免罪符

 今日のバイトでこんな客に出くわした(日記要素)。

「ごめん、付録のダンボール外してくれる?」

「ごめん、ビニール袋入れてくれる?」

「あやっぱ紙袋」

「ごめんやっぱり付録のかばんの中に入れて」

「ごめん、やっぱプレゼント用に包装して。包装したのは自分で持つ」

「(数分後)ごめん自分のかばんに入れたら破れたから包装し直して」

 応答していくごとに声が低くなっていくのが分かった。「無理です」と言ってやりたかったのを我慢して、笑顔で包装し直した。自分のかばんに入れる、という学習しないバカの戯言を無視して紙袋に包んで渡した。


謝罪言葉の免罪符

「ごめん」「悪いけど」「すいません」……こういった謝罪の言葉を頭に置くことで、どんな無茶を言ってもいい、許されると考えている人がいる。これっぽっちも悪いなんて思ってないし罪悪感すらない癖に、謝罪言葉を一言入れて自分の責任を人に押し付ける人がたくさんいる。

「ごめんこれやっといて」「悪いけどこれお願いできる?」という言葉を言われた人は多いかもしれないが、ここに罪悪感は存在しない。あるのは自分のタスクを人に押し付けることが出来たという安心感だ。直接「これやっといて」「これお願いできる?」というよりも口調が柔らかくなるし、押し付けやすい。これが言葉の強さだ。この強さに気づいた人間は、大体味をしめてこの免罪符を常時使い始める。その成れの果てがこの記事の初めに書いた客だ。

 これの強いところは、謝罪言葉を頭に置くだけで「こっちは腰低くしてるのに!」という態度を取ることが出来る点だ。「悪いとは思ってるけど」のように、申し訳無さそうな姿勢をとるそぶりをすることで、まるで断った側が悪者(もしくは生意気)に見える。これにより、断った方も「なんか悪いことしたかなあ」と罪悪感を抱いたりする。まあ頼んだ側の大抵は悪いなんて思ってないのだが。自分が楽したいという、ただそれだけだ。

 また、「すいません、商品に触れないままで会計してもらえますか?」なんてことを言われたこともある(それも数回)。絶対罪悪感なんざない。客に文句を言うなという圧力しか感じることはなかった。それにしても棚に陳列している時点で店員の手には触れているので、今更触らなくても結局店員の指紋はついている。それに気づいてないんだろうなあと思うと、なんだか面白かった。

 念のため言っておくが、他人に手伝ってもらうことを否定しているわけではない。どうにもならない時に助けを求めるのは大切なことだし、そこで感謝しているのなら僕に言うことはない。僕が言いたいのは結局「ごめんって言ってりゃ何を言っても許されると思うなよ」「言葉を免罪符のように振るうのをやめろ」ということなのだから。



 基本的に僕は人を頼ることを嫌う。それは他人に借りを作りたくないという安いプライドと、この免罪符を嫌う僕が自分でこれを使うことを許さないからだ(あと自分一人でやったほうが他人を頼るより早く終わってしまうというのもある)。

 まあ、そもそも毎日毎日夜中に自省しているような人間が、他人に何かを頼んだ時に罪悪感を抱かないはずもないのだが。僕が「ごめん」を頭に使う時は、大抵家に帰って「嫌なことを押し付けたかもなあ」という反省をするリスクを負っている。だけど、「ごめん」「悪いけど」を使いすぎると、罪悪感がそのうち薄れていくんじゃないか。そういった恐怖が僕にはある。そうなれば、僕も免罪符を撒き散らす奴らと同じ人間になってしまうから。ゆえに、言葉がキツくなろうと頭に謝罪の言葉はなるたけ使わないように意識している。結局、ただの意地なのだけど。勿論バイト中でも、「申し訳ございません」「すみません」は本当に申し訳ない時にしか使わないようにしている。こちらに不手際がない時に謝る道理はないからだ。……こんなのだから何時までたっても僕は社会不適合者なのである。

 ここまで言っておいてなんだが、社会で適応していくにはこの「謝罪言葉の免罪符」はぶっちゃけ必須スキルだと思っている。もっと具体的に言うなら、「ごめん」「すいません」を頭に置く話し方のスキル、これをいかに申し訳無さそうに言うことが出来るか、というものだ。特にこの演技が上手い人間は強い。どんな相手とコミュニケーションを取る上でも役立つ便利ツールであるそれは、熟練者が扱えばあっという間に環境に適応することができるようになる。だけど、これが社会に適合するということならいくら生きづらくても僕は社会不適合者でも構わないと思っている。それは、言葉というものに重きを置いている今の自分にとって絶対に退けない一線だからだ。

 僕の人生はまだ短いとはいえ、その中で言葉の力をたくさん目の当たりにしてきた。ゆえに、その力に敏感になっている。だからこそ、Twitterのリプライでさえ馬鹿みたいに推敲してから送っているのだ。酒をなるべく飲みたくないのだって、酒によってこの制約が崩れてしまうからである。

 ちなみに、僕はたまに「人間をしている」だの「アクセルがどう」だのと意味不明なことを口走っているが、これは直接言葉にするとひどい言葉になってしまうので精一杯オブラートに包んでいるのである(これに関して詳しく話すと面倒な話になるので詳しくは話さない)。


 言葉というものは複雑怪奇だ。感嘆符1つ、「w」1つで強弱も意味も大きく変化する。記号ひとつのあるなしで相手に与える印象だって違ってくる――それこそインターネットのような、相手の顔が見えない、文字や絵文字でしか感情を表せないような世界なら尚更だ。ゆえにインターネットのコミュニケーションは難しいし、僕はとても苦手だ。だけど、まだまだ未熟だからこそ、苦手だからこそ、もっと言葉を大切に使えるようになりたいと思う。ちゃんと言葉を扱えるようになったなら、もっとたくさんの他人と関わる勇気を少しでも持つことが出来ると信じて。



 まあ、この文章は殆ど推敲してないんだけどね……(台無し)

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