あの日抱いた情熱を偲ぶ

昔使っていたUSBを見つけた

 中学~高校の頃に使っていたノートPCには、いつも親に秘密のUSBメモリが刺さっていた。目立たない色をした4GBのソレを、1.5TBの容量があるデスクトップPCへと数年ぶりに突き刺してみた。そこには、大学生の僕が「黒歴史」と語った恥と熱意の塊がゴロゴロと転がっていた。

 写真に写るのが嫌いだった僕は、あの頃から徐々に撮影がありそうな場に出向くことがなくなっていて。学校のアルバムにも、自分の姿は殆ど写っていなかったように思う。そんな折に発掘されたこの恥のタイムカプセル。作品ごとのフォルダ分けすらせず、一次創作と二次創作の分類すらせず。
 「○○×△△」「◇◇二次創作 プロット」「オリジナル設定」
 ひと目見ただけでどんな内容なのかが簡潔に伝わるすばらしい名前をつけられたWordファイルや.txtファイルがあっちこっちに行ったり来たり。キモ・オタクの闇鍋がそこにはあった。

「うわ~~~~~~~~…………」
とリアルに声を発してしまった僕を、僕は責められない。

 だって、さあ。ねえ。

 恥ずかしくなっちゃったんだ。うん。

 中学生の頃のやつとか、今見たらもう信じられないくらい文章構成が稚拙すぎる。バカの一つ覚えみたいに半角擬音語が乱れ飛んでるわセリフの後に////がついてるわ、挙句の果てには台本形式。2000年代後半に2chで書かれてたSSか?

 そこから1,2年経つと多少読めるようになってきた。地の文があって、セリフ「」前にキャラクターの名前は書かれていなくて。半角擬音語も////も怒りマークもついていない。でもさあ、あのさあ。

『○○が言った。「~~~」それに対して△△はこう返した。「~~~~」○○は怒ってこう叫ぶ。「~~~~~~!!」』

 地の文のボキャブラリーなんとかしろや!!!!!!!!!!

 お手本あるじゃん!中2中3の頃、当時の僕はどんな小説を読んでた?そう、高田崇史に京極夏彦、七尾与史。少し外れて賀東招二に逢空万太。なんかチョイスがどいつもこいつも王道からは離れているような気がせんでもないが、それでも彼らは大事なお手本で、いわば参考書のようなものだ。ちょっとそこから書き方を学ぶだけで、もっともっと読みやすくなったのは想像に難くない。でも、当時の僕はそうしてはいなかった。

 何故か。

 今の僕に当時の僕のことを思い出すのは難しいけれど、それは多分"勢いのままに書き殴ってた"からじゃないかなあ、と思う。溢れ出そうなパッションを抱えて、全部一つの文書ファイルに注ぎ込もうとキーボードを強く叩いて。中学生活が上手くいっていた、なんて口が裂けても言えない僕には、だからこそ溜まった不安や欲求といったものをぶつけるだけの気力があった。そしてそれをそのままぶつける。気がつけば、勢いだけの短い(約6,000字)ストーリーが完成していた。

 さて。今の自分が特別文章が上手いなんて言うつもりはない。だけどこれでも文章のリズムや区切りには気を遣っているつもりだし、表現方法だって学んだ。今の僕と昔の僕、比べた時に読みやすいのは圧倒的に今の僕の文章だろうし、キャラクターの情動だって昔よりもっと上手く表現できると思う。

 しかし。今の僕が書いた文章と昔の僕が書いた文章。どっちの方が「次も読みたい!」と思ってもらえるのだろう?と考えた時、きっと勝利の旗が上がるのは昔の僕のほうなんじゃないかと感じた。

 だって、僕の考えたオリジナルキャラクターは、与えられた世界を本当に楽しそうに駆けていたのだ。既存作品のキャラクター、いわゆる二次創作における原作キャラだって、「うわこれ原作でもやるな……」と零してしまうようなムーブを繰り広げていた。それぞれのキャラクターが純粋に世界を生きている様は、見ていて恥ずかしくもあり、楽しくもある。だからきっと、今より昔のほうが、書いている側も読んでいる側も楽しい。そんな確信をしてしまうほどの情熱の差というものが、そこにはあった。

 ちなみに余談だが、二次創作を書いていた時は常にキャラ設定のファイルを作っていたようだ。見返したら作品ごとの性格の微妙な変化とかまで書いててビビった。解像度高いな昔の僕……。

 



 恥にまみれたUSBメモリは、きっとこれからも他人に見せることなく隠されるのだろうし、いつか消えてしまうのかもしれない。僕はこんなメディアがあったことすら忘れてしまう可能性だってある。それでも、今日くらいは。今の僕には残っていない、あの日確かにあった情熱を思い出して、静かに生まれた感情に浸る時間を過ごすのだ。

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