7月13日(水)

こいついつも12時過ぎてるな

5時過ぎてないからセーフの精神

◯何もなかった日なので、ここで少し言語化の練習として「いい子」について書いてみようと思う。今日考えたことなので日記にできるな、ヨシ!

◯「いい子にしてなさい!」って言われた経験はないだろうか。僕はある。というか、「いい子にしようね」「いい子にしてね」と言われて育ってきた人間だ。もともと家庭の事情から大人と関わることが多かった僕は、小学校に入学する前にはすでに「いい子」の仮面を身に着けていた。

◯ここで考えてみる。「いい子」とは何か。正確には、「大人が考える『いい子』とは何か」。
 
この時のことは今でも思い出せるのでその時感じたことをそのまま記すと、当時の僕にとって「いい子」とは、「大人の人の言うことを聞いて、大人の人がしてほしそうなことをする」子であった。

◯ここで一つ、心理学の話。「正の強化」について。
 正の強化とは、"何か行動をした結果、良いことが起こった"という体験をすることで、その行動の頻度が増すという事象のことだ。できるだけ分かりやすく例えてみたいけど、そうだな……。
『お母さんが洗濯物を畳んでいた』(以下A)とする。

その時、子供が『畳んだ洗濯物を運んだ(お手伝いをした』(以下B)結果、

『お母さんにいっぱい褒めてもらった』(以下C)。

 この結果、Aの場面が再度生じた際にCが再び与えられることを期待してBという行動が増えていれば、それは正の強化がはたらいていることになる。


◯この知識を踏まえて再び「いい子」の話に戻ろう。
 僕が『大人が沢山いる場』において『いい子にしていた』結果、『周りの人に両親が褒められていた』り、『知らない人にも褒めてもらえた』り、なにより『父親と母親の期待に応えられた』。幼いながらこれを学んだ当時の僕は、とにかく大人が沢山集まるような場では常に「いい子」になることを決めた。僕が「いい子」でいることで、お父さんやお母さんが喜ぶ。それは僕にとって非常に大事なことだったのだ。

 そして、現在。当時から使っている仮面は、未だ形を変えないまま僕の心に残っている。両親が関係していない時の社交性の仮面を別に作り、両親が関わった大人と話す際には小さな頃から使い続けてきた仮面を今も見に付けているのだ。

◯「いい子」から抜け出した日

 いつからだろうか、家族に対しても「いい子」であろうと思い始めたのは。覚えてはいないけど、少なくとも最近の話じゃないだろう。家族にも友達にも仮面を外した自分を見せず、本当に言いたかったことややりたかったことを胸のうちに秘めて過ごす。そんなことを大学生になるまでずっとずっとやってきた。心が軋む音を聴きながら、それでも「後ろを歩く妹のため」だとか「僕が潰れたら両親のメンツも潰れる」なんていう使命感にかられて、中高を過ごし続けた。
 そんな僕が大学生になり、1人暮らしが始まった日。何をしても怒られることのない、全てが自分の都合で動かせる、そんな日常が始まって。あの日がきっと、僕が「いい子」であることをやめられた日なのだと思う。空は青く、花粉が強く舞う春。インターネット回線がまだ契約されていない、古いエアコンが付いている部屋の中、昼間からベッドに寝転がり通信量に気を使いながらスマートフォンをいじる。
 抱えてきた荷物を下ろし身軽になった高揚感やフワフワな気持ちがそこにはあって。「いいなあ」って呟いたことが過去のアナログ日記には記してあった。それくらい、「いい子」でい続けることがしんどかった。辛かった。

◯今も仮面は残っている。被る時もある。それでも自己が落ち着いた今なら、当時苦痛だった仮面を被ることだって問題なく出来るようになった。大人になったからね。大人になるって嫌だなあ。でも時間は誰にでも平等だから、僕はこれからも老けていく。だけど、子供だったあの時感じていた怒りとかは、ずっと覚えていたい。将来僕が「いい子」を作らないように。

◯僕の「いい子」の話。短くまとめようとして頑張ったけど不自然になりました。言語化ってむずいね。

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