フィアー・ブースト!

 2019年、つまり一昨年に「ネガティヴエンジン」という記事を書いた。

 ここで僕は以下のように書いている。

"僕の原動力はいつだってこういったネガティヴ思考だ。自分は大した人間じゃない、価値のない人間だという自己卑下と、自分は他の人間よりも劣っている、という劣等感が僕を動かしてくれる。ネガティヴ思考がエンジンだとすれば、安心感や理屈はエンジンオイルだ。オイルが良質であればあるほど、僕という車はスムーズに動く。さらにこのエンジンのパワーは凄まじく、時に驚くくらいの能力を発揮する"

 今見ると割と意味不明なことを言っているような気がしなくもないが、僕はこの文が結構好きだ。なんというか、勢いを感じる。

 さて、この文章を見ているうちに、僕は1つ疑問を覚えた。燃料がないな、ということに気づいたのだ。よく考えずとも、エンジンとエンジンオイルがあってもガソリンがなきゃ自動車は動きはしないない。なぜなら僕は電気自動車ではないのだ。そこで、今回はネガティヴエンジンにおけるガソリンについて考えることにしてみた。


ネガティヴエンジン誕生秘話

 言うまでもないことだが、人間の動機として一番健康的でよいのはポジティブな感情だ。「好きこそものの上手なれ」という言葉があるように、「○○が好き!」「○○が上手になりたい!」という思いは、程度はどうあれその人々にとっての推進剤の1つとなるだろう。得意な教科と苦手な教科で勉強への取り組み方が違う人間は多いはずだ。僕も当然そちら側で、例えば数学で問題集を解くときなんかは「意味不明~、真面目に考えたくもない。答え見よ……」となり、知識の定着に至ることはほとんどなかった。結局、いつまでたっても数学は苦手なままだ。

 その点、倫理はあっという間に覚えることができた。哲学者には沢山の屁理屈人間が存在していることを知り、僕はそういった人々の考え方や言葉を知ることに楽しみを覚えたのだ。

 好きだと思ってやることと嫌々やること、この2つの推進剤の量は基本的に大違いで、当然ながら前者のほうが伸びは早い。興味があるほどそこにつぎ込む時間が増えるし、時間が増えるほど基本的には実力は増していく。僕の例でいえば、倫理という科目が面白いと思ったことで勉強する時間が増え、結果として定期試験、模試、センター試験の全てにおいてよい成績を残すことができた。

 嫌々でもやらなきゃいけないことは、多くの人は「できるだけ早く、楽に」終わらせたいのではないだろうか。当然僕もその一員だ。だけど、早く……なんていってもそもそもモチベーションがないのだから、「クッソ、面倒くせえなあ……」とか思いながらダラダラやったりすることが多くなる。例えば、夏休みの宿題がチャート式から出題されたとき、答えを写した後テキトーに間違いを作ったり最短ルートで必要のない計算式を書いてみたりして"やってます感"を演出する、みたいな。ちなみにこれは経験談で、実際に僕はやったことがある。結果はというと、マジで何も記憶に残らなかった。「夏休みやったところから出るからなー」って言われたけど「は?何も覚えてないが??」つって結局赤点ギリギリだった。


 さて、これを踏まえて本題。僕みたいなロクデナシも一応人間なので学習をする。これ、ちゃんとやらないと駄目なやつだ、と。「嫌だけど(やらなきゃいけないから)やること、なのに意欲的にやらないと身につかない……ならば一体どうすればいいのか。いよいよ受験シーズンに入ったとき、ふと閃いた。

 自分の力で身体が動かないなら、他の要因……背を押されるだとか腕を引っ張られるとかで強制連行させればよいのでは?

 では、その要因はどうする? 

 ……あ、これ(負の感情)かぁ!

 つまり、「好きだと思ってやること」が好きだと思う気持ちや関心を推進剤にしているように、「嫌々やること」においては恐怖を推進剤にすれば半ば強制的に力を伸ばせるじゃないか、という結論に達した。そう、ネガティヴエンジンの誕生だ。

負の感情が持つ力

 ネガティヴエンジンを一番効率よく動かす事ができるガソリン、それが恐怖や不安といった負の感情だ。「やらなきゃ怒られる」「これくらい出来なきゃ自分はクズになってしまう」「こんなことさえ出来なかったら僕はどんな目で見られるだろう」……といった恐れは、僕が生来持つネガティヴ思考とこれ以上ないくらいに良い相性をしている。

 そもそも、負の感情というものはそれ自体がとても大きなエネルギーを秘めている。それこそ、脳の制御が効かなくなるくらいに。

 ニュース報道で聞いたことがあるだろう「カッとなってやってしまった」や、「あまりの恐怖に失神した(迷走神経性失神というらしい)」というような言葉があるように、強い負の感情は人を暴力や殺人に駆り立てたり、あるいは自身の意識を奪ったりする。

 では逆に、このような衝動を引き起こす負の感情を上手くコントロールすることができればどうなるのだろう? 破滅ロードを突き進むために量はたんと積まれているのだから、あとは方向性と排出量さえ変えてやれば安定したエンジンへの燃料供給が可能となる。しかもこの負の感情というものは、僕のような人間にとって尽きることのない燃料だ。常日頃から感じている劣等感や将来への不安、底辺だと自負している自分よりも頓珍漢なことをやっている人間への非合理的な怒り……全部全部が、自分にとっての恐れとなり、そして同時に推進剤になる。やらなきゃいけないタスクに足を向け、負の感情を適度に爆発させればいつの間にか進捗がすごいことになっている。まさしくフィアー・ブーストというわけだ。

 ちなみにこれがやばい感じに爆発した場合、一気に破滅の崖から落ちて身の回りの整理を始めるようになる。具体的に言うとPS4とSwitchを実家に送りPCのデータを消して妹に譲り、カードは友人や後輩に託した後、頑丈なロープと遺書を用意するようになる。感情版原子力発電みたいなものだと思ってもらえればいいだろうか。幼い頃から恐怖や怒りをどうにかコントロールできないだろうかと四苦八苦してきたこともあり、自己制御能力には自信があるのでしばらく爆発することはないと思う。原子力発電安全神話みたいだぁ。


おわりに

 当然といえば当然のことだけど、こんなことをやってはいけない。ネガティヴエンジンは、ポジティブになるのがどうしても苦手な自分がどうにか「好きこそものの上手なれ」状態になれないかと苦慮した結果浮かんだ、継ぎ接ぎだらけのポンコツエンジンなのだから。ピーキーすぎるんだよちくしょう。

 あと、こんな人間になってもいけない。人間不信で女性恐怖症、おまけにひどいひねくれもの。人間不信も女性恐怖症も改善してはきているけれど、今でも人間と関わるのはひどくエネルギーを使う。特に顔がいいわけでもない人間が孤高を気取っていても特にいいことはなく、ただ他人から変なモノであるかのように見られるだけだし、嫌いだという感情をぶつけられるのは慣れ不慣れ問わず精神にちゃんとダメージが入るのだ。しかも嫌われないようにするためには信頼、あるいは信用が必要だが、なまじ人間不信なせいでこちらが相手を信じられず、結果向こうもこちらを信じられなくなるというすごく嫌なシナジーがあったりする。皆はこんな人間にならないよう、なんとか頑張ってほしい。もしもうなってるっていう人間がいたら僕と一緒に真っ暗なお先を突き進んでいこうな。


こんな感じで今回は終わり。

そんじゃ、また。

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