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「自由に思う」ことは難しい

「思うことから、すべては始まる」を読んだ。

学生時代の友人が経営陣として活躍しているサンマーク出版、その代表の植木氏が出版不況の中ミリオンを出し続けることがなぜ起こるのか?そこにある理念や考え方について書いている良書。

シンプルかつ色々示唆を感じる内容だった。一番言いたいことはタイトルの通り。出版不況の中、ミリオン含めた成果始まりはすべて「思うことから」。

年始に「大ぼら」目標発表会が恒例で、絵空事でも空想でもOK。今年はこうしますと口にすることを実施しているとのこと。実現可能かどうかではなく、自分の意思、夢を語る場。もちろん達成しないといけないということではない(そうしたらきっと出来そうな事しか話せない)

ちょっと出版に関して知っている人ならば、サンマーク社の実績やユニークさはしれている。その実績に根底にある理念、信じていること。この本の文脈では限界意識の突破という事なのだが、なかなかこれが出来る組織は多くない。

これだけ聞くと、自分でこうしたいと口にすることが「あたり前じゃん」という人も多い。(そういう書評もあった)

僕も実際組織開発やコーチングを通して話す人たち、クライアントの多くは、自分で思うことから始めることの大事さはきっと、みんな理解している。頭では。

同時に僕の実感として、「自由に思うこと、そして口にすること」は、いざ現場では難しいと言う人が多い。正確に言うと難しい状況が多い。

なぜ?

自由に思うことを許さない空気、環境は多い。悪意のある人が1人もいなくてもそういったものに支配されている状況がある。

コーチングで企業の人と関わる中で、クライアントが難しいと感じることの一つにこの「自由に思うこと、それを口にすること」がある。「自分がこうしたい」、「こう言う状態を目指したい」、これがとっても難しいと多くの人が言う。

理由などを聞いていくと、いくつかの傾向がある。

1、言うとリスク

・こうしたいと思って、話して、場違いだったらどうしよう。
・会社の求めているものとあっているかわからない。
・妄想でもいいからと言われて、思ったことを言ったら「現実的ではない」と言われた(よくあるw)

2、求められたことがないので、思うこと、考えることがない

・基本的な思考の起点は会社、降りてきた、あるいはこれまでを踏襲した目標

「お前の考えは聞いてないんだよ」

とっても昭和的w。でもまだこう言う会話(言ってなくても暗にこう言っていることも含め)あるのだろう。

3、あきらめ

・言っても何もならない
・聞いてもらった感じもしないし、何も変わる気配もない
こう言う状態の人の共通点はとっても冷めた感じ。

一時期の僕はこうだった(いつかは秘密❤️)。あきらめているとある意味、楽。でもあきらめている会社にいて生産性が高いわけない。

言う言わないの手前、思うことすらあきらめている。

以上当社調べ。

とにかくみんな頭では「自由に思うこと」が大事なことは理解していても、そうならない環境が多い。会社だけではないのかもしれない、家族ともそう言った関係になっていることもあるかもしれない。

元に戻るが、サンマーク出版の凄さは、そう言った「思うことから、始められる〝環境〟」があることに他ならない。経営理念、フィロソフィとしてそこに存在していることはきっとすぐに創れるわけでもない。相当な一貫性を持って、経営されてきたに違いない。

あなたは「自由に思うこと」ができるのか?

自分がどうしたい、どうありたい、と言えることはただの言葉と言うよりも、その人が状況にかかわらず「人生の当事者」でいることなんではないかと。自分がこうしたいと言うことと、状況に対応することも大きく違う。

ロバート・フリッツの著書
「自分の人生を創り出すレッスン 原題(Your Life as Art)」で創造するプロセスでの姿勢としてこのような内容がある。

<状況から自由になること>
自分の想像プロセスに熟達し、人生に応用していくと、大きな姿勢の変化が起こる。それは、状況に反応したり対応したりする姿勢から、状況がどうであろうと関係なく創造的でいる姿勢への変化だ。
私たちは状況を重視し、状況にうまく対応することが大事だと教えられている。自分にとって何が大切ではなく、いかに状況にうまく対応できるかが大切だと言うのだ。適切な対応というものを拒絶した者たちは反抗したり反応したりするだけだ。私たちの社会では、自動反応から状況対応へと移行できれば進歩だとみなさている。しかし、対応も反応も状況が人生を牛耳っている点では同じだ。
一方で、創造的な姿勢においては、状況が主導権を握るのではなく、あなた自身が主導権を握るのである。もちろん状況は一つの要素だ。しかしそれは出発点に過ぎない。


状況はあくまでも一つとして自らが創造する姿勢。

自分がどうしたいと思うことの本質はここにあるのだと思う。

そういう姿勢で自分がいることも大事だし、こういう姿勢を育みやすい環境を自分で選ぶことも大事。あなたが自分がどうしたいのか思うことが、あまりにも難しい状況が続くのであれば違う環境を選ぶ方がいい。

個人でコーチングを受ける人が増えた理由

僕がコーチングを学び始めた15年前に比べて、圧倒的に個人で外部のコーチを探してコーチングを受ける人が増えた。この傾向はここまで話したことと関係があると確信している。自分が今いるコミュニティではなかなか「自分がどうしたいか」を思う、考えることが難しいからだ。

自分が本当にどうしたいか?時に会社の文脈に沿ってない可能性があることをどのくらい自由に思えて、言うことができるのだろうか。もし自由に言った時にそれは応援されるのだろうか。

実際コーチングをしていて、クライアントは自分自身本当にどうしたいのか話し出すときのパワフルさや、自分自身を取り戻すようなインパクトはすごいものがある。それは綺麗で整ったキャリアのビジョンのようなものではなく、人それぞれの持ち味があってとても力強く、ユニーク。もちろん、すぐに言葉にならないこともあるけれど、自由に思うこと、創造することを許可をすることはクライアントの本領発揮につながる。

個人だけでなく会社も

余談だが、投資家の藤野英人さん(レオス・キャピタルワークス株式会社の創業者の1人)の話で面白いことがあった。

投資家なのでどういう企業が成果を出すのかを見ているのだが、彼が独自に調べによれば、HPを見るだけである程度予想がつく部分があるとのこと。その中で特に面白かったのは経営者挨拶の主語が「当社」「当行」という会社に比べ「私」「私たち」という企業の方が投資成績が良いらしい。(業種とかあまり関係ないらしい、エビデンスとか突っ込まないでw でもわかる気もする)

「私」、「私たち」で語るにはまずはそうしたいのかを経営者自ら「どのようなことを創り出したいのか」がなければ語り始められない。

「どうした方がいいのか?」ではなく「どうしたいのか?」

僕自身も、CTIでリーダーシップやコーチングを学んだり、自分にコーチをつけるまであまり「自分はどうしたいのか?」ということは考えてなかった。

似たような問い「自分はどうした方がいいのか?」がほとんどだったと思う。

それは無意識に「どうやったら失敗しないか」に近い問いでもあって、きっとこの問いの変化がなかったら独立していないかも。

「はっしーはどうしたいの?」とシンプルに聞いてくれる仲間が周りにいることは、たまにめんどくさいとも思うのだけれどw、本当にありがたい。




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