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「今」というその瞬間が何よりも大切だという話。

今日、次女がごねた。
「ピアノ行かない」と朝から、すねている。
その理由は簡単。

「ママがわたしに構ってくれない」から。
彼女の口から聞いたわけではないけど、
母であるわたしが「今」というタイミングを逃したことが原因である。

昨日、何を買うかに迷い、何を書くかに迷い、
どうも流れのよくない一日だったことはnoteに書いた。

その流れをなんとか変えようと、
今朝、記事を書き、子どもたちの支度をしているスキマを狙い、投稿を急いでいた。

そのときである。
あと、いくつかの#ハッシュタグをつけたら終わりというところで、事件は起こった。

次女: 「今日、〇〇ちゃん休みやから、
     一人でピアノいかなあかん?」
わたし:「(パソコンとにらめっこしながら)
     うん、そやなぁ」
次女: 「お姉ちゃん帰ってくるの待ってても
     いい?」
わたし:「(パソコンとにらめっこしながら)
     遅くなるから、あかん。」

その瞬間、次女は泣き出し、ソファにうずくまる。

「ピアノ行きたくない。学校も行きたくない。」

次女は、学校にもピアノにも行きたくないわけではなく、自分にまっすぐ向き合ってくれない母に腹を立てたのだ。

弟である末っ子長男は、毎朝、眠くて、ごねる。
長男をスムーズに保育園へ送りだすため、
だっこしながら朝ごはんを食べ、着替えさせる。

本当は自分もだっこして、朝ごはんを食べさせてほしいし、着替えも手伝ってもらいたいというのが、次女の本音であると思う。
ただ、もうすぐ小学校2年生になるから、本人としては、甘えずらい部分があるようだ。

長男の着替えも終わり、いよいよ次は自分の番だと心の中で喜んだにも関わらず、ママはパソコンとにらめっこ。「ひそかに期待した気持ちを返せ!」と言わんばかりの、「ピアノ行きたくない。学校に行きたくない。」である。

ピアノに行きたくないわけじゃないんだよね。
学校にも行きたくないわけじゃないんだよね。
こっちを向いてほしかったんだよね。
ママに甘えたかったんだよね。

着替えを手伝ったり、口に「あーん」とミカンをほりこんであげたり、はたから見れば、甘やかしのように見えるかもしれないが、
子どもたちにとっては、その「甘え」が必要なのである。

学校(社会)に出ていく瞬間ほど、子どもたちは「今日もがんばらなきゃ」と自分を奮い立たせている。だからこそ、ほんの一瞬の「甘え」が、今日も一日、社会の中で頑張るパワーの源になるのだ。

そのパワーを貯めようとした「今」という瞬間に、ママがパソコンとにらめっこをしていたのだ。そりゃ、やってられないよな、次女ちゃん。

誰も見てないnoteを急いで投稿するよりも、君の応援をすることの方が何千倍も大切だって、通勤の自転車をこぎながら、反省したよ。

子どもたちが望んでいる「今」というその瞬間を大切にすることが、子どもたちの自律につながるってわかっていたはずなのに、自分を優先させてしまった。多いに反省して、次に活かしていくから、待っててね。

結局は、「行きたくない」とごねたものの、学校へも牛歩作戦で、とぼとぼ歩いて行ったし、グチグチ言いながら、ピアノへも行った次女。ママなんかよりも、よっぽと自律してる。これからの彼女の成長が楽しみで仕方ない。


次女の記事です。ついでに、読んでいただければ、涙ながしながら、反抗期の次女とともに喜びます。


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