なんとかなった(22年連続n回目)

院試受かった

 昔から、「すごいギリギリのところでなんとかなる」ということが多かった。車に轢かれるギリギリのところで助かったり、夏休みの宿題が9/1の07:30頃に終わったり、存在を失念していた大事な書類を締め切り数分前に提出したりと、自分だけでなく周囲の胃をも悪くする程にギリギリを掠めて生きてきた。そんな僕が受けた今年の大学院院試。あまりにも手応えが悪く、「ダメだったか」「就活今からでもしなきゃ」「家族になんて言おうか」なんて思いが脳内でグルグルしている中でなんとか日々を生きていた。入試の結果が判明する日も、まるで期待はしていなかった。何人か仲のいい友人も一緒に受験していたので、もしも彼の番号を見つけたらお祝いしよう……そんな気持ちでページを開いた。


 自分の受験番号があった。


 一目見たとき、まずは自らの目を疑った。目を擦ったり、目薬をしたりしてクリアな視界を確保、もう一度画面を見たが書かれている番号は同じだった。

 次に、自分の記憶を疑った。自分の受験番号は記憶していたが、それは間違いだったんじゃないか? 自分の受験番号は実は別だったんじゃないか? そう思って受験番号が書かれた紙をクリアファイルから探し出そうとして、見つからなかった。「あれ?」と思ったが、そうだ。受験後に「これはダメだな」と気落ちしたまま受験票をスーツのポケットに突っ込んでいたんだった。意味もなくワタワタと慌ててスーツのポケットを探し、無事発見。受験票に書かれていた番号は、確かに自分の記憶と一致していた。

 最後に、現実を疑った。「これはえらくよくできた明晰夢だなあ」と思い、ベッドで横になれば夢が終わるかもしれないとダイブしてみた。普通にダイブの衝撃が顔面を襲って地味に痛かったし、普通に夢でもなんでもなかった。それくらい、自分にとっては信じがたい出来事だった。


 嬉しくないかと言われれば、そんなことはない。むしろめちゃくちゃ嬉しい。半ば諦めながら、それでもやめなかった悪あがきの勉強は確かに無駄じゃなかったんだと思えたし、孤独に虚空に向かって毎日続けた面接の練習は当日100%発揮できた自信があった。対人不信を拗らせているせいで人に頼るのが致命的に下手な僕が色んな人に助けを求めて、色んなことを教えてもらって。それが実を結んだのだと思うと感謝の気持ちでいっぱいだ。それでも、それでも未だに僕はどこかでこれを喜びきれていない。自分の実力は自分がよく分かっていて、そんな自分は「今年は駄目だった」と思っていた。それなのに合格していて、喜びよりも戸惑いが襲いかかってきて。だから目を疑い、記憶と疑い、現実を疑った。自分よ夢から覚めてくれと思い込み、酷い現実を叩きつけてくれと願ってしまう。それくらいには自分は自分が嫌いで、自身を卑下することが当たり前になっているのだと改めて気づいた。

 だけど現実だ。良いことも悪いことも確かに起こるここが、確かに。


これからのこと

 さて、合格していたはいいが、肝心の僕自身が落ちていると確信していたせいで、受験後は逃避するように遊び呆けていた。そんな中で合格通知から「やあ」の声。バカみたいじゃん、僕。めちゃくちゃ諦めてたのにさ。PS4のマキシブーストオン毎日やって「アルケインのセンスありおりはべりいまそかりじゃん」とかワケの分からない独り言をブツブツと言ってたこの2週間近く。他になーーーーんにもやってない。卒論だってこれから本腰入れなきゃいけないし学費のことだって親に相談して半額くらいは援助してもらわなければいけない。実習があるから身だしなみにも今まで以上に気を使う必要があるし、なんなら人見知りをどうにかしなくてはいけない。これらは全部僕がやろうと思わなければ駄目で、なんとかなるとか思っちゃいけない。自分でなんとかなると思った瞬間、きっと頑張るのをやめてしまうだろうから。なんとかなる、なんとかなったなんていうのは、それまで自分が曲がりなりにもちゃんとやった結果なんだということが今日、ちゃんと分かった。

 自分に課された問題は山積みだ。モチベーションは底辺だ。もれなく体調もオールウェイズBad状態だ。運もいつも通り悪い。それでもこれから頑張らなくちゃいけない。

 やっていこう。

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