午後9時、1,250円の同情

ポエマーみたいなタイトルだな。

8/22(土) 日記

 近所のラーメン屋が8月末をもって閉店することになった。今年できたばかりの、設備も内装も、食券機だって新品の、そんな綺麗なラーメン屋だった。ウィルス対策もアルコールやら何やらでしっかりとやっていた。それでも、閉店。

 とある大学の近所にあるそのラーメン屋、条件は悪くなかった。だけど、タイミングと選んだ場所がまずかった。まずはタイミングだが、例のウイルス騒ぎで大学はオンライン授業、学生は殆ど通らなくなった。大学がなければ特に徒歩で通ることがあまりない立地だったそのお店にとって、最悪のタイミングだった。次に場所。これは立地というより、周辺施設関連だ。そもそも、その大学の近くには家系ラーメンのお店が複数存在しており、新しい店が出来る前から家系大好き男子大学生連中はこぞってそこへ並んでいた。彼らにとって家系は餌だ。たまに違う餌を摂ってみたとしても、結局いつも食べている餌が一番だと変わらずそこに並び続ける。つまりは、割と激戦区のところに店を構えてしまったのが悪かったといえる。

メンタルサンドバッグくん

 今の僕には他人に自愛を向ける余裕なぞない。僕だってほぼ受からないであろう院試に今更もがいてなんとかしようとしている。精神的にもなかなかの傷を負っており、他人のために何かしてやれるような心のスペースなんて存在しないはずだった。それでも、ひどくそのラーメン屋が哀れに思えてしまった。これはおそらく慈愛だとか、あるいは手向け、偽善、野次馬根性……そういうものですらない。きっと、酷くぬるい同情だ。「せっかく気合入ってたのにな、かわいそうだな」なんていう、まるで車に轢かれた動物の死骸を見た時と同じような「かわいそう」という感情。あるいは、院試の為に追い込まれているなんて嘘で、実際はもう諦めてしまっているのかもしれない。ゆえに、他人に感情を向ける余裕があるんだろう。それはできればあって欲しくはないことだけれど。もしくは、僕の心の器は自分が思っているよりもずっと広かったとか。一番ないな。

 バイト帰りにラーメン屋へと直行。外においてある除菌スプレーを手にまぶしてから、扉を開けた。開店してすぐに行った時には8人程いた店員は、3人になっていた。若い女性店員の元気な「いらっしゃいませ!」に、同情は加速するばかりだった。そんな声につられて「最後くらいは贅沢してやろうじゃないか」と思ったけれど、財布の中には1000円札が1枚と、100円玉が3枚だけ。チャーシューメン大盛りと餃子で消えてしまうような、ちっぽけな額しか入っていなかった。僕は結局、そのセットを頼むことにした。今の自分に出来る、最大限の贅沢だ。それでも「もっと現金入れとけばよかったなあ」とか、「交通電子マネーのチャージさえしてなければなあ」とか。自分は悪くない癖にそんな後悔が心を蝕んだ。なんでラーメン食うだけでこんなにダメージ受けなきゃいけないんだろう、などと己に問いながら座る。

 待っている間に野球速報を開くと、贔屓チームが完璧な勝利を収めていた。どんな選手が活躍したんだろうなあ、どんな感じで点を取ったんだろうなあ。自分の片手には幾分余ってしまう大きさのスマートフォンを両手で持って、その店で食べる最後の時を待っていた。

 厨房に立つ壮年の男性店員の姿がカウンター越しに見える。初めの頃は忙しそうに、それでも少し楽しそうだったその姿は、今ではゆっくりと、それでいて翳りがみえる哀しい姿だった。

 しばらくして、料理が来る。鉄は熱いうちに打て、餃子は熱いうちに食え、なんて格言もあるほど餃子を食べるタイミングは大切だ。しかし僕は猫舌の民、出来たての餃子を口に入れてしまえば結末がどうなるかなど目に見えて明らかだった。しょうがないのでラーメンのスープをレンゲで掬って少し冷まし、口に入れる。「うん。なんていうか、人を選ぶ味なんだよな。こういうスパイス系に抵抗を覚えるような人にとってはあんまり向いてないんだよここのラーメン」 そんな感想を心の内で呟いた。そんでまた「いやここで最後のラーメン食べるために来てるのになんで冷静に閉店に繋がるような分析かましてんだよ」「人様にそんなこと思えるほどお前はラーメンに詳しいのか?」などと自己嫌悪。他の誰も何もしていない、ただ僕がラーメンを食べるだけなのにアホみたいに精神にダメージが飛んでいく。だいたい、僕が僕の心をサンドバッグにしてどうすんだっていう話だ。結局、「後で聞くから後で」と、絶対に聞かないだろうと確信出来る言い訳を残して黙って食べることにした。

 僕は嫌いじゃない味だった。しばらく経ってから食べた餃子も、メチャクチャ美味いというわけではないけれど普通に美味いなって感じだった。チャーシューだってありがちな味だったけれど結構美味しかった。本当に、スープだけが人を選ぶ。そんな味だ。だけどラーメンにおけるスープって、めちゃくちゃ大事なところじゃあないか。そこなのかもしんないな、なんて結局分析をかます僕は、先程から何も学んでいなかった。

 特に感動とか悲しさとかいうものは覚えないまま普通に完食。「ごちそうさまです」と店員に声を掛けてから店を出た。クソみたいにダルい蒸し暑さの中、口内に残るスパイスの香り(今更だが胡椒とか唐辛子ではない)を噛み締めながら歩いて我が家へ。帰ってからカルピスアイスバーをたべました、おいしかったです。


以上、日記終わり。結局特別な哀しさとか思い浮かべられませんでしたっていう内容でしたとさ。

そんじゃ、また。

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