むかしのいと

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黒歴史が紡ぐ

 先日、気まぐれで2年ぶりくらいにAVAという基本無料FPSを立ち上げた。色々と仕様が変わっており勝手も分からず混乱する中、不意に個人チャットが届いた。

「おひさしぶりです!」

 その主は昔僕が低スペPCにもかかわらずこのゲームをプレイした頃(以下黒歴史時代と呼称)、一緒のクランに所属していたフレンドだった。僕が2年前チョロっとやっていた時も(もうその頃には引退気味だったが)、何回か誘ってもらった記憶がある。2年ぶりだというのに彼の言うことはまるで変わらない「まっち(固定チーム戦のようなもの)いきませんか?」である。懐かしさと嬉しさの反面、「いやいやいや、僕FPS自体2年ぶりなんだが」という危惧を隠せない。迷惑をかけるに違いないから……と辞退しようとしたが、「大丈夫です!」の連呼。押しに弱くチョロい僕は直ぐに諦めて彼の誘いを受け入れた。

TIPS:何故黒歴史時代と呼称するかというと、ゲームではなくリアルの方がかなり黒歴史で痛い過去を送っていたためである。その時のクランメンバーは皆とてもいい人(若干口が悪い奴がいるが)だったのでこの時が黒歴史というわけではない。

 そこにいたのは黒歴史時代のクランメンバーの4人だった。名前がいくらか変わっていたけれど、こういうのは分かるものなのだ。「あ、あの人だ」と。VCもつなごう!という強い押し(もちろん断れない)のもと、Discordを立ち上げた。VCチャンネルにいる名前からしてもう懐かしかった。深呼吸と、舌を回すために水を一口含んで。

「あ、ども。お久しぶりでぇす」

 

 2年ぶりというブランク、自分の持っている武器は現環境では軒並み化石。そんな中でもまあまあ自分なりに頑張った。グレネードのポジション、強い守りの配置、最初の行動……全ての記憶を紛失している中、手探りで思い出すようにして必死に彼らについていこうとした。

 会話もコミュ障なりに頑張った。ああいう場でなんとか会話をこなすには白けない程度の自虐ネタを話すことだと僕は僕が生まれる前に死んだ祖父から学んでいる。「FPS2年ぶりだからほんとAIMおじいちゃんですわ」「久々すぎて手が震えてるんですけど」「これは落ち着いてるんじゃくて緊張ですね」などなど頑張ってみた(しまあまあウケた)が、冷静になるとこれは誘ってくれたフレンドが反応を返してくれたから助かったようなものだなと今になって思う。ありがとうりーれいくん。

 まあ結果はもう本当に忸怩たる思いを抑えきれない程度のゴミスコアだったのだが、味方が強かったので思ったよりなんとかなった。噛み合いを見せて3連キルを3回くらい出来たのもまあよかった。なにより、「ああ、懐かしいなあ」と思った。今も昔も僕が一番雑魚だったことを覚えている。そんな中で立ち回りガン無視AIMお化けマンと突貫大好きマン、化け物スポッターに何でも出来るオールラウンダーに何度助けられたことか。昔の作品がリメイクされた時に作画だけが新しくなって感動シーンそのままで蘇ったりする現象をふと思い出した。

 黒歴史時代、色々と忘れたいこともある。だけど、こうしてあの時代じゃないと話せなかった人と今また話すことが出来た。それはまるで、黒歴史時代の僕が今の僕に彼らとの糸を持ってきてくれたような気がして。それが、少しうれしかった。あの時代の僕も捨てたもんじゃねえな、とほんの少し自分を肯定することが出来たように思えた。何より彼らも僕のことを覚えていてくれた事が本当に、本当に嬉しかった。

 今は卒論に院試にと大忙しでとてもFPSをやりまくれるような状況ではないけれど、もしいずれ暇が出来たら。その時はもっと腕を磨いて、今度はもう少しまともなものを持って彼らと遊びたいなと思う。……まあ、「21時くらいにいるのでもしそん時みっけたらソッコー声かけますね^^」という宣告をいただいているので、腕は出来るだけ昼のうちに磨いておくしかないのだが。おのれりーれい。


 昔築いた関係が今はもう消えている……そんな現象はあまりにもありふれているし、何なら当たり前でさえある。人は記憶と忘却を繰り返し、不要な情報を捨てて生きているものだから。しかもその関係がインターネットで作ったものなら尚更だ。対面する、あるいは肉声で話す。それがないと印象にも残りづらい。視覚と聴覚は記憶における重大なファクターであり、そこが抜けるだけで一気に記憶能力は低下するからだ。だけど、そんな中でもなお消えていない関係があった。これは間違いなく昔の僕の功績だ。黒歴史など消したい記憶ばかりだと思っていたが、そうでないものも確かにあったのだ。

 僕は僕のことが基本嫌いだし、そんな自分を変えたい変えたいと思って変えられないでいるどうしようもない奴だ。僕の、というかこれは多くの人に当てはまるだろうが――対人不信というものは「信じたいのに信じられない」という感情から来ていて、これがとにかくキツい。他人を信じられない自分への苛立ちとなぜ信じさせてくれないんだという他人への八つ当たり。それでも信じたいという希望とどうせこんな自分などそもそも信じてもらえないだろう(なら信じなくていい)という諦観など、様々な感情が相混じってとんでもなくコストが高いのである。

 だからこそ、なんとかしたい。僕は彼ら――対人不信を拗らせる前に関係を築いていて、今なお僕を覚えていてくれている人たちのことなら多分、きっと信じられると思う。だから信じられるものから信じていって、ちゃんと人間を信じることが出来るようになって。そしていつか社会に適応出来るようになりたいのだ。対人不信や女性恐怖症はアイデンティティだ、これが僕のパーソナリティだなどとやせ我慢をせずともよくなるように。まあ、それははるか遠い道のりなんだろうけど。




 締め方が分からなくなったのでオチなしで終わりです。明るい内容になると途端にキーボードのキレが悪くなるのどうにかしてほしいよね。暗い内容が書きやすいのが悪い。そんじゃ、また。

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