相手を狭くする
この話は実は怖い。なぜなら日常結構よく見る光景。誰しも無意識にそうしていたこともあると思う。それも善意で。きっと僕が心折れたコーチ役だった彼女も、僕を応援したくてそうしていたのだと思う。
役立つ時もあるかもしれない。ただ、いつも前向きなやつなんているわけない。そう見えているだけだし、もしかしてそう言われることで、そうしないと自分らしくないのではと自分で自分を狭めていくことになっていることもある。
その人を応援しているつもりが、その人をその人らしさの「一部に」押し込めているのかもしれない。
関わる相手のリソースを一緒に開発する
自分自身がコーチングを通して、別の言葉で言えば「リーダーシップの開発」、「本領発揮の後押しをする」時、クライアントが自分自身を狭く、窮屈に感じるような状態は、長期的な後押しにならないという実感がある。
時にクライアント自身も気がついていない新しい自分の様々な側面を共に発見したり、探求したりすることで、自分自身の広がりを体験することはサステナブルな支援に必要な要素。
その人のリソースを一緒に探求することが役割の一つの大事な側面で、その人から現れる様々な「その人らしさ」を発見、探求、開発して、その人自身の幅(レンジ)を広げた状態、多様なその人らしさに気づいていたり、現れていることと共に変化も進む。
無意識によく見える「その人らしさ」で括らないことが、その人の本来の姿を明らかにしていくことに他ならない。
時にクライアントが無意識に「自分らしさ」を安全領域にしているように見えれば、耳に痛くてもそれを伝えるし、時にまだ見ぬ新たなリソースを発見することに面白さや本質がある。
コーチングに限らず、人の本領発揮の後押しをしたい時、その人らしさを「特定する」のではなく、「多様なその人らしさ」を一緒に発見して探求することが大事だと確信している。
そう言えば、僕が数年前に自分の尊敬するコーチ仲間と話をしていて、「はっしーは、スピリチュアルな感性が高いと思う」と言われたことを思い出す。
僕が「自分らしさ」として一番遠いと考えているものだった。そして今も。
でも、もしかすると僕にもそういうものがあるのかもしれない。まだ見ぬ「自分らしさ」として。
死ぬ前に現れますように。