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人を育てることは、自分を育てること。

人の仕事は、わたしの仕事ではない。

けれど、後輩が仕事をできるようにフォローするのは、まちがいなく、わたしの仕事なのである。

わたしの仕事でない仕事をして、怒りと疲労でなんとも言えない年末を過ごすはめになった。

年が明け、怒りと疲労が回復してきたこの頃、もしかしたら、わたしの指示が明確であったならば、年末を仕事で過ごすことはなかったのかもしれないと考えられるようになってきた。

「具体的に指示がほしい」と言われていたのだが、具体的に指示を出したら、それは結局わたしの仕事で、相手の経験にはならず、そんな指示をだすくらいなら自分がやった方が早いと、頭から決めつけていたのだ。

では、具体的な指示ではなく、明確な指示を出していたのなら、状況はどうだろう。

「このAという内容をBという内容に変えてください」は具体的な指示だが、「内容を選ぶ際に、必ず自分の意図を持って選んでください。そして、どうしてその内容を選んだのかを教えてください」というのは、明確な指示になるだろう。

そう、わたしは具体的な指示をだすことに抵抗があったばかりに、相手の立場に立った上で、明確な指示を出すということができていなかったことに気づいた。

完全に自分のものさしで、相手のことをみていたのでは、相手は育たない。これでは、いつまで経っても、人の分まで仕事をしなくてはならない。そして、わたしのスキルもあがるはずもない。

終身雇用がなくなった今、生き残れる人材は、相手の性格や思考に合わせて、柔軟に言葉や指導の方法を選択し、相手を成長させることができる人である。

自分の時間が奪われることに執着したあまり、相手を成長させることが、自分のスキルにつながるという見方が完全に抜け落ちていたのだ。

確かにそんなにもキャリアは変わらない相手だったとはいえ、言葉の選び方も、説明の仕方も、相手に合わせていたとは言いがたい。

頭のなかで、いくら言っても相手は変わらないだろうという先入観があったことが大きな原因である。まずは、相手の性格を見極め、相手へのアプローチをしっかり考えるべきだった。そうすれば、仕事もスムーズに進んでいたのではないだろうか。

①不器用な努力家タイプであれば、ほめる。

②器用に何でもこなせるタイプであれば、本人より少し高めの基準設定をする。

③自分に自信が持てないタイプなら、スモールステップで課題を設定し、ひとつずつクリアさせ、達成感を味合わせる。

今、思い浮かんだだけでも、さまざまな指導の方法がある。その場で、いかに相手の性格を見極め、自分が行動できるかが重要だ。

そして、これは、子育てにも共通していることである。同じ家庭で育っているとはいえ、その子どもの性格により、声のかけ方によって、その子どもの伸び方は大きく変わる。子どもの立場に立ち、言葉を選んだほうがいいだろう。

子どもが伸びれば、まちがいなく、母親の仕事は楽になる。

相手のせい、子どものせいにする前に、自分のやり方や見方を変えること。そして、それは、目の前の自分を楽にさせるだけでなく、自分のスキルアップにもつながるのだ。そう考えれば、Win-Win。時間はかかるけどね。

「相手を見るものさしを常にフラットにしておきたい」

そう感じる、今日この頃である。でも、子育ても後輩育ても肩の力が入ったら、きっと負け。「まあ、こんなもんかー」くらいが、ちょうどうまくいくのかもしれない。



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